マインマインド
* * *
今思えば一目惚れだったのだと思う。
「お疲れ様です」
白いYシャツに黒いスラックスという何の変哲もない――大地たち他の男性店員と同じ――服装だったのに、休憩室に入ってきたその男性を見た瞬間、華やかな人だなと思った。
するりと細長い体躯に、グレーがかったブラウンに染めた髪、ひとつひとつのパーツがあるべきところに配置されていることがわかる綺麗な顔立ち。顔が小さいので一瞬女性かと見紛った。
客が購入しようとした機種の希望の色の在庫が切れており、隣駅の店舗に問い合わせたところ在庫がありすぐに持って行けるとのことだったので、隣駅のスタッフが持ってきてくれたのだった。ちょうど休憩時間で1人バックヤードに引っ込んでいた大地は、「お疲れ様です」と挨拶を返しながら、胸元に下がったネームカードを見た。『呉島直樹』と書いてあった。
「これ、届け物ついでに差し入れ。みんなで食べてください。要冷蔵です」
「あっ、すみません。こちらこそお礼をしなきゃいけないのに」
「もう貰ったよ」
慌てて座っていたパイプ椅子から立ち上がってお礼を言うと、白いケーキボックスをこちらに手渡しながら、似たような箱を掲げて笑ってみせる。それから「じゃあ」と小さく手を挙げて、颯爽と帰って行った。
その立ち去る間際の、口元は笑っているのに妙に冷めた目をした、涼やかな横顔が忘れられなかった。
それからずっと、顔を合わせる機会があっても呉島には話しかけられなかった。人付き合いが苦手な方ではないのだが恋愛経験がなかったので、自分の感情を持て余していた。
呉島はあの飲み会の日、自分に向かって甘い毒のような笑みを見せて誘った。
それが花から花へと舞い飛ぶ蝶のような気まぐれだとしても嬉しかった。夢みたいに。
タクシーで呉島の自宅へ向かう今も、大地は夢を見ているような思いで、車外を流れていく平日の朝方の景色を眺めていた。
ふと視線を向けると、隣にいる呉島は脚を組んでシートにふんぞりかえって目を閉じていた。が、大地の視線を感じたのかふと瞼を上げ、「やっと泣き止んだな?」と笑った。
それはあの日見たような形だけの笑顔ではなくて、ちゃんと笑うとこの人は可愛らしい顔になるんだな、と大地は思った。
* * *
ホテルでしたのは呉島が手で勃たせて挿入してフィニッシュという何の趣向もないセックスだった。大地は終始呆然と翻弄されていたように思う。自宅マンションに着いて、お邪魔しますと玄関で靴を揃えて入って来る大地を待つのももどかしく、呉島はダイニングに入って来た大地の前に跪くなりスラックスの前を開いた。
「あ、え、」
下着をずらして、手の温度よりも熱いそれを引きずり出す。大地はうろたえて退こうとしたが、「嫌?」と問うと赤面して唇を引き結び、小さく首を振った。
既に兆し始めているものをぱくんと咥え込む。じゅるっと音を立てながら出し、また口の中に受け入れる。前後の運動を繰り返しながら上目遣いで窺うように見上げると、大地は目を閉じていた。オイコラ、視覚でも楽しむのがフェラの醍醐味だぞ。
「はいひ」
「ヒッ」
先端を口の中に残したままもごもごと名前を呼ぶと、不規則な舌の動きに驚いたのか、大地は身体を竦めた。ぎゅっと必要以上に力を込めて目を閉じている顔を見上げながら続ける。
「みへろよ。ひゃんと」
「い、いやです」
「はんれ?」
「口の中入れたまま喋らないでください…!」
「なーんで?」
咥えるのをやめて、舌で鈴口をちろちろくすぐりながら訊き直す。
「見てたら俺すぐイっちゃいます」
「別にいいじゃん」
「だって…挿れるまでもたない……」
ぼそぼそと告げられた言葉に思わず笑ってしまい、その吐息が刺激になったのか竿がひくんと揺れた。
もしかしてさっきまでこいつは童貞だったんじゃないのか。どっちにしろ男相手は初めてだろうから所作がぎこちなくても気にはならなかったが、いちいち反応が純朴だ。
「じゃあ目ぇ閉じたまま想像してみな? 俺が咥えてんの」
不慣れなお前はそっちの方がよっぽど興奮しちゃうと思うけど、とは言わないでおいた。
口内に受け入れ、ねっとりと舌を絡め、頬を窄めながら吸い付く。大地は先走りをこぼしてそれに応えた。浮き出て来た血管を戯れに舌でなぞり、一旦唇を離すと、完全体になったそれは勢い良く反り返って腹についた。
垂直に立ち上がったものに舌を這わせながら、半端にずらすだけになっていたズボンと下着を一緒に引きずり下ろし、あらわになった肌を撫でる。体毛の薄いタイプのようで、上へ向かって手を動かすと逆立った毛が僅かにざらざらとした手触りを与える。内股の筋肉がぴくぴく震えているのが妙に可愛く思えた。見上げると、やはり大地は堪えるように目を閉じている。
根元まで辿り、陰嚢にゆるく歯を立てると、痛かったのか「んッ」と声を上げて大地は腰を引いた。その拍子に先走りがつっと先端から伝い落ちた。
「痛い?」
「痛い…です……」
「でもガチガチなんだけど」
「…………」
続いて舌で持ち上げ、上の前歯で軽く噛むような動きを繰り返すと、「んウ」とむずかるような声を上げて大地は呉島の髪に指を差し込んで来た。ちらっと視線を上げると、大地は潤んだ目でこちらを見下ろしていた。もう一度歯を立てると躊躇うような弱い力で頭を掴まれる。
それで抗議のつもりか、と思いながら角度を変えてゆるく噛み続けると、弱々しい泣き声みたいな嬌声が頭上から降って来て、でも早朝の繁華街を歩いていた時みたいに苛立ちはしなかった。
そういえばこの家で誰かとセックスしたことがないので気にしたことがなかったが、壁の薄さはどうなんだろう。隣の生活音は気になったことがないが…壁際に置いたベッドの軋みは伝わるだろうなあ。契約更新の度に引っ越しを繰り返しているので、自宅に愛着というものが湧いたことはない。この家は住み始めて1年だ。
明確な快楽を得られるような刺激は与えていないのに、竿を支える手はいつの間にか体液でぬるぬるに濡れていた。大地の手が今度は明確な抗議の意図を持って髪をくんと引っ張る。
「呉島さん、俺立ってらんない…」
言葉の通り大地の膝はかくかくと震えている。
じゃあ座って、と言ってみたら大地はよろつきながら足元にわだかまっていたズボンを脚から抜き取り、素直にかくんと膝を折って床に座り込んだ。従順っぷりが犬みたいだなと思ったのも束の間、呉島は思わず吹き出した。
「なんで正座」
「…違いました?」
「違うだろ。まあいいや。ちょっと待って」
足下に放り出していた鞄を手繰り寄せて財布を取り出すときょとんとしていたが、中からコンドームを取り出すと今度は大地が吹き出した。そんな風に笑うのを初めて見たのでさっきとは逆に呉島はきょとんとする。
「呉島さん財布にコンドーム入れてるんですか」
「え。変?」
「いや、呉島さんみたいにかっこいい人でもベタなことするんだなって」
「するだろ」
こんな凡人に王子様の姿でも重ねてるんだろうか(だとしたらそんな想像は早々にぶち壊しておきたい)。そもそもセックスなんてベタ中のベタだろ。
正座したままの大地に向き直る。相手のものにコンドームをかぶせる作業が何でか好きだ。なんとなく支配欲が満たされるからかもしれない。かぶせるついでに手で何回かゆるく扱くと、身じろいだ後に「呉島さん」と手を掴まれ、その場に押し倒された。
顔の両脇に腕をついた大地の顔を見上げる。フローリングの感触が後頭部と背に硬い。何やら唇を引き結んで訴えるような表情をしている大地に向かって手を伸ばし、角張った顔の輪郭をなぞる。若い肌をしてるなあと思った。昨日出勤する前に剃ったきりの呉島の顎には既に無精ヒゲが伸び出しているが、大地はつるりとしたものだった。
「呉島さん」
切羽詰まった声で繰り返される。確かな熱を帯びた眼差し。自分もスラックスの中で勃起しているのを初めて意識した。
「お前犬みたい」
さっき思ったことを口にすると、大地は虚をつかれたような表情をした後、「飼ってたことあるんですか」と小首を傾げた。
「ないよ。飼おっかな。お前のこと。首輪つけてさ」
その言葉に反応したのか、それとも戯れに唇を撫でた指先に反応したのか、大地はひくんと身体を震わせると、以前と同じく噛みつくように口づけてきた。肩に手を回してそれに応えながら立てた膝で大地の脚の間を刺激してやると、腰を捩って逃れようとする。もう今にも達しそうなくらいに硬く昂っているのがわかった。唇を解放されると同時に間近で顔を覗き込まれ、囁くように問う。
「挿れたい?」
「挿れたいです…っ」
「何を? どこに?」
「………っ」
言い淀んだ大地の目が潤む。苛めたくなるんだよ、その顔。
「言えないの? 大地。言わないとこのままだよ? 先進まないと辛くない?」
頭を撫で、髪を梳くように指を這わせ、目を覗き込んで問う。表面に水の張った黒目に映り込む自分の顔は、ひどく意地の悪い顔で笑っていた。意を決したように大地は口を開いた。
「…俺の…」
「ん」
「――を…呉島さんの…に、挿れさせてください」
「全然聞こえね。何を?」
収める先を求めて震えているものを力を込めてぎゅっと掴むと、それは指で作った不完全な輪を広げるように一回り大きくなった。大地の声がか細く上擦る。
「っぁ……もう、許してください」
手の上に弱々しく手を重ねられた。――クソ、可愛い。強制的に言わせてやろうと思っていたが、うっかり自分の方が我慢できなくなった。
「おいで」と誘うと、急いた手つきで下半身を剥きだしにされた。こういうのって男特有だよなと思う。こういう品の無い、直情的でわかりやすいがっつき方。
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