マインマインド

学生の頃は随分と遊んでいたものだった。
遊んでいたといっても肉体関係まで至ったケースは母数に比して多くはない。男の心が自分に傾くかどうかが勝負であって、釣ったら呉島が興味を失うパターンの方が多かったから、大抵の場合は深い関係に至ることなく自然消滅した。あまり軽々しく身体を開くのはつまらないし、一旦関係を持つと切りにくくなる。
狙い澄まして火をつけ燃え上がらせた想いは、冷めるのが早い。呉島が提供するのは一時期楽しくイチャついてキスをして好きだと囁き合って場合によってはセックスする、という禁忌の恋ごっこであって、本気で好きになった相手はいないし相手が本気で呉島に惚れたこともない。
大学卒業間際に妻子持ちの教授に手を出して(というか出させた。セックスもした)それが奥さんにバレて修羅場になって以来、面倒になってそういうゲームをすることはあまりなくなっていた。無趣味で友人付き合いの嫌いな呉島の生活の中の唯一の娯楽ではあったが、就職して仕事にそれなりの張り合いを感じていたので、なくなってつまらないとも思わなかった。
そんな中で、大地はかなり久々に呉島のやる気を起こさせた存在だ。攻略は呆気ないほど簡単だったが。
性愛の対象になるかは置いておいて男には男の『かっこいいと感じる好みの顔』というのがあって、呉島の容姿はそれにあてはまったのだと思う。そうでなければあんな風に自分からふらふら飛び込んできたりはしない。呉島にとっても――あくまで遊ぶ対象としての話だが――大地は好みだった。格好の相手が身近にいたもんだなと思う。
真面目で大人しそうな青年が衝動につき動かされる様を見るのが好きだ。我を忘れて呉島を自分のものにしようとして、いずれは気の迷いだったと正気に返って忘れていく。その愚かさまで込みで好きだ。

あの日はキスだけして連絡先を聞いて別れて、後日呉島から改めて夕食に誘った。あからさまにうろたえる大地が酔った勢いでやったなどと謝る前に、呉島は先手を打って「好きになった、付き合おう」と言い放った。告白というより宣言だ。
恋人関係になるのはちょっと…と仮に大地が思っていたとしても、自分からキスをした先輩を相手にしてきっぱり断るなんて、性格的にできなかっただろう。縮こまりながら「はい」と答えた大地にほくそ笑んだのが五日前。
そして今日。翌日がふたりともオフという丁度良い日に、呉島は大地をホテルに連れ込んだ。
いや、最初はそんなつもりじゃなかった。ただ二人で四方山話をしながら飲んで気持ち良くなって、相変わらずどこか緊張した様子の大地が可愛いなあと思って、ふと呼称を「野木くん」から「大地」に変えてみたらわかりやすく赤くなって。そんな大地を見ていたらムラムラした、から、男同士で入っても何も言われない行きつけのホテルまでタクシーを飛ばした。
まあ、この時点でひたすらあたふたしていた大地を思い出せば明確に合意ではなかったかもしれないが、かといって拒絶の素振りがあった訳でもない。仮にも恋人同士ならセックスを視野に入れておいてくれなきゃ困るとも思う。
何より、間違いなく、掘ったのは大地の方だ。
呉島はタチもウケもできるのでどっちでも良かったのだが、大地は自分がいわゆる男役だと疑っていなかった。なので大人しく下になった。男相手は初めてとのことだったが呉島の側は慣れていたので、滞りなくそれなりに気持ち良くコトは済んだ。
なのになんだってんだ、その初体験の後の被害者面は。

「俺さー、成人男性がこんなに長いこと泣いてんの初めて見たんだけど」
手管として一応かぶっていた猫を脱ぎ捨て、大地はファミレスのテーブルにだらしなく肘をつきつつ呟いた。
平日早朝のファミレスはスカスカだ。店員は眠そうな様子もなく機敏に立ち働いているものの、店内にはのったりとした気怠い空気が満ちていた。
大地はずるずると鬱陶しい音を上げるのをやめてはいたが、未だにつついたら泣き出しそうな顔で呉島の正面に座っていた。情事が終わって交代でシャワーを浴びて清算して、そこまではただぼうっと上の空だったのだが、ホテルを出た瞬間何か糸が切れたように泣き出した。それからもう30分は経っている。放置して帰る訳にもいかず、といってこの状態で電車に乗ったら間違いなく目立つので、仕方なく人気の無いファミレスに入った。
「すみません」
鼻声で大地は頭を下げ、それから所在無げに視線を彷徨わせて、ドリンクバーで取ってきた煎茶に口をつけた。煎茶って。呉島はアメリカンコーヒーを飲んでいる。
「なんなの? 男とヤったってそんなにショック? 後からじわじわくるもの?」
呉島は高校一年生の時に同性相手の初体験をした。相手は当時入っていた野球部の部長だった。通っていた高校の野球部は、廊下の遥か先に上級生の姿がちらりと見えようものなら大声で挨拶しながら頭を下げて上級生が通り過ぎるのを待つという慣習があったくらいに厳格な先輩後輩制度が布かれていた。部長は権力者として部の頂点に君臨し後輩からおそれられていたが、今思い返せば所詮は女に飢えた高校生だ。上級生に対して不満の溜まっていた呉島が憂さ晴らしで仕掛けたハニートラップにあっさりかかった。普段偉そうに振る舞う部の長が夢中になって後輩の身体を貪る様に、呉島は興奮した。だから初体験には、男を手中にしたという悦楽の記憶しかない。
容姿のおかげで幼少の頃からモテたせいか、元々貞操観念がゆるかったのだと思う。女性相手になんて中1の時に当時の彼女相手に済ませている。
「違います。ショックなわけではないんです。被害者だとも思ってません」
大地は情けない声ながらきっぱりと否定した。
「じゃあなんでそんな泣くの」
「だって……」
「よくなかった? お前だいぶ早くイってたと思うけど」
「だからそういうことを公共の場で大声で言わないで下さい」
呉島は路上でキレた時から決して大声は出していない。むしろ普段より抑えた声で会話している。大地はよほど周囲に聞かれるのが怖いのか、囁きに近いほどの小声で応じておろおろと視線を左右させ、それから覚悟を決めたように呉島の目を見た。縁が赤くなった一重の目を呉島は見返す。濡れても睫毛はくるんとしている。
「俺…嬉しかったんです」
喜怒哀楽の表現が豊かではなさそうな淡泊な顔立ちの中で、切れ長の目は飛びぬけて雄弁だ。真剣さの伝わってくる眼差しについ負けてしまい、呉島は一旦視線を外して手元のコーヒーを飲んだ。
「初めて店で見たときから、呉島さんのこと気になってて。でも連絡先聞く勇気とかなくて、飲み会で一緒になっても黙って隣に座るのがやっとで」
あ、あれ狙って座ってたのか、と今更知った。適当に座ったものと思っていたが。
「そしたら呉島さんが次に誘ってくれて…やさしく愚痴聞いてくれて…ついキスしちゃったときはもうダメだと思ったのに、後で呉島さんに好きだって言われて、もう舞い上がって。それでこんな」
また泣き出しそうなのか、声を詰まらせてごくっと唾を飲む。
「……俺幸せなんです……」
唾を飲み下したついでに途中の台詞をがっつり省略したような気がしたが、大地はそれだけ言い切ってまた俯いた。再び口を開く気配もないので、呉島はしばらく大地の頭の前よりにあるつむじを眺めていてから、言った。
「なにそれ。嬉し泣きって事?」
「…そうです」
「お前」
馬鹿だな。と思った。キスだって誘ったの俺じゃん。ていうか三年間も喋りかけることもできずに気になってたのかよ。見た目だけが取り柄みたいな男のことを。
「気付かねえよ」
片思いにも、嬉し泣きだったことにも。そんな純粋なやつで遊んでいたことにも。
そういうことって、もしかして今までもあったんだろうか。自分に本気になる相手なんていないと思ってた。気付かないで蔑ろにしていたものが、今までもあったんだろうか。
「行くぞ」
伝票を取って立ち上がると、大地はきょとんとした顔で見上げてきた。その頭にぽんと手を置く。シャワーを浴びた時に濡れたのが乾ききっていないらしく、うっすら湿った感触がした。
「家、来いよ」
初めて男にまともに欲情した。

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