シー・ユー・ネクスト


「ついにコシヒカリが尽きたから」
 と翌週の友部は言った。
「今日からは近所のスーパーの安い米ですよ」
 散々友部の表情と声のトーンを脳内で吟味して冗談だったのか本気だったのかを審議にかけた結果、昼前に再びお菓子をお土産にマンションの部屋を訪れると、友部はやはり当たり前のように縁を迎え入れた。そして出された昼食(肉野菜炒め、あおさの味噌汁、茄子の漬物)を前にして、縁は「友部さんって料理が趣味なんですか」と質問をした。
「考さん」
「……コウさん」
「ただ健康な生活のために努力してるだけだよ、なんで?」
「俺昔から趣味がなくて」
「バイトの履歴書にはなんて書いたんだよ」
「音楽鑑賞とか読書とかその時々で」
 誤魔化しの典型だ。履歴書を見る方も察していたことだろう。
 家族や友達に誘われてくっついて何かするというパターンはあれど、自主的にあれしたいあそこ行きたいと思ったことが縁には記憶にある限りない。中学までは国内旅行であちこち行ったし、友達のボルダリング体験について行ったりお笑いライブを観たり音楽フェスを覗いてみたりスイーツバイキングに行ったりと色々触れてはいるのだが、それらに一切魅力がわからないとは言わないまでも心を掴まれた経験がない。人がどういう過程で特定の何かに夢中になるのかずっと不思議で仕方なかった。実家にいた頃は空いた時間には家事を手伝ったりテレビを見たり妹の買った漫画を読んだりしていたが(妹はまだ高校生だがいわゆるオタクでアニメやら漫画やらにハマっていてますます自分のことが不思議だった。同じ成育環境なのに)、一人暮らしのアパートにはテレビも漫画もなく、それで不自由な思いもしていない。余暇をどう過ごしているかといえば『だらだらしてる』に尽きた。大体スマホでYouTubeの動画を巡るかまとめサイトを渡り歩くか寝るかだ。強いて言うなら寝るのは好きだがさすがに趣味にカウントしたくない。
「なんかみんな旅行とか好きですけど、今どきその土地でしか食えないものってそんなないし、景色見てもなんとも思わないし、移動に金使うくらいなら家いた方がいいなと思うし」
「まあな」
「映画、特にピンとこない。音楽、聴くは聴くけどライブ行くほどじゃない。煙草も酒もギャンブルも興味ない、恋人いない歴イコール年齢」
「恋人は趣味と違うけどな」
「考さんの趣味はなんすか」
「趣味なあ。俺も特にないかな。好きなことは色々あるけど何も突き詰めてねえし。あんまこの日何するって前もって決めたくないから計画的な遊びができない」
 もぐもぐと咀嚼する合間に友部は考え考え答え、それから「逆にゆかりの嫌いなものは?」と振ってきた。ナチュラルに下の名前呼び捨て。
「嫌いなもの……」
 しんなりと炒められたキャベツをつまみつつ縁は左手の指を折って数え上げた。
「ウェイ系のがいる飲み会、人混み、行列、納豆、電車の中の香水がキツい人、それ一口ちょうだいするやつ、ドッキリ番組、ホラー映画、外国語の勉強、別に美味くもないし量もないのにやたら物価高いお洒落カフェ、」
「一旦ストップ、ぽんぽん出て来んな」だって好きなものより嫌いなものの方が輪郭がはっきりしていてわかりやすい。「ちなみに酒に興味ないっつうのは味の問題? 下戸?」
「んー、におい? せいぜいウーロンハイくらいしか飲まないですね。飲めないとつまんながられる風潮も嫌です」
「ま、飲めない方がかわいいよ」
 ちょっとどきっとした。友部はにこりとするでもなく、「そういえばおまえいくつなの?」と質問を重ねてきた。
「……今年23です」
「へー。若く見られるだろ」
「ああ、まあ」
 黒髪に一重瞼の薄い顔の上小柄なので、下に見られることは多い。服装もGUなりユニクロなりの手頃で着心地がよく個性の薄い服ばかりだから。友部はそれ以上何も続けなかった。23にもなって趣味もなくふらふらフリーターしてて呆れられたかな、と思う。友部の会社の規模がどんなものなのかは知らないが経理課長という役職を手に入れているからにはそれなりの勤続年数だろう。ちゃんと働いているよその大人から見ると、縁はどう映るのだろう。

 + + + + +

 また来週、と友部は言い、縁はまた来週、友部の部屋を訪れた。なぜなのか自分でもよくわからない。新海と朝食を食べた訳でもなかった。
 ドアチャイムを押すと中から「開いてるよ」と声が応じ、ドアを開けると玄関に座った友部がブーツを履いているところだった。
「パンケーキ好き?」
「はい? はい」
「原宿行くぞ」
「え?」
「原宿。行くぞ。電車ん中で寝ていいから」
 縁が戸惑っている間に友部は玄関から縁を追い出し、鍵を締めると先に立って歩き出してしまった。原宿で、パンケーキ。男ふたりで。
 友部の家の最寄駅から地下鉄直通の電車に乗って、原宿までは一本だ。暖房で足元がぽかぽかする席に並んで座るとすぐに眠気がきて、爆睡している間に目的地に着いて揺り起こされた。友部は躊躇のない足取りで縁を先導し開札を抜ける。
 原宿なんて中学以来だ。嘘みたいに人で溢れ返った竹下通りを見るといつも、頭を踏んで歩いて行けたら楽なのにと思う。むしろやろうとするやつがいないことが不思議だ。下り坂の入口に立って眺める頭部の密集ぶりは人間絨毯にしか見えない。怯んでいるとふいに友部が縁の左手首を掴んできた。そのまま人波に突入し、スローペースで進み始める。平均身長よりやや低い縁より友部は数センチ背が高く、その後ろ姿を見上げながらついていった。動くたびに他人と接触する煩わしさは左手首に意識が行っているために紛れた。派手な髪色の女子の群れも、黒人の客引きも、するすると通り過ぎて行く。
 最も混雑した通りを抜けて5分ほど歩いたところに、長蛇の列があった。角を曲がった先まで続いているようで何に並んでいるのかわからない。まさかとは思ったが友部はその最後尾についた。同時に手が離れる。
「コウさん……」
「大丈夫、夕方までには帰れるって」
「俺ら浮いてません?」
「地に足ついてる方だよ」
 見える範囲の列にいるのは男女カップルと女性2人以上連れだけだ。しかし友部が気にした風もないので縁も気にしない事にした。
 冬の初めの戸外は、晴れていてもじっとしていると少しずつ身体が冷えてくる。両手をポケットに突っ込んでその場で足踏みしていると、友部の手がコートのポケットの中へ滑り込んできた。びっくりして顔を見上げると同時にするっと手は抜け出て行く。後にはあたたかい塊が残された。使い捨てカイロ。友部は何を言うでもなく真正面を向いたままだった。
 1時間弱待ってやっと通された店内はあたたかく、四方の壁のうちひとつが全面ガラス窓になっていて、陽光が差し込んで開放的な雰囲気だった。木製のテーブルの周りに配置されている椅子は席ごとに色や形が違い、通されたふたりがけの席は壁際がふかふかしたシングルソファで通路側が籐の椅子だった。布地の表紙のメニューをかわいらしい女性店員から一冊手渡された友部が縁にそのままパスしてきたので開いた直後、「うわ」と言ってしまった。プレーンパンケーキ900円。トリプルベリーパンケーキ1300円。コーヒー600円。カフェラテ700円。そこそこ高いファミレスで一食にドリンクバーをつけられる値段に容易く到達する。日常的に食費を切り詰めるほど経済的に困窮はしていないが単純に抵抗があった。
「ここ、有名なんすか」
「食べログ一位だぜ」
「食べログとか見るんだ」
「初デートだし良さげな店がいいじゃんか」
「デートとか」
 鼻で笑いながらも少しそわそわしている自分を自覚する。
 縁は結局カフェラテと季節限定パンプキン&クリームチーズパンケーキを頼み(カフェオレとカプチーノとの違いはなんなのかわからない)、友部は小豆と塩生クリームのパンケーキとブレンドコーヒーを頼んだ。ややあって届いたプレートは華やかでいかにも美味しそうだった。そりゃもう女子は好きだろうなと思う。写真撮ってSNSに上げるんだろうな。
 友部も縁もカメラに収めることはせずすぐにパンケーキに手を付けた。友部は「うん、うまい」と頷き、縁がカフェラテに息を吹きかけて冷ましている間にふと身を乗り出してきた。
「一口くれよ」
 縁は眉間に皺を寄せて飄々としている年上の男をじっとり見つめる。
「わざとすか」
「わざとだよ」
「……どうぞ」
「くれんだ」
 皿を前方に押し出すと友部は笑い、ナイフとフォークを使って丸いパンケーキからひとくちぶんを取って行った。と思ったら自分の方のパンケーキもひとくちぶん切り取り、こちらの更に載せてくる。
「はい」
「……どうも」
 小豆と塩生クリームのパンケーキも、美味かった。身体の沈み込むソファは座り心地がよく、なんだか妙に居心地のよさを覚え始めた。


 食べ終えた後、縁は「奢ります」と強硬に言い張って会計を持った。高かったがまあのんびりできたのでよしとする――友部には何度もごちそうになっているし。友人とお茶、となると話題にのぼるのは大概反応に困る恋愛話か独り言のようなぼやきか「へー」という相槌しか打てないような近況報告だったが、友部が口にするのは「昔観たドラえもんの映画が子供心に怖い話でさ」だとか「宇宙人っていると思う?」だとか「無人島に5個だけ物を持ち込めるとしたら」のようなどうでもいいのに気付いたら話しこんでいるようなことばかりだった。リュックに財布をしまいながらちりんちりんと可愛いベルの音の鳴るドアを肩で押し開けると、先に店を出て待っていた友部は「ごちそうさま」と律儀に頭を下げた。
 電車に乗り込むと疲れが出たのか再びどっと眠気が襲ってきたが、夕方の下り電車は混んでいて座れる席がなかった。並んで手すりを掴んで立つ。
「どうだった? やっぱり嫌いだった?」
「……悪くなかったです」
「お、まじで?」
 友部は軽く目を見開き、それから「ふふん」と笑った。
「ちょっとゆかりの嫌いなものが減ったわけだ」
 でもそれは、友部と一緒だったからだ。人混みも、行列も、お洒落カフェも、ひとくちちょうだいも。
 別れ際、友部の方が先に電車を降りる時に、また来週、とは友部は言わなかった。「じゃ」と短い挨拶だけで降りて行こうとする友部の背中に「コウさん」と縁は呼び掛ける。友部は他の客に混じってホームに降り立ちながら、首だけで振り向いて「来たきゃまたおいで」と言った。ぷしゅうと音を立ててドアが閉まる。

 + + + + +

 嫌いなものを減らしていく作業――友部曰く『デート』――はそれからも続いた。ホラー映画。ボーリング。水回りの掃除。モツ。電話をすること(縁はここで初めて友部の電話番号を手に入れた)。
 嫌いなままなものも当然あるし、大抵のことを楽しむ才能を持っている友部が「俺もそれはだめだわ」と言って避けるものもあった。それでも縁の中の色々な物事に対する嫌悪感は着実に減っていった。
 それに、同時に好きなものも少しずつわかってきた。例えば映画なら今まで観たことのなかった史実を元にした重厚なドラマが好きだと気付いた。納豆は苦手だが友部が愛食している甘めのたくあんを細切りにして混ぜて万能ネギを少し散らすと美味しい。友部の家の近くにある大きめの図書館の空気が好きだ。
「バイト先に新海有希ってやつがいて」
 と、ある土曜日の昼、友部の家で縁はついに打ち明けた。縁が嫌いなものとして挙げた『店員がすぐに寄ってくる家電量販店』でもらってきたテレビのカタログを友部は熱心に眺めているところだった。購入を検討しているらしい。おまえと映画観始めたらなんか楽しくなってきて、と言っていた。
「いいやつで、仕事できて、イケメンです」
「そいつが嫌いなの?」
「いや、そいつと……話した後の自分が」
「嫌いなのか」
「嫌いでした」
「過去形ね」
 そうだ、気付いたら別になんとも思ってない。きらきらしている新海と話しても今は死にたくはならない。平日の夜の合同ライブに出演するとかで誘われてひとりでふらっと行ってもみたが、すげえな、活動順調に続くといいな、以上の感情は湧かなかった。白線を超えたら一瞬であの世なんだなと不思議に思うこともない。バイト帰りの電車は友部の家の方向へ向かって走る。
「新海って茶髪の背が高いお兄さん?」
 ふいに友部が顔を上げて尋ねてきた。「なんで知ってるんすか」と縁は驚いて尋ね返す。
「この前バイト先聞いたじゃん。何日か前にちょっと遊びに行ってみた。ゆかりはバックヤード行ってていなかったけど、たぶんその新海って子がレジ打ってくれた」
「事前に電話くれればよかったのに!」
「バイトの邪魔になるだろ」
「新海のことどう思いました?」
「深夜なのに元気で感心だなーと」
 やっぱり新海のことが嫌いかもしれない。褒められるのを聞くと面白くなかった。友部はロウテーブルに頬杖をついて「その顔」と笑う。
「わかりやすいな」
「……あんま顔に出ない方なんすけどね」
「そうか? ゆかりの愛想ないとこ俺は好きだよ。おまえ嘘つかねえし」
 自分の名前も好きになったことのひとつだった。友部の呼ぶ縁という名前の、か、で少しもたつく発音が好きだ。


 友部にはフリーターでいることへの不安は話さずにいる。彼は察しているのかもしれ ないしどうでもいいと思っているのかもしれなかった。友部が仕事の話をすることもない。平日はよく同僚と飲み会をしているらしいし、日曜日は家の事をしたり出歩いたりしているらしいが、土曜日の夕方まではいつも縁のために空けておいてくれる。寒い季節に誰かと一緒にいられることを幸せに思う。一人暮らしのアパートは、気楽だが今では寂しい。
「最近求人サイト登録しました。正社員募集の」
 床でゴロゴロしながらWOWOWの番組表をめくる友部の横でくだんの求人サイトをスマホからチェックしつつ縁は報告する。大学は文学部だったのでもとより仕事に生かす気はない。とりあえず営業職も事務職もごちゃごちゃに検索している。
「まだいいなーと思う会社クリップしてる程度なんですけど」
「ふーん。スーツ姿見てえな」
「あ、クリーニング出さなきゃだ……やっぱ難しいですかね、就職経験ない中途」
「書類選考で落とされるパターンは多いだろうな」
 ドッグイヤーをたくさんつけた番組表を友部は閉じて、もぞもぞと身体を起こす。
「まあ本気になったらハローワークに相談してみなさい。落ちたら泣きに来ても良いものとする」
「うん」
「お茶飲むか?」
「うん」
 キッチンまでついて行って、お茶を淹れる友部の後ろ姿を眺めた。ポットから急須へお湯を注ぎ、マグカップをふたつ並べて順番に緑茶を注いでいく。中目黒に行った時に狭い陶器屋で買った柴犬のイラスト入りのマグカップはおまえに似てると言って友部が選んだ。
「コウさん」
「んー」
「好きっつったらどうします?」
「狙い通りだ、って言う」
 マグカップを縁に手渡して、友部はテレビのある部屋へ戻っていく。縁も後を追った。
「狙ってたんすか」
「狙ってない男を家に呼ばねえよ」
「え、あの駅でいつも男拾ってんの?」
「カレー食わないかって? のこのこついてくるのゆかりくらいじゃねえかな。初めて会った時のはナンパじゃなくてただのエゴだよ。お前飛びそうだったから」
 あまりにあっさり言われて、テーブルの前に座りながら縁は思わずじっと友部を見つめた。確かに飛ぼうとしていた。誰の目にも映っていないような気がしていたのに。熱いのか眉間に皺を寄せながら緑茶をすする友部に、縁はそっと尋ねた。
「これまでも止めたことある?」
「ないよ。俺に止める権利ないしな。ただあの日は、元恋人の葬式の次の日だったんだ」
 元恋人。男か、女か。そういえば土曜の朝なのに黒いスーツを着ていたことを今更に思い出した。いささか強引にカレーを振る舞ってくれたあの日、そんな悲しい気分でいたのか。友部はなんでもなさそうに続けた。
「だからあの日には死なせたくなくて」
 友部考という人間について知らないことばかりだなと思った。全然知らないのに当然の成り行きのように好きでいる。縁は何と言葉をかけるべきか迷い、結局、「来年のカレー、楽しみにしてます」と言った。友部は頷いて、「おまえも手伝えよな」と笑った。

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