月の裏側

「髪の毛は長い方が好きとか」
拓登の手に髪の毛を委ねながら、(これもいつになく)ずっと黙り込んだままでいた高梨が、ふいに口を開いた。湿らせた髪に櫛を入れてカットするという作業を手早く繰り返しながら、潜められた彼女の声に耳を傾ける。
「あっさりした見た目の子がタイプとか、体型は細めの方が好きとか、真に受けて髪伸ばしたりメイク変えたりダイエットしたりした私が馬鹿みたいだよね」
「………そうだったんですか?」
「そうだったんですよ。やっぱり気付いてなかった」
自嘲するように口元を歪めて笑った高梨に、拓登は曖昧に目礼をして詫びの気持ちを表現した。言葉にして謝罪するのは、かえって彼女を傷つける気がした。
どんな子がタイプ?と高梨に聞かれたのは、居酒屋でだったと思う。拓登のその答えを聞いて、横にいた永樹は笑っていた。素直にそれを受け止めて目標としてくれた高梨には悪い事をしたと思う。
「あの、高梨さん」
立ち位置を変え、サイドと同じ長さの前髪を手に取る。高梨は目を閉じた。
「俺たち、あなたをからかった訳では、決してなくて。お気持ちにお応えできなかったのは本当に申し訳ないと思ってるんですが」
「…別に、からかわれたとは思ってないよ。そりゃ言い出しにくかっただろうって思うし、適当に誤魔化さないで本当の事教えてくれた拓登のことはやっぱり好きだなって思ったし。私は悔しいだけ。…悔しいっていうのは」
はあ、と溜め息を吐く。
「あんな完璧な人に私じゃ敵わないから」
――永樹は、完璧、とよく形容される。
ハーフアップにした黒い長髪の結んだ部分をくるんと丸くまとめて、薄く筋肉のついた細い身体をしている。顔立ちは中性的ないわゆるジャニーズ系で、かっこいいとか男前とかいうより『美人』という形容詞が似合う。仕事柄たくさんの女性を見ている拓登の目から見ても、永樹はそこらの女性に引けを取らない美形である。
ころころと他人を巻き込む明るい笑い声でよく笑い、誰にでも人懐こく話しかけ、気配り上手できびきびとよく動く。職業はバーテンダー。25歳という華盛り。
「あの人と付き合ってるって知ってたら、私こんなに長く片思いなんてしなかったのに。…っていうか私も鈍いよね。拓登たち見ててそんな関係だなんて気付かなかった」
「それは、普通は…そういう風には見ないでしょう」
隣席は隣席で会話が盛り上がっているが、一応聞こえることを気にして微妙に婉曲的な言い方になる。高梨も気遣って『永樹』という名前は出さずにいてくれる。
永樹と付き合っているということを他人に話したのは、高梨が初めてだった。永樹は二人の関係を他人に漏らしたがらないから、高梨に喋ったと知れたら怒られるかもしれない。
「でも言われてみれば、あの人は拓登の王子様みたいな雰囲気あったよ。守ってる感じ」
「うーん。そう見えるのかも知れませんね」
振られた男の恋人の話なんて聞きたくないかもしれない、と思って、拓登は曖昧な物言いで後を濁したが、丁度前髪のカットが終わって手を除けると、高梨は目を見開いて「どういうこと?」と興味深げに尋ねてきた。
拓登は慎重に言葉を選んで説明をする。
「あいつは、すごく自分に自信が無くて、怖がりで…」
『あの子絶対お前狙ってる』
途中から永樹を交えた高梨との食事を終え、高梨と駅で別れた後、電車の中で永樹がぼそりと言ったことを思い出す。
吊り革に掴まって、闇に沈んだ窓の外をじっと眺めながら、さっきまで笑顔を振り撒き場を盛り上げるに徹していた男と同一人物とは思えないほど冷えた眼差しで永樹は言った。一度も破顔したことなど無いような、作り物のように整いきった横顔だった。
そうかな、と曖昧に首を傾げた拓登に、永樹は「お前が髪切ったりするからだ」と少し怒ったような口調で言ったものだ。そう言われても髪を切るのが仕事なのだから仕方ない。永樹と出会ったのだって、拓登の勤める美容院でだった。
綺麗な顔をしているだけに、近寄りがたい雰囲気の人だな、と最初は思ったのだ。永樹は最初に来店した時、人好きのする雰囲気なんて微塵もなかった。つまらなそうな表情でカットチェアーに座った永樹を見て、拓登が必要最低限の事項だけ確認してから黙々とカットを始めると、永樹はやがて「きみ、美容師にしては暗いね」とぽつりと言った。
「…申し訳ありません。あまりお喋りは得意ではないんです」
苦情を言われたのかと思い拓登が恐縮すると、永樹は鷹揚と手を振った。
「いや、謝んなくていいよ。俺暗い人好きだから」
その時初めてほんのりと笑った。惹きつけられる笑顔だった。
その後何度か来店した永樹と言葉を交わし、永樹がバーテンダーをしていると聞いた拓登は、宣伝されるままにそのバーへ足を運んでみて、驚いた。黒のベスト姿の永樹は、人懐こそうな笑顔を絶やさずにカウンターの中で忙しなく動き回り、親しげに客に話しかける。拓登の知っていた永樹は、何かを拒絶するようなオーラをいつもまとっている人間だった。
接客業なのだし仕事中とプライベートは態度が違って当然といえば当然なのだろうが、それにしても、明るく振舞う永樹は別人のように見えた。
「拓登とはそういう風に接していいんだって、なんとなく思ったんだよね。お前と向き合ってると落ち着くっていうか」
永樹は後々そう話した。そして、どちらか自分の素なのか、自分にもよく解らないけど、少なくとも拓登以外にはこんな顔を見せたことはないと言った。拓登はそれを嬉しいと感じた。
顔の造作は似ても似つかないのに、永樹と向き合っていると鏡を覗き込んでいるような錯覚を覚えることがたまにある。感覚でしか捉えられない何かが似ているのだ。他人を心に受け容れることが下手な二人が惹かれ合うにはそれだけで充分だった。

「自信が無くて、怖がりで?」
高梨の促す声が聞こえて、ふっと我に返った。慌てて思考を遡り、言葉を続ける。
「だから…俺の交友関係を把握したがるし、俺にアプローチする女性にちょっかいかけて気持ちを逸らさせようとするんですよ。なので、守られてるっていうよりは、俺、管理されてるっていう感じです」
「ああ、つまりヤキモチ妬きってことね。そういう束縛ってきつい?」
「それが、きつくないんですよね…」
「うん、そうだろうね」
自嘲気味に口元を歪めて零した拓登の言葉に高梨はあっさりと切り返し、それきり口を噤んだ。拓登もそれ以上話すことを思いつかず、黙々と仕事の手順をこなす。発した言葉こそ少ないが、少し永樹のことを喋りすぎたかもしれない。
あまり意識してはいなかったが、拓登にとって高梨は、いつの間にか秘密を打ち明けるに足る友人になっていた。もう今度こそ、これを最後に来ては貰えなくなるだろうか。短くなった髪をワックスで整えながら、寂しく思った。
メリハリのはっきりしたメイクと活動的なベリーショートは、彼女にとてもよく似合っていた。拓登と会う時はいつもナチュラルメイクで飾り気の無い装いをしていたが、本来の彼女の好みはこうだったのだろう。女性は強い。好きになった相手の為に努力して変われるのだから。
会計を済ませた高梨を見送る為、店のガラス戸を押し明けて先に外へ出る。10月上旬の夕暮れ時の風は、ぬるい気温をかきまぜるように少し冷たくて気持ちがいい。高梨の歩調に合わせてステップを降り、ありがとうございました、と頭を下げようとした瞬間、出し抜けに高梨が口を開いた。
「永樹君の髪、切ったりするの?」
仕事上の定型句を決まりきった表情で口にしようと準備していたために、急な方向転換に噛みそうになりながら、拓登は答える。
「永樹の髪は…付き合うようになってからは家で切ってます。風呂場に新聞敷いて」
「いいなあ。そういうの憧れてたなあ。永樹くん、髪切られるの好きでしょ?」
「え?…はあ、言われてみれば」
バスルームに据え付けられた鏡を覗き込みながら拓登が髪を切る間、永樹は確かに機嫌の良い表情をしているように思う。付き合い始める前のことを懐かしんでいるのかもしれない。と言ってもカットは長くて10分程度で済んでしまうし、家で切る場合はシャンプーなどは流石に本人に任せるので、大した時間ではないのだが。
高梨は何やら我が意を得たりといった様子で頷くと、言った。
「あのねえ、自分じゃ気付かないだろうけど、髪を切ってる時の拓登って普段の3倍増しくらいでかっこいいの。永樹くんはお客さんみーんなに嫉妬しちゃって大変だろうなあ」
くすりと笑って身を翻す。それはもしかしたら彼女自身の体験した感情なのかもしれない、とふと拓登は思った。きびきびとした歩みで遠ざかって行く後ろ姿に向けて、謝罪と感謝を込めて深々と頭を下げる。
恋愛感情ではなかったのだけれど、永樹以外に初めて好きになった相手が、高梨だったのかもしれなかった。

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