恋とクレープ

 そう、クレープって女子に人気なんだよな。
 ということを再度認識したのは、初めてクレープ店に通い詰めるという酔狂な真似をするようになってからだった。
 そう流行っている店ではない。が、店主(仮)曰く、目に留まる甘い物についつい吸い寄せられる通行人というのが毎日一定数はいて、その8割は女子だという。それはそうだろう、何せ車体がピンクだし。宮古が週に2日、水曜日と金曜日にこの移動式の店に通うようになって一か月経つが、現に目撃する客はほぼ女子だった。
 今まさに目の前にいるハタチ前後と思しき客は、ザ・女子である。膝上丈のワンピースからすらっと伸びた脚、明るい茶色に染めてふわふわのパーマがかかった触り心地の良さそうな髪、炭酸の泡が弾けるような軽やかな喋り声。丁寧に調理されてさあ召し上がれと男の前に差し出されているようなものだ。
 少し前までは目を引かれていただろう華やかな後姿を、今、宮古は呪うような目つきでじっとりと見つめていた。
「サービスで苺一個増量しといたよ」
「え〜、ほんとに増えてるんですかぁ?」
「クレープ屋さん嘘つかない」
「聞いたことなぁい、アハハ。ありがと」
 ひらひらと手を振って車の前を離れた女子が、ふと離れた所に立っている夕に気付いて笑みを引っ込めた。クレープを持った片手ともう片手を合わせて申し訳なさそうに会釈する。
「ごめんなさい、並んでました? 長話しちゃってすみません」
「…あ、いや…」
 くそう、いい子だ。どうせビッチでぶりっこで云々かんぬんといわれのない悪口を脳内で並べ立て始めていた宮古は気まずい思いで会釈を返した。
 花のような香りを微かに残して女子が去ると、宮古は財布から千円札を抜き出してカウンターに叩きつけた。
「一番高いのください」
 慧はちら、とこちらを見た後、視線を伏せてふっと笑った。人によっては嘲笑とも取れそうな笑い方なのに、目尻に感じ良く寄った皺がそうは見せない。黒髪短髪に生成り色のバンダナを巻いた爽やかな青年はてきぱきと鉄板に油を広げつつ、
「ストロベリーチーズケーキにバニラアイスと生クリームカスタードクリームチョコソースベリーソースキャラメルソース全部載せで宜しいでしょうか?」
「………」
「嘘だよ。キョドんなよ。水曜日は食事系クレープでしょ」
 喋りながらもう慣れた手つきで作り始めている。食事系クレープはツナサラダとハムチーズの二種類しかないので週ごとに交互にしているので注文の必要がない。今週はどっちの日だっけ。
 カウンターに背中を預けて空を仰ぐと、今日は綺麗なピンク色の夕焼けに染まっていた。まだまだ暑さは厳しいが、夏は終わりに近づきつつある。もうすぐ大学の夏休みが終わる。
 長期休暇なんて中学の頃から持て余していたのに、今年の夏は早い。
「慧さんて、水金以外はどこの駅前にいるんすか」
 空を見ながら尋ねると、明るい笑い声が返ってきた。
「貢ぐようなことしなくていいよ」
 冷たいこと言うんだな、と思った。だってそうじゃなきゃ成り立たない関係だ。
 釣り合わない女に入れあげて小遣いをやるおっさんやホストに夢中になる女もこういう気持ちなんだろうな…としみじみ思う。金で繋ぎ止めるような真似をしてでも離れさせたくない。自分を特別に扱って欲しい。そもそも自分のものなんかじゃないのに。
 宮古がクレープを食べに来る限り今の仕事を続けると、クレープ屋のお兄さんこと慧は言った。最初は週に一回の約束だったのが気付いたら週に二回来てしまっている。このために始めた郵便局の配達のバイトは比較的融通がきくので、仕事の合間にこっそり寄ることも可能で便利だ。
 なぜクレープ屋を辞めて欲しくないのか。辞めたら会えなくなるからだ。そりゃ貢ぐだろ。会いたいんだから。
「はいっ、今日はタコス風」
 唐突に肩越しにクレープを突き出され、反射的に「あざす…」と受け取ってから見覚えのない具の挟まったクレープをまじまじと見つめた。レタスとひき肉とチーズがくるまっている。これはメニューにない。
「いいんですか」
「だって毎回同じのばっかりだったら飽きるでしょ?」
「はあ」
 常連さん用のサービスってやつか。通い詰めた甲斐があったなあとしみじみしつつかぶりつき、もぐもぐと咀嚼してから、宮古は慧を振り向いた。
「うまい」
「そう? ありがと。メキシコ料理屋でバイトしたこともあんだよね、ホールだったけど」
「これメニューに入れた方がいいんじゃないすか」
 ひき肉はどう調達するのかわからないが、レタスとチーズは他のメニューにも使っているので増やしてもそう負担にならない気がする。スパイスの利いたやや辛めの味が美味しい。
「だめだよ、夕のために特別に作ったんだから」
 笑顔でさらりと返されて固まった。だがすぐに思い直して食事を続ける。苺一個増量しといたよ、と同じことだ。商売上手なだけ。
 この人の本音が、俺にはわからない。

 クレープ屋に通うようになって一つ変わったことがある。ファッションに興味を持ち始めた。
 高校時代は三年間、特に目的もなくコンビニでバイトをしていたが、昼飯代とたまに友人や彼女と遊ぶくらいにしか使わないので貯金が着々と貯まっていった。大学に進学してからも実家暮らしで無趣味だとそうそう金を使わない。今までは服なんて三か月に一回くらいのペースで気まぐれに買うだけで、ファッション誌なんて読もうと思った事もなかったが、ふと本屋で立ち読みしたら俄然興味が湧き始めた。
 そう、恋をすると人は変わる。アウトレットまで服を買いに行く。ワックスで髪を遊ばせたりし始める。
「最近お洒落になったね」
 と、バナナをカットしながら慧は言った。
「バイト先で彼女できた?」
「できてません。先に言っとくけど彼氏もいません」
「先に言われた」
 ふふっと笑いながら鉄板に生地を広げる。相変わらずからかうような態度だが、今回は変化に気付いてもらえたことが嬉しかった。カウンターに肘をついて黒髪短髪の慧を見上げる。
「今度髪染めてみようかなーって思ってるんすけど。若いうちしかできないし」
「ふーん」
「どう思います?」
「夏休み明けると茶髪になってるやつって絶対いるよね」
「…………」
 それは個性がないと言いたいのか。特に他意はないのか。
 どちらにしろ肯定的な返事がもらえなかったことで髪を染める気は失せて、いい加減飽きてきたクレープを受け取る。今一生分の生クリームとカスタードクリームとベリー類を食べている気がする。しかし自分がクレープに飽きることは問題ではないのだ。慧がクレープ屋の仕事に飽きたらと思うと怖い。
「いいんじゃないの? 染めるの」
 半ばやけくそで大きな一口を頬張ったところで、ぽつりと上から言葉が降ってきた。生地から溢れだしたクリームを必死に舐めとり、飲みこんでから「え」と答えると、「似合うと思うよ」と慧はカウンターに肘をつきながらにっこりしてみせた。
 オッケー。
 本気にするからな。
 お世辞でもいいと思った。例え全然本心じゃなくたって、勘違いしよう。だってこんなに胸がきゅんとするのは本当だ。

 家の近くの美容院によるとこの夏流行りの髪色はチェスナットブラウンとかいう色だそうで、チェスナットの意味もわからないながら勧められるままそれでお願いすると、赤味がかったブラウンの髪色になった。ふわふわのパーマもかけた髪は美容師がセットしてくれたのでなんだか完璧で、夏休み最後の金曜日、きっと自分では再現できないであろうそのヘアスタイルで会いに行った。
 いつもの定位置に、目立つピンク色の車はなかった。
 辺りを見回して、嫌な予感がじわじわと胸を侵食するのを感じながらうろついたが、どこにも『シャンス・クレープ』の車は見当たらない。
 まさか、まさか、まさか、まさか。その先は心の中でさえ言葉にするのが怖くて、考えが勝手にまとまってしまわないようにぐるぐると駅前を歩き回った。どのくらいそうしていたかはわからないが、しばらくして肩を叩かれた。
 振り向くと慧がいた。いつのものバンダナにTシャツ姿ではなく、ポロシャツとハーフパンツという姿で。
「どうしたのかっこいいおにーさん、ゾンビみたいな歩き方して」
「…休業日ですか」
 軽口に対して我ながらぼんやりした声で問いかけると、慧はうっすらと笑った。
「クレープ屋は辞めることにした」
 数秒絶句した。慧は何かフォローの言葉を続けるでもなく、宮古の反応を待つようにただそこに立っていた。
「約束……じゃなかったんすね」
 喋りながら途中で自己完結してしまった。そうだ、約束じゃなかった。たぶん宮古がからかい混じりのリップサービスを真に受けて乗ってしまったというだけで。しかし、
「うん、ごめん」
 と別に何の痛痒も感じていない顔で頷かれると、怒りでかあっと顔に血が昇るのがわかった。
 他人に対して、おもっきしぶんなぐってやりてえ、と初めて思った。そうか、こういう気持ちか、ごめん元カノ。死ねとも言いたくなるよな。好きだった分、好きな分、その相手に軽んじられるのはものすごく悲しくて腹が立つことなのだ。しかし残念なことに自分には彼女みたいな瞬発力はなくて、ただ睨むだけに終わった。慧は目を逸らすことも表情を変えることもなかった。
「今までのクレープ代返そうか」
「金なんてどうでもいいっす」
 精一杯攻撃的な声を出して踵を返した。言葉が刺さればいいのに。
「待って」
 後ろから掴まれる腕を無言で振り払い、ひと気のない道を選んで全力で走り出す。まいてやる気満々だったのが、すぐに息切れを起こして追いかけてきた慧に路地であっさりと捕まった。ちょうど小学校の裏門の付近で、夕日に照らされた庭を囲むフェンスに背中を押し付けられ、一瞬恐怖を覚えて身体が竦んだ。慧は「夕」とやさしい声で言った。
「そんなにクレープが気に入ってた?」
「俺はっ」
 視線を慧の喉元あたりに彷徨わせながら、やけくそで言葉を投げつけた。自分の髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。あほみたいだ、こんなあからさまに浮かれた髪型で。
「俺が好きなのは慧さんですもん」
 言ってしまった、と後悔するより早く、逆光で濃いグレーに沈んだ慧の顔が、間近で笑った。
「うん、知ってた」
 ぞっとするほど残酷な台詞だと思った。わざわざ追いかけて来て捕まえて、笑いながらそんなこと。力いっぱい肩をつっぱねて押しのけようとしたが、体幹のしっかりしている慧は両手でフェンスを掴んだままよろめきもしなかった。睨み上げると腹が立つほど爽やかで人好きのする顔がふと真顔に変わり、フェンスから手を離した。
「ごめん、からかいすぎた」宮古が何か言う前に、慧が勢い良く頭を下げた。「俺とお付き合いしてください」

「――……は?」

 完全に感情が空っぽな声が出た。腰を折った姿勢のまま、顔だけ上げた慧が笑って首をかしげる。
「『は』?」
「は…い?」
「はい? いいえ?」
「はい」
「よっしゃ」
 くしゃっと破顔したその顔を性懲りもなくかっこいいなと思った。伸びてきた手がふわふわと髪を整え直して、「似合ってるよ。かっこいい」と言われた。何の衒いもないまっすぐな眼差しで。そんなこと、そんな顔で先に言われてたら、好きじゃなかったとしても『はい』と答えてしまっていただろう。
「俺が商売のために言ってるんじゃないかって疑ってたでしょ? もうきみはお客さんじゃないよ。その上で言うけど、夕の言動いちいちときめく」
「…俺に?」
「そう。絶対。まじで」
 顔を覗き込まれ、鼻先が触れる。睫毛の長さがくっきり見えた。おそるおそる目を閉じると、「していいの?」とからかうように明るいトーンで尋ねられて、答える前に唇を塞がれた。一拍置いてから当たり前のように舌が差しこまれて口内を動き回る。なまぬるいその感触に背筋に腰が砕けそうになる。
 ややあって顔を離した慧は、ただでさえ近い距離をもう一歩詰めて来た。咄嗟に後退ろうとした背中に金網が食い込み、かしゃ…と弱々しい音が立つ。慧の太腿が脚の間に割り込んできて、
「おお。すげー勃ってる」
「ッ」
 ぎゅむ、と確認の手つきで股間を掴まれて不覚にも何か声が出そうになった。対する慧はなぜかきょとんとして、
「これってまだフル勃起じゃない?」
「さすがに…フル、ではないすけど…」キスごときで。
「なるほど。納得」
「なんすか」
「いや、まあ、おいおいな」
 含み笑いをした慧が身体を離し、それからポロシャツの胸ポケットに指を差し入れると何やら紙片を取り出して手渡してきた。
「これ俺の住所と固定電話の番号。落とさないでね」
 受け取って開くと、一番上に『十村慧』とやたらに綺麗な字で書いてあった。苗字の漢字こう書くのか、ということをこのタイミングで知る。住所は都内の聞いたことのない地名だった。
「会いに来て」
 いつの間にか夕日はすっかり沈んでいて、薄闇の中で囁かれる言葉には妙な色気があった。うわ、俺食われちまうんじゃねーの、と思わせるような。この人を暴こうとしているのはこちらの方なのに。
「会いに行きます」
「うん。ここの駅からの来方わかる?」
「…調べます」
 覚悟を決めて行かねば、と思いつつ答えたが、慧はあっさりと続けた。
「ついてくる?」
 これから帰るから、と軽い調子で言う。固まっていると手首を掴まれて引っ張られた。手を引かれ、さっき逃げてきた道をふたりで歩いて戻る。待ってよ、展開が早えよ。宮古が越えるために勇気を出そうとしているラインを、まさにそのタイミングで慧はひょいひょいと越えてくる。
 たぶん当分この人には敵わない。それでいいか、と思った。お付き合いするってことはこの人を探る権利をゲットしたっていうことなんだろうから。歩調を速めて隣に立って歩き出すと、慧は横顔で嬉しそうに笑った。

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