初恋は実らないか

 インフルエンザの季節になると必ず思い出すことがある。
 あれは小学5年生の12月の第二週の月曜日のことだ。冬休み、およびクリスマスを間近に控えて誰もが浮き足立つ最中、毎年飽きることなく必ず流行するインフルエンザは多分に漏れずその年も猛威を奮い、我がクラスを学級閉鎖に追い込んだのだった。ちなみに日向太は冬でも半袖半ズボンで『子供は風の子』を体現していた。
 突然降って湧いた休日に、標準的な小学生男子だった日向太はもちろんはしゃいだ。はしゃいだが、ひとしきりはしゃぐともうやることがなくなった。土日にみっちり友達と遊んだばかりだったのでいつも通り友達と遊んで過ごすのはなんだかもったいない気がしたが、といって一人遊びは苦手なタイプだった。家にゲーム機はなかった。そういう訳で無為にテレビをつけてゴロゴロしながら平日感をじっくり味わっていたら、母親から「ひゅーちゃん、ランチタイムだけお店手伝ってよ」と声がかかったのだった。
 日向太の家は定食屋だ。駅前のちょっとした商店街の中にあり、流行ってはいないが地元の支持はそれなり。周辺で働く人がランチに利用するので平日の昼時はそれなりに混む。父親が調理、母親が接客を担当しており、他に人を雇ったことはない。たまに手伝いに駆り出されることには慣れていたので、その日は唯々諾々と応じた。
 母親に声を掛けられてからパジャマから人前に出ても問題なさそうな服装に着替え、ひと続きになっている住居スペースを出て店内に入ると、視界を紺色が多く占めた。何かの作業員のようで、胸にロゴのついた紺色の作業服を着た男連中が5人、カウンター席を埋めていたのだ。4人掛けのテーブル席が3つと壁に向かって設置されているカウンター席が5つという元々小さい店内ではあるが、がっしりした男たちで埋まると殊更狭く感じられた。賑やかにするでもなくぼそぼそと低い声で言葉を交わしているのがまた、なんだか近寄りづらい。常連客なら「ひゅーちゃん大きくなったねえ」と気安く声を掛けてくれたりするが、この男性客たちは見たことのない顔だった。
 調理場を覗くと、キャベツを千切りにしていた母親が「茶髪のお兄さんに生姜焼き持って行って」とお盆を託してきた。
「あの人たちなんなん?」
「うんー?近くの工事現場の人たちやー。最近よく来てくれるのよ」
「工事現場で何しとるん?」
「自分で聞きまっし。はい、早く持ってって」
 とてもフレンドリーに話してくれる雰囲気ではなかったが、日向太は豚の生姜焼きと白飯と味噌汁と漬物(今日はたくあん)の載ったお盆をえっちらおっちら『茶髪のお兄さん』の席へ運んで行った。当時弱冠11歳の日向太の目線では紛れもなくオジサンだったのだが、両親に後から聞いたところではまだ20代半ばに見えたそうだ。
「お待たせしましたー、生姜焼き定食ですー」
 母親の真似をして声をかけると、振り向いた男性客は一瞬の間を置いて視線を下げ、日向太を認めた。
「おっ、若い店員さんや」
 お盆を受け取ってニコニコと笑う。数年前まで家で飼っていた柴犬を思わせる笑顔で、茶髪だから少し怖いと思っていた日向太の中の印象は一瞬で吹き飛んだ。黒目がちのやたらにきらきらした目をした人だった。
「何年生?」
「五年生です」
「今日平日がやろ? サボりけ?」
「インフルエンザで学級閉鎖です」
「あー、なるほど。きみは元気でいいなあ、少年」
 ハキハキと答えた日向太の頭に大きな掌が載って、髪の毛をくしゃっと掴んだ。撫でるのでもなくかき混ぜるのでもないその仕草に頭頂部がムズムズしたことをはっきりと覚えている。嫌ではなかったが居た堪れないような不思議な感覚だった。紺色の作業着は肘まで捲り上げられ、筋肉がついてうっすら日焼けした腕が覗いていた。
 他の作業着の客は日向太のことを気にするでもなく自分たちの会話を続けていた。日向太は気になったことを質問してみた。
「工事現場で何してるんですか?」
「現場で? 道路の修理をしとる」
「道路って壊れるんですか?」
「何年も経ったらな。ひび割れたり、穴が開いたりするで。あと生えてきた雑草を取ったりもしとる」
「ふーん。面白そう」
 そう相槌を打ちはしたが、その時さほど路面補修や道路除草に興味を引かれた訳ではなかった。やっていた本人たちとてその地味な業務を特に面白いとは思っていなかっただろう。けれど大学をどうするかと考えた時に建設学科をチョイスしたのはこの時のことが脳裏にあったからだ。
「修理頑張ってください」と告げた日向太に、男性客は「おー、ありがと」と顔をくしゃくしゃにして笑った。そして同僚の方にちらっと顔を向けて「可愛い子やー」とご満悦に報告し、ぽんぽんと頭を叩いてから手は離れた。
 日向太はニ、三歩普通に歩き、それから小走りになり、最終的に飛び跳ねながら調理場に入った。「どーしたん」と両親にびっくりした顔をされたが、ただ上がったテンションを持て余すばかりで説明はできなかった。心臓がふわふわしてじっとしていられなかった。その後も母親の指示で料理を運んだが、視線は完全に『茶髪のお兄さん』に釘付けだった。会計の時遠目から眺めていたら気付いて手を振ってくれた瞬間の嬉しさは言葉では言い表せない。
 世間一般からしたらイレギュラーなケースなのでその後もなかなか気づくことはなかったが、それは日向太の初恋だった。


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