amore fermo, amore innosente

不動はプレゼントを俺に受け渡して肩の荷が降りたとでもいうように、リビングのソファに腰を降ろして「ふう」と気の抜けた溜息を吐いた。俺は受け取ったばかりのパンダをその横に丁寧に座らせて、胡乱気な視線を向けて来た不動の前を横切りキッチンに向かう。
「不動さん、ケーキ食べるだろ」
「え、いいのか」
「母さんがホールケーキ買っておいてくれて。でも今日遅くなりそうだっていうから、二人で食べちゃおう」
「じゃあ頂こうかな」
声が少し弾んだのが解る。顔に似合わず甘い物好きなのだ。可愛い。口にはできず唇を噛んで俯く。
身長差32cm。年齢差20歳。不動さんと俺の差。
だけど今日から、不動の誕生日が来る2ヶ月後までは、年齢差は19歳差になる。1つだけ縮んだ年齢差はまたすぐに元通り開けてしまうものだが、それでも少しだけ嬉しかった。身長差の方は、これからもう少しは狭まるだろう。けれど亡くなった父は小柄だったというし母は150cm台だから、190cmまではたぶん伸びない。それで良い、と思った。
冷蔵庫を開けて白いケーキの箱を取り出すと、不動がのそのそとキッチンに入って来て食器棚を開けた。特に探すでもなくケーキ用の小皿とフォークを二人分取り出す。姉が家を出てからも、二人はコンスタントに俺と母の住むこの家へ遊びに来た。今日みたいに不動が一人でひょこりと顔を見せることも多く、俺はそういう時嬉しかった。姉と一緒に家を訪れる不動は嫌いだった。
姉のことは好きだ。心の底から幸せになって欲しいと思う。なにせ俺を育ててくれたひとだし、俺達は歳が離れている割に趣味や性質がよく似ていた。得意教科。笑うツボ。服のセンス。好きなテレビ番組。好きな食べ物。好きな音楽。好きな男のタイプ。
「何ケーキ?」
「イチゴー」
「ほお」
箱を開けて中のトレイを引っ張り出す俺の手元を、待ちきれないというように不動が覗きこんできた。気付かれないようにちらりと目線を上げると、きらきらとした眼でケーキを見つめている。俺よりもよほど無邪気じゃないかこの人は。俺はシンクの下の棚を開けて包丁を取り出し、小さいホールケーキを真っ二つに切り分けた。お母さんの分はいいのかと不動は言ったが、無視して半月型のケーキを小皿に載せた。少しはみ出したが、許容範囲内だろう。
不動がケーキをリビングに運んでいる間に、ポットからカップにお湯を注いでインスタントコーヒーを入れた。不動の分はブラック。本当は俺もブラックを飲みたいが、高校生らしく牛乳をたっぷりと注いだ。やわらかなベージュ色がカップの中でくるくる回る。
子供じゃなくなったら、不動は俺に構ってくれなくなってしまうかもしれない。
その恐怖心は、歳を重ねるにつれじわじわと俺の心を占拠し始めている。早く大人の男になって精神的に同じ目線に立ちたいという思いよりもずっと強く、俺の思考を捕える。だから最近では上手く不動と会話ができない。
普通、ふたまわりも歳の離れた、兄のような父のような存在と俺くらいの世代の子供は、どんな内容の話をするのだろう?最新のスマートフォンの話?割と具体的な将来の話?それとも恋愛の話とか?下世話な話もする?何を見て抜くのかとかお気に入りのAV女優の話とか?
まさか、その兄のような父のような人を押し倒してめちゃくちゃにするところを想像して夜な夜な自分を慰めてるなんて、言える訳がない。俺の頭を無造作に撫でるのと同じ大きな手に俺の性器を掴ませたり、眉間に皺の寄った顔に顔を寄せて薄い唇に貪りついたり、長すぎるがっしりとした脚を押し開いてその奥に押し入りたいと夢想していることなんて。
クラスメイトにだって話せない。同性に片想いをしていること。それも20も上のおっさんを、しかも大切な姉の恋人を、物心ついた時からずっと、好きだということ。ごつごつしてでかくて男臭いその人を、事あるごとに可愛いと思っていること。
なんでこの人を好きになってしまったんだろう。解らない。気付いた時には好きだった。好きになってはいけない相手がいるなんて、知りもしない幼気な頃から。
「宏」
出したコーヒーに口をつけた不動が、俺の名前を呼んだ。少し大きすぎるケーキにフォークを入れたばかりの俺は、小首を傾げて不動を見上げた。
「お前、コーヒー入れるの上手くなった」
「…インスタントだよ?」
「上手くなったよ」
「……そう。ありがと」
「だいぶ大人っぽくなってきたしな、頼もしいな」
手が伸びてきて、テーブルの向かい側に座った俺の頭を撫でた。身長の大きな不動の手は作り自体が俺の手よりも一回り大きくて、その厚くて長い指を見る度に心が軋む。不動の低くて淡々とした声に褒められて頭を撫でられるのが純粋に嬉しかった頃もあった。今では強張った表情で目を伏せたままでしか、受け入れることができない。
「あのな」
手を引っ込めた不動の声のトーンが少し明るくなった。ケーキに喜ぶ無邪気なトーンとは違う。俺はびくりと肩を跳ねさせた。嫌な予感がする。聞きたくない話をしようとしている気配がある。怖くて目を見られない。
ケーキを食べればいいのに。不動はイチゴのケーキが好きだ。知っているから母にリクエストしておいたのだ。切って皿に取り分けた時だって、イチゴが多い方の半分を不動の分にした。不動が無邪気な目をしてケーキを食べるのが見たかったから。
どっちが子供なんだか。そんな風に思うのに、子供なのは確かに、俺の方なのだ。
「今度、お母さんと宏に、俺と美幸から」
「大典って」
何か言って遮ろうと思った。言いかけた不動の言葉を浚って、俺は転びかけているような早口で喋った。不動がきょとんと眼を丸くする。
「大典ってつけてもいいかな。あの、パンダに」
リビングのソファに座らせたままのパンダを指差して言うと、不動は一拍置いて口元を弛めた。おお、と頷いてみせる。俺が弟分として慕っているのだということをまるで疑っていないような顔だった。俺は、「よく見たらあのパンダの顔は不動に似ているかもしれない」と必死に考えようとしたが、到底呑気な方向に思考を傾けられなかった。
不動さん。
子供ができた?結婚することにした?それとも俺が予想していないようなことを話すつもり?今日は俺の誕生日だ。せめて今日はそんな話聞きたくねぇよ。
俺が席を立ち上がると、パンダを取りに行くと思ったのか、不動はフォークを取り上げてケーキに向き直った。俺はその横に立つと、座っていてさえ大きく感じる不動を間近でじっと見てから、首にゆっくりと腕を回して抱きついた。「お。どうした」特に驚いている風でもなく、不動がやりにくそうに顔の向きを変えて俺の顔を見た。
「何の話か知らないけど、おめでとう」
にっこりと笑って囁く。それから身体を離して顔を覗き込むと、瞬きをした不動の長い睫毛の下の瞳が少し潤むのがわかった。涙脆くなっちゃって、嫌だな、まだそこまで歳食ってないだろ。――ああ、そこまで男前って訳でもないのに、なんで俺は姉と同じこの人を好きになっちゃったんだろう。
「宏こそ」
長い腕が俺の首を抱き寄せる。反射的に笑みが漏れたのは、ただの沁みついた習性で、嬉しかった訳ではなかった。なんなら、腕力さえ敵えば、突き飛ばして椅子ごと引っ繰り返してやりたいぐらい腹立たしかった。それでも、今こうしておかないと、次の機会があるかどうか解らない。
「誕生日おめでとう」
抱擁というには力の篭り過ぎているがっちりとした腕の輪の中で、あ、あのパンダに似てるのは俺か、と俺は思った。

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