「結婚することになった」
と聞いた時、
「へえ」
というごく平坦なトーンの返事を返せたのは、その青柳の台詞を聞く前に、左手薬指の指輪が目に入っていたからだった。
呼び出された新宿の個室居酒屋は、青柳と黒原が昔よくデートに使っていた店だ。安いチェーン店だが、よくあるすだれや竹を編んだ壁で仕切られた半端な個室ではなく、扉を閉めると完全に人の目がなくなるところが気に入っていた。青柳と別れてから黒原は使っていなかったので来店するのは2年ぶりになるが、店員に廊下を案内されながら「内装変わったなぁ」と呟いたら「そうなんだよなー」と知った風に返されたので、青柳はあれからも来たことがあるらしい。
酒が入ってから言ってくれれば良かったのにな。
注文パネルでビールを2つ注文する操作をしながら、黒原は思った。多少なり酔った状態で聞いたら、マジかよぉ、おめでとう、と笑って肩の一つも叩けたかも知れない。
けれど、個室の扉が閉まった瞬間我慢できずに言ってしまうのが青柳らしかったし、そういうところが変わっていなくて少し安堵もした。
向かい合ってじっくりと見る青柳は、2年前よりふっくらしていた。髪はこざっぱりとしたツーブロックで、癖っ毛をぼさぼさと伸ばし放題にしていた当時より若返って見える。相手の趣味だろうか。
ビールはすぐに来た。お通しの小鉢とジョッキをテーブルに並べた店員が横開きの扉を閉じて立ち去ると、二人きりの空間が出来上がる。遠くの個室で団体客がどやどやと騒ぐ声がくぐもって聞こえた。
「じゃ、結婚おめでとうってことで」
ジョッキを持ち上げながら言うと、青柳は「おう」と屈託の無い笑みを浮かべ、自分からジョッキをぶつけて来た。がつんと鈍い音がなる。黒原は泡の立ったビールに口をつけ、一気に半分飲み干してから、唇を手の甲で拭いつつ単刀直入に聞いた。
「好きなの?」
およそこれから結婚しようという人間に聞くような質問ではなかったが、純粋に知りたかった。かつて同性と付き合っていた男に、夫婦として一生添い遂げたいと思えるような相手が本当にできたのか。
いや、実を言うと期待していた。世間体の為だよ、とか、親がうるさいから、とか、遊びのつもりだったんだけどデキちゃって、でも良いから、気持ちは伴っていないという言葉が出て来ることを望んで尋ねた。けれど、
「好きだよ」
黒原の希望をばっさりと切って捨てるように、青柳は何の躊躇いもなく言い切った。そして旨そうにビールを飲む。
「あー、」
傷ついた顔をする権利が、自分にあるのか解らなかった。
きちんと別れているのだし、お互い二年間連絡を取っていなかったのだから、気を遣う方がおかしいのかもしれない。
それでも、そんな風に軽々と言われたくはなかった。他の女のものになるということを。
「それはおめでとう」
口先で祝福の言葉を述べながら、何気なく、お通しの小鉢の横に投げ出された青柳の左手を見る。何気なく身を乗り出して、手を伸ばしてみる。
重ねる。
掴む。
引き寄せる。
二人の間にある卓に膝を載せて手をついて、動物のような体勢で青柳の唇に噛みついた。青柳は抵抗しない。当たり前だ。こいつもこういう事を望んで呼び出している。
つまるところ、最後の浮気をする為に自分を呼び出したのだ、こいつは。
ワックスを使って撫でつけられた青柳の髪に指を差し込み、ぐしゃぐしゃとかき乱す。喉仏の浮いた、黒原の好きなきれいな首にむしゃぶりつく。鎖骨を舌でなぞる。片手を卓について片手で青柳の白いシャツのボタンを外し、軽く歯を立てながら肌を下りて行く。
青柳の肌はうっすらと汗をかいて熱っぽかった。唇できつく吸い付いて痕を残そうとすると、身じろいで逃げられた。
「ユウ」
名前を呼んだ青柳が、軽く肩を小突いて卓を降りるよう促した。唇を拭いつつそれに従う。のんきに前戯をしている余裕などお互いなかった。
ローションのチューブは青柳のポケットから当然のように取り出された。下衣をずらしただけのほぼ服を着たままの状態で、腰を上げて指を受け入れる。緊張に強張りそうになる身体から精一杯力を抜く。
「俺と別れてから何人とヤった?」
背中にのしかかってきながら、青柳が低い声で尋ねた。両肘をついて体重を支えている腕が重みに震える。
「なんでそんなこと聞くんだよ」
「妬けるから」
「クズな旦那だな」
「何人とヤった?」
これから他人と結婚する男になんでそんなこと教えなきゃいけない。「いいから早く入れろよ」と呻くように答えて、相変わらず丁寧な指遣いをする青柳の手を後ろ手に掴んだ。
入ってくる瞬間は、我知らず息が詰まった。後ろ向きで表情が見えないのを良い事に、思い切り歯を食いしばって痛みと圧迫感に耐える。正直亀頭まで受け入れた時点で暫く静止していて欲しかったが、急かした手前そんな懇願をする訳にもいかず、拒否感に腹筋が引き攣れたように動くのを感じながらも声は出さなかった。
全部入ったと思った直後、ず、と半分引き出され、引く以上の勢いで再び突き入れられる。場所柄あまり派手な動きはできないので、規則的なその動きがゆっくりと繰り返される。
黒原と同様、青柳もパンツの前を寛げただけの着衣の状態なので、二人のベルトが揺れる度にかちゃかちゃと金属音を立てた。「きつ…」と呟いた青柳によって途中でローションが足されて、ぬちゅり、ぬちゅ、という粘着質な音が律動に加わった。
いらっしゃいませー!と威勢の良い声が外から響く。黒原は耐え兼ねて肘をついていた腕を折り、イグサの座布団に額を擦りつけるようにして伏せ、片手を足の間に伸ばした。下着の前から性器を引きずり出し、包み込んで扱きあげる。
後ろからは未だ痛みと不快感しか感じ取れないくせに、まだ一度も触れられていないそこは完全に立ち上がっていた。奥まで突かれる度に喉元には吐き気に似たものが込み上げるが、萎える気配は微塵もない。
身体の快楽よりも、2年ぶりに青柳のもので拡げられているという事実に、感じている。
「あー、きもち、」
ビールを飲んでぷはーと吐息するのと同じようなトーンで、青柳が漏らす。黒原は喘ぐような呼吸を繰り返し、ただ揺さぶられるに任せた。
「クッソ、もうちょい」
背後で青柳が呻き、直後に「あー…やっぱ無理」と気の抜けたような声を漏らして、唐突に熱いものを放たれた。惰性のようにゆるゆると腰を動かされ中に精液を馴染まされるような感覚に、黒原は弱い。間もなく己の手も濡れた。
青柳が背後を離れ、テーブルの上の紙ナプキンを数枚取って寄越した。掌の白濁を拭き取り、ズボンをずり上げて立ち上がる。その間に青柳は、ジョッキに残っていたビールを飲み干していた。
ベルトを締めながら、うわ、俺萎えてねえ、と自嘲する。
「…ケツ拭いてくる」
「俺も手洗いたい」
トイレに行こうと扉を開けると、青柳もするっと立ち上がった。ついてくんのかよ…と思ったが口に出しはしない。二人そろって足早に人気の無い廊下を抜けた。
予感はしていたが、トイレに入ると当然のように腰を抱かれ個室に引きずり込まれた。他に人、いなかっただろうな。確認する暇もなかったので意識の隅でちらっと気にしつつ、蓋の上から洋式便器に腰掛けた青柳の前に、心得たように膝をついた。
青柳の前を開け、太腿を両手で押さえて広げながら、股間に覆いかぶさって躊躇わず口に含む。途端溜め息とも呻き声ともつかない声が頭上から降り、左耳のあたりを無意味に青柳の指が撫ぜた。
「お前、なんか綺麗になった」
台詞と同時に口の中であっという間に成長する様があまりに正直で、喉の奥でくっと笑いつつ舌で先端をつつき、もっと舐めさせろよとせびる。溢れ出てくる先走りを吸い上げては深く呑み込んで幹に舌を絡ませると、時折びくっと太腿が震えて反応するのが愉しい。
青柳がどんな風にされるのが好きか、覚えている。奉仕のようでいて、やりようによっては意のままに追い詰める事のできるこの行為が、黒原は好きだった。
口いっぱいに頬張ってじゅるじゅると音を立てて啜り、時折ちらと上目遣いで表情を窺う度に、黒原はこくりと唾を飲む。
太腿を押さえている手に筋肉の動きが伝わってくる。そろそろ限界らしい。
「あ、ユウ、も、いい」
頭を掌でゆるく押し退けられるが、無視して舐り続ける。
「おい。お前ん中で出させろって、」
便座の上で腰をずり上げて逃げる青柳の動きを身を乗り出して追い、一際強く吸い付いてやる。舌の先でひくひくと尿道口が開閉するのを感じてようやく解放すると、青柳は一瞬堪えるような必死の表情をしたが、すぐに情けない吐息と共に頬にびゅるびゅると吐精された。
舌の届く範囲の精液を舌で舐め取る。2回目にしては割と濃い味がした。
トイレットペーパーをからからと巻き取っていると、青柳が「てめえ」と軽く足を蹴ってきた。
「なんでもういいっつってんのにやめねーんだよ」
「うるせー。あと一回くらい出んだろ」
互いに三十路間近だが、枯れるにはまだ早い。顔をおざなりに拭い立ち上がった時、キィッと音を立ててトイレの出入り口が開く気配がした。ふたり揃って動きを止め、意味もなく個室のドアを注視する。ぱたぱたとサンダルをつっかけて歩く足音が聞こえ、ややあって放尿の音が聞こえ始めた。
「…部屋戻るか」
微妙に白けて小さく呟くと、青柳はズボンのチャックを引き上げながら「だな」と同じく声を潜めて言った。
「飯食って移動すっか。ホテル取ってあるから」
おう、と応じかけて黒原は固まった。
「…は?ホテル?」
「そう」
「予約してあんの?」
「そう」
「お前、じゃあなんでこんな汚ねぇとこでコトに及んでる訳?」
「付き合ってた頃みたいなセックスするのもいいなと思って」
「………」
用を足した客がトイレを出て行くのを確認し、青柳の脛に力いっぱい蹴りを入れた。「いっ……」という声にならない悲鳴を後ろに、黒原はトイレの個室を出てさっさと廊下を戻った。
飲むぞ畜生。祝儀なんてやる義理はない。今日は青柳に奢らせることにした。

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