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 寝返りを打とうとした瞬間、耳元で聞き慣れない音が鳴って、目が覚めた。
 じゃらり…と重たい金属がこすれるような音に、一体枕元に何があるのかと指を伸ばして確かめようとした時、腕が不自然に頭上に上がったまま動かないことに気づいた。薄く開けていた目を見開いて上体を起こそうとしたが、首に鈍い圧迫感を感じてその動きも途中で何かに阻まれた。じゃらっと騒々しい金属音が鳴る。
「う、げほ、げほっ…」
 噎せながら見上げた天井は見慣れない色をしていた。周囲はカーテンに囲まれていて寝ている場所は薄暗い。どうやらベッドの上だ。首を捻って確認すると、転落防止の柵の部分に鎖が巻きつけられ、両腕と首につけられた革製のバンド――腕輪と首輪に繋がっていた。
 頭を精一杯持ち上げて自分の身体を見下ろす。布に包まれている感触がなかったので予想はついたが、全裸だった。
 まだ夢を見ているのか、とまず思った。寝る前にこういう拘束モノの動画でも観たんだっけ? フィクションやマニアックプレイの世界ではベタもベタだが、いきなり自分の身に起きるとなると現実味が薄すぎる。
 自分の記憶の限りでは、今日は普通に会社に行って、本屋に寄って音楽誌をちょっと立ち読みして、コンビニでカップ麺とビールを買って帰ってきて…金曜だからゆっくり動画でも観ようと…
 いや、そうだ、コンビニから帰る途中で声をかけられた。児童公園の脇で、ハットをかぶってだぶだぶのコートを着た男に――駅までの道を尋ねられて、指を差しながら来た道を振り向いたところまでは覚えているが、それ以降の記憶がない。
 ということは、自分は今、実際に犯罪に巻き込まれているのか?
「おはよう」
 唐突に声が聞こえて、身体が無様なほどビクッと跳ねた。頭の方に誰かが立っている。首を捻って見上げると、にっこりと場違いな穏やかさで微笑む男が、屈み込むようにしてこちらを覗き込んでいた。短い黒髪、均整が取れてはいるが特徴のない顔。歳は40代前半といったところだろうか。
「どこか痛いところはある?」
「…………」
「おや、声が出ないのかな」
 目を見開いて凝視していると、男の手が伸びてきた。首元に触れ、首輪の隙間に人差し指を差し込んだと思うと、喉仏の辺りをぐっと押し込まれた。吐き気と共に「オ゛エ゛ッ」と反射的に声が漏れ、男は微笑を湛えたまま「ああ、よかった。声は出るんだな」と小首を傾げて見せた。
 やばい。こいつ、やばいやつだ。
 心臓がごんごんと体内で暴れている。腕を目一杯突っ張ってみたが、腕輪は外れそうになかった。鎖も暴れたくらいではちぎれないしっかりした作りのものだ。ベッドが壊れそうにギシギシ揺れる。もがく俺を見下ろして、男はふっふっと軽い笑い声を立てた。
「逃げたいのか? 来たばかりなのに困った子だな」
「…あんた、誰なんだ…!」
「ま、名前なんて何だっていいだろう。きみの飼い主だということだけ認識していてくれ」
「お、俺はペットじゃない」
「そうか? じゃ、今この瞬間からペットだ」
 する、と頬を撫でられて悪寒が走った。そこに明らかに性的な匂いがしたからだ。
 乱暴目的、あるいは倒錯的趣味による監禁。女性や子ども相手ならそこまで珍しいことではないだろう。だが俺は20代後半の男だ。女に見紛うような中世的なタイプでもない。男の欲望のターゲットにされるなんて信じられない。
 しかし目的が何にしろ、俺の自由も命も男の手に握られているのは間違いなかった。
「ゆ、許してくれ」
 許しを乞う覚えなどないが、恐怖から口走っていた。無事に解放してもらえるなら土下座でもしよう。ガチガチと歯を震わせながら嘆願すると、男は再び小首を傾げた。
「怯えなくていい、きみはまだ何も粗相はしてない。躾が終わるまでは拘束はさせてもらうけれど」
「何をするんだ…?」
「痛いことはしないよ。今日は土曜日だから今日と明日は休みだろう。きちんと会社に行けるように日曜の夜には出してあげる」
 …俺のことを知ってるのか…!?
 ストーカー、なのだろうか。普段の生活で『誰かに見られているかもしれない』などという疑いすら抱いたことがなかったのでぞっとする。勤め先も住所も知られているのか?
 他人に知られてやましいことは別にないが、見ず知らずの人間に一方的に知られている不快感とはまた別だ。表情を強張らせて見上げると、「まあ、きみの個人情報については、調べればわかる程度のことは知ってる」と男は心の声に答えるかのように頷いた。
「新居和眞、27歳、R大卒、事務用品制作販売会社に勤続5年。出身は新潟だが大学進学を機に上京、しかし大学ではあまり友人ができず、会社でも同様、したがってこちらには知人が殆どおらず休日は家にこもりきり――若いのに寂しいことだな?」
「あ…あんたに…そんなことを言われる覚えは…」
「教えてあげようか? きみは容姿が際立って整ってる。だが愛想が無い。隙を見せない美人は他人に冷たく映るものだし、鼻についてあらぬ噂を立てられやすい。折角の顔があっても異性も寄ってこないだろうな。少しは媚を売ることを覚えなければ」
「―――」
 慈しむように頬を撫でる手に、一瞬、カウンセリングか何かを受けている気になった。男は自分のためを思って道を正そうとしてくれているのだ、という錯覚――そう、錯覚だ。これは犯罪であって、決して許容していいものではない。
 けれど、同時に心が疼いている。この男が自分を理解してくれるのではないかという期待に。
 故郷を離れてずいぶん経つが、確かに自分には友人と呼べる友人がいない。元来人見知りな上、知らない土地に対する警戒心から近寄りづらいオーラが出ていたのか、それを踏み越えて親しくなろうとしてくれる人間がおらず、会社でもどこか壁を感じてしまう。自分の考えすぎなのかもしれないが、誰も自分とはプライベートな付き合いを望んでいないような気がして、飲みに行って世間話ぐらいはするとしても、個人的な話をできる相手なんて皆無だ。
 高校までは意識することもなく友達ができて、むしろ友人は多い方で、彼女にだって不自由したことがなかった。それが粋がって東京へ出てきた結果、気負いすぎてうまくいかなくなった。以前は自然にやってきたことだったから、他人に心を開く方法がさっぱりわからない。かといって今更故郷に帰るのも逃げるようでプライドが許さない。
 一生こうなのかもしれない、薄っぺらい付き合いの中で孤独に年をとっていくのかもしれない、という恐れを、目の前の男には見透かされている気がした。
 その心境が表情に出たのか、男は満足げに頷いて、言った。
「それじゃ、躾を始めようか」

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