客の去った応接室には、コロンの香りが濃く残っていた。
 革張りのソファに背を沈めて溜息を吐いていると、ノックの音が3回鳴った。その微妙な音量と間隔の差で、3人雇っている執事の内の誰か、という事が大居には解る。ドアを開けた人物はやはり、一番若い二十代前半の戸森という青年だった。
「失礼いたします」
 盆を携えて重厚な樫のテーブルの脇に跪きながら「いかがでしたか」と控えめな声で尋ねる。どうぞ、と発した先ほどの声で主人の機嫌が良くないことくらいは察しているのだろう。戸森は以前大居の家に勤めていた使用人の子で幼い頃から出入りしており、18で執事として勤めて始めたので大居との付き合いは長い。それに加えて生来聡い青年なので、身の周りの事は彼に任せておけば間違いない。
「あまりよくなかったな」
「…そのようですね」
 ろくに手をつけられていない紅茶を見て、平素表情を変える事の少ない戸森が不満げに眉を顰めた。彼は紅茶については一家言あるのだ。高い葉なのだろう。
 先ほどまでこの応接室にいた客人とは 土地に関する商談をしていたのだが、提示しあった条件が噛み合わず決裂した。こちらの求めるものの多さに相手方はあからさまに不機嫌になったが、仕方ない。はっきり言ってこちらには潤沢な資金的余裕があり、一致しない利害をすり合わせてまで商売を成立させようという切実さは皆無だ。
 丁寧に食器を片付ける青年の、隙のない横顔をソファーに座ったままじっと観察する。伏せた睫毛が長い。ソーサーを重ねる際、カチャンッと耳に障る音が立った。彼らしからぬミス。黙ったまま目礼をする。指先が微かに震えていた。
「よくなかったな」
 繰り返すと戸森はゆっくりと視線を上げた。片側はきっちりと撫でつけ、片側の前髪だけ垂らしたアシンメトリーの黒髪は、セクシーでよく似合っている。
「気分が悪い。片付けは後でいいから、切り替えさせてくれないか」
「…かしこまりました」
 微妙に躊躇うような間を空けるのは、一種の奥ゆかしさの演出に過ぎない。執事である彼に拒む権利はないのだし、また、拒む気もないのだから。

 最初に手を付けたのは戸森が12の頃だった。大居は40手前の頃だ。戸森は母親に似て目が大きく線の細い子供で、女の子と間違われる事があるほど可愛らしかった。
 当時存命だった大居の父は戸森の母親によく目をかけていた。ただし異性としての情はなかったように思う。若い頃に事故で亡くした妹によく似ていると言って目を細めていた。読書が好きだという彼女の息子は、好きな時に書斎に入って良いと言われ、母親に伴われて夏休み中度々屋敷へ来るようになった。大居の父はジャンルを問わぬ読書家で、小学生が好んで読むようなファンタジー小説や冒険小説も多く所有していた。
 その頃大居の妻は妊娠中だった。ゆえに欲求の発散場所がなかった。大人しくて可愛らしい戸森少年はうってつけだった。
 父の書斎を訪れ、その行為が何なのかよく解っていないようだった戸森少年に舌を使って舐めさせ(咥えさせるには躊躇うほどまだ少年の顎は小さかった)、自分が放出した後は時間の許す限り少年の身体を弄んだ。当時戸森少年はまだ精通を迎えていなかったため、極端な話、何回でも絶頂を迎える事ができた。何も知らない精神と肉体へ快楽を刻み付けるのは造作もなかった。屋敷へ来るたびに戸森は大居に行為をせがむようになり、目を潤ませて大人の手に溺れた。
 大居に長男が誕生した後も絶えず関係は続いた。少年は中学二年生の折に大居の手で初めて射精をした。互いに驚いたものだ。少年は大居のシャツを汚してしまったことを何度も詫び、命じると素直にシルクに舌を這わせて己の精液を舐め取り、その間に再び勃起した。
 その頃から大居は戸森の口を使うようになった。部活動で健康的に日焼けをした少年がうっとりと陰茎を咥えこむ様はひどく劣情を煽った。そう指示したことはなかったが戸森は必ず精液を飲み下し、もっと欲しがる素振りすら見せた。自分がもっと若ければと大居は何度考えたことだろう。
 大居は性欲旺盛な年頃の少年に自慰と屋敷の外での性行為を禁じ、戸森はそれを忠実に守ったようで、高校生の頃などは触れるだけで涙をこぼす程に感じた。二週間ほど海外へ出掛けた時など、屋敷で大居と顔を合わせるやトイレへ駆け込んで行き、意図せず射精してしまったことを顔を真っ赤にして打ち明けた。場所は書斎から防音の施されたシアタールームへ移し、声を出すよう躾けた。女とは程遠い肉付きの薄い身体とハスキーな声だったが、ゆえに魅せられた。
 屋敷の中で戸森の母と顔を合わせると「重敬様にはいつも息子を可愛がって頂いて…」と恐縮していたのが可笑しかった。戸森は親に事を漏らすような(あるいは悟られるような)愚か者ではなかった。今日はどんな映画を見せて頂いたのかと母に問われれば、事前に調べておいた映画のあらすじをすらすらと述べたという。

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