マンションのエレベーターを降りる瞬間は、いつも緊張する。
 エレベーターを降りると向かって右手にドアがずらりと並んでおり、手前から数えて二つ目が佳一たち家族の暮らす家だ。自宅のドアに向き合って鍵を開けている間も、右半身がぴりぴりと強張る。見られているのではないかという錯覚で。
 玄関の鍵を開けて家に入ると、「おかえりーっ」とめいっぱいの歓声を上げて息子が駆け寄って来て、そこで一気に緊張が解ける。一日の疲労がほろほろと溶けていく瞬間だ。「ただいま〜」と答えながら手を伸ばして抱き上げ、続いて「おかえりなさい」と笑顔で顔を覗かせる妻に答えながらリビングに入る。
「ご飯もうできるからね」
「うん」
「ほらユウト、手伝って」
「はあい!」
 息子がぱたぱたとキッチンへ駆けて行くのを見送りつつネクタイを緩める佳一の顔には自然と笑みが浮かぶ。
 3歳の長男は可愛いざかりだ。ある程度手がかからなくなる歳でもある。仕事も順調だし、そろそろ二人目を…と佳一としては希望している。
 寝室でスーツから部屋着のフリースとスウェットに着替えていると、玄関チャイムの音が聞こえた。ぎくりと身体を強張らせ耳を澄ますと、インターフォンで応対する妻の「あら暖人くん!」という弾んだ声が聞こえてきて、一気に息苦しくなった。すぐに玄関の開く音がして、くぐもった話し声がきこえてくる。
 できれば居留守を使ってしまいたかったが、佳一が帰宅したのを確認して来ているのだろうからバレバレだし、なにより顔を見せなければ妻に訝られる。仕方なく玄関へ向かうと、談笑していた隣人の大学生ーー暖人が「こんばんは」と礼儀正しく頭を下げた。
「お仕事帰りでお疲れのところすみません。あの、玄関の電球が切れちゃって、台使っても微妙に届かなくて…」
「あーもうどうぞどうぞ使ってください! でかいのだけが取り柄ですから!」
「お前な…」
 さらりとこき下ろされて苦々しい声を出す。夫の意思を確認せずに請け合うのはいつものことで、それを本気で忌まわしいと思っていることはたぶん伝わっていないだろう。
「あはは、すみません、お借りします」
 くしゃっと鼻の頭に皺を寄せる暖人の笑顔は親しみやすくて感じが良い。ふわふわのパーマをかけた茶髪、同性でも見惚れそうになる整った小さな顔に、手足の長い体型。今時の大学生そのものといった印象だ。妻いわくなんとかという若手俳優に似ているらしく、可愛い可愛いと顔を見るたびはしゃいでいる。
 本来なら自分は妻の浮気を心配する立場なんだろう。こんなにシュッとした若い男が隣に住んでるんだから。けれど現状、彼を警戒しなければいけない理由は別のところにある。
「あ、でもこれから夕飯ですよね? お食事が終わってから手伝って頂ければ…」
「大丈夫よ、そんなに時間かからないだろうし。準備しておくから暖人くんも一緒に食べてって?」
「いいんですか? いつもありがとうございます」
 一人暮らしの暖人は我が家の食卓に招かれることも多い。そして彼はことあるごとに「いつもお世話になってるので」と息子へのおもちゃや菓子の土産を持ってくる抜かりのなさを持っている。気に入られるのも道理というわけだ。
 暖人について家を出ながら、胃の底が気持ち悪くて仕方なかった。ドアを開けて「どうぞ」と笑顔で促され、ノロノロと歩を進めて部屋に入る。ドアが重たい音を立てて閉まった。
 途端、肩を掴まれて玄関の壁に押し付けられた。視界が漆喰のくすんだ白一色になる。
「そんな怯えた顔しないでくださいよ」
 先ほどまでと同じ人好きのする笑顔……の筈だが、先ほどまでと違って目が不気味な光を宿している。そんな顔をさせてるのは誰だよ、と言い返そうと思ったが、暖人は続けて「興奮しちゃうじゃないですか」とへらりと笑った。
 好青年の皮が一枚剥がれると平然とこんなことを言う、これがこいつの本性だ。
「奥さんご飯の準備してくれてるんですもんね、手っ取り早く済まさないと」
「…勘弁してくれ。疲れてるんだ、今日は」
 身をよじって離れようとすると、耳元に唇を寄せられた。
「じゃあ今日これから発表会を開きましょうか? 奥さん、あの写真見たらどんな反応しますかね?」
 それを言われると、もう抗う術はない。脱力した佳一を見て暖人はくつくつと笑い、身に着けたばかりのスウェットに手を掛けた。
 なんでこんなことになってるんだろう。隣の部屋で食事の準備をしているであろう家族の顔を思い浮かべながら、諦めて目を伏せる。

 以前、妻が子供を連れて二人で帰省したことがあった。
 帰省といっても実家は同じ関東なので気軽なもので、その日も妻が地元の友達と食事をしたいからという理由でついでに実家に寄るような事を言っていた。妻は父親を早くに亡くしていて義母は一人暮らしなので、帰る事のできる時間でも実家に一泊するのが定例になっていた。平日だったので佳一は置いていかれ、仕事帰りに弁当を買って帰宅した。
 それを見計らって――というのは今だから解るのだが――暖人は家にやって来た。貰い物だという大吟醸を差し出され、当時はただ近所の好青年だとしか思っていなかった佳一は、当然の流れとして一緒に酒を飲んだ。
 子供が生まれて以来眠る時は必ず子供を間に挟んでいたので、夫婦の営みは長らくなかった。だから欲求不満だったのは確かだ。そして酔っていた。だからといって一回りも年下の男に手を出すような真似をするなんて、自分でも予想がつかなかった。今思えば暖人は、誘い慣れていたのだと思う。
 酔っちゃいました、とあざとい女子よろしく目を潤ませてしなだれかかってきた華奢な身体を思わず抱き寄せ、アルコールで色づいた唇に誘われるままにキスをした。その姿を、暖人が握っていた携帯で下方から撮られた。佳一の顔が完全に判別できる角度で。
 そこからが地獄の始まりだった。

「ん…あッ」
 ずるりと体内に異物が入り込んでくる感触は何度経験しても慣れない。対して指は受け入れる側の事情など知ったことではないと言わんばかりに思うままに蠢き蹂躙する。
「ん、言った通りに毎日ほぐしてるんだ?」
「………ッ」
「お風呂、お子さんと一緒に入ってるんですよね? いつしてるの?」
 囁く声を一度は無視したが、答えを強要するように指を深くまで突き入れられると耐えられなかった。
「…子供、先に上がらせて、後に…」
「子供の身体洗ったげた後にひとりでアナニー? あはは。やらしいお父さん」
 歯を食いしばる。子供の身体を洗ったボディソープを指にまとわせて自分の尻を犯すのがどんなに屈辱的で背徳的か。
 最初の画像を発端とし、今ではキスどころではない画像が暖人のスマホには収まっている。もちろんバックアップもとられているだろう。頼み事を作っては家に呼ばれて、あるいは残業だと嘘をつかされて会社から直で暖人の家に寄らされては犯された。
 歪んでいるのだ。『佳一の身体に』ではなく、他人を脅し虐げること自体に性的な興奮を覚えるのだ、この青年は。
「そろそろいいかな。時間がないし」
 佳一を玄関の壁に押し付けて背中に覆いかぶさるような体勢で暖人が呟いた。許可を求めている訳ではなく独り言に過ぎない。カチャカチャとベルトを外す耳慣れた音が聞こえて、間もなく指とは比べ物にならない質量を持ったものが押し入ってきた。
「うっ…あ…」
 圧迫感を不快に思うのは一瞬だけだ。後ろで得る快感を覚えさせられた体はすぐに体内を擦られる気持ち良さに震える。
「あっ、ん、あっ、」
 自分でもどこから出しているのかわからないような声が喉から溢れ出て空気を湿らせた。自宅と同じ作りの玄関でこんな行為に及んでいることが罪悪感を煽り、いやいやと首を振りながらももう本気で抵抗なんてできない。
「佳一さんて何回抱いても慣れないね。そういうところ最高。泣かせたくなる」
「ん、あぁ、そこ、んんッ」
 まだ出勤時にワックスで整えた形のままだった髪に指が差し入れられ、頭を掴まれて振り向かされた。若くて整った顔が満面の笑みで覗き込んでいた。この男の下半身が今生々しい熱で佳一を苛んでいるのだとは信じられないような爽やかさで。見た目には醜さはかけらもなく、だからこそ内面のひずみが際立って怖気を催させる。
 脳内でぐちゃぐちゃに混ざり合った罪悪感と羞恥と恐怖は、やがて現実から目を逸らすように快楽に飲み込まれて行く。
 始まった律動に合わせて腰が揺れる。 勃ち上がった自分の前がその動きに従って上下に揺れながら下腹を叩く。普通のセックスなら出し入れに使われる性器が触れられもせず、けれど腰を振りながら快楽を感じる時、男に犯されているのだと実感する。
「あ、あ…イく、もうイく…っ」
 上ずった声で告げた時、暖人の手が前に伸びた。張り詰めたものの根元を戒めるように握られ、「うっ」と反射的に声が漏れた。背を丸めようとするが背後の青年に許されない。 しゃくりあげるように喉がヒィヒィと鳴った。
「痛いっ…やめて、暖人くん…!」
 会社の後輩よりも若い、一回り下の大学生相手に、犯されて縋りついて泣いている。情けなさと痛みで涙が出た。こういう風に扱われて怒りが先に立ったのなんて始めの数回までで、今は反射的に萎縮し媚びている。『支配』とはこういう事なのだと身を持って知った。
「だって出し尽くしちゃったら奥さんとできなくなるよ」
 優しげな声で暖人は囁き、片手で締め付けながらもう片手で先を撫でるようにする。腰がひとりでにビクビクと揺れる。もっと、もっと。もう少しでイケるのに。堰き止められた快楽が体内で渦を巻く。
「いいの? 愛する奥さんのこと抱けなくて」
「いい、イイから、イカせてくれ」
「そっかあ、どっちにしろもう奥さんじゃイケないか? 佳一さん、お尻大好きだもんね。もうただの雌犬だもんね?」
「ん、あぁっ、そ、です」
 屈辱的な事を言われているのはうっすら理解していたが、生理的な欲求に理性は勝てなかった。暖人が声を上げて笑う。そして、戒めは緩められないままゆるゆると律動が再開した。
「しょうがないな。じゃ、中に出してって言って」
「っかに出して…」
 抵抗するだけ無駄だという事は精神に刻み付けられている。暖人は完全に面白がるような口調で言葉を続けた。
「中に出して、孕ませて、って」
「……っ」
「言えるよね? 俺の言う事なんでもきくもんね? 俺のザーメン欲しいよね?」
 追い詰める口調はいっそ無邪気で、息子が「パパあしたどうぶつえんつれていってくれるんだよね?」と念押しする調子とまるで一緒だった。けれど男の扱いに長けた身体は奥を抉るようにして攻めてくる。頭の中は完全に解放を求める叫びでいっぱいだった。
「欲しい、孕ませて欲しいからぁ、いっぱい、中に、中にくれっ」
「いいよ」
「ひぃあ、ア、やら、やっ…! あっあっあっ…!!」
 前を自由にされる、と同時に、激しいリズムが刻まれ始める。待ち望んだ放出の快楽に浸る間もなく揺さぶられて、精液を撒き散らしながら大声で喘いだ。今妻にドアの前に立たれたら確実に漏れ聞こえる、でもそんな事に構っていられない。中に熱いのが欲しい、完全に貶めて欲しい。
 ああ、もう、最悪に気持ちいい。
「あ、イクよ、佳一さん、イク…」
 暖人の射精はだらだらと長く続いて、息が整ってから「晩御飯なんですかねぇ」と囁かれながらぐちゃぐちゃに濡らされた内壁を前後に擦られて佳一は呆気なくまたイった。妻と息子の笑顔を脳裏に浮かべながら。
 髪を整え直さなきゃ、と冷静に思う一方で、こんなに蕩けた身体で帰ったら家族にバレてしまうんじゃないかと思うだけで顔が火照り、「締め付けないで。まだ欲しいの?」と嗤う暖人の言葉に反論できなかった。身体を重ねるごとに精神も肉体も絡め取られ、色んな意味で離れられくなって行く。
 もう、引き返せない。

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