自分でもなんでこうなったのか、時々わからなくなる。特別大きなきっかけとか、胸にずきゅんとくる何かがあったわけじゃない、だけど。


「佐和、おはよう」
「…おはよ、松川」


眠そうな顔をして隣の席に座るそのクラスメイトを、どうしてか好きになってしまった。今日もホームルームが始まるまでの数分間、携帯をみているふりをしながら、横目で松川の行動を観察する。頬杖をついてぼんやりどこかをみつめては、一つあくびをして、ぱちぱちと瞬き。いつもそんな顔だけど、今は本当に眠いのか、机に突っ伏して表情は隠れてしまう。残念な気持ちは少々、でもこれで心置きなくみていられる。


「(髪くるくるだ…)」


短めのその髪は天然なのか曲線を描いて、いつもわたしの目を惹きつける。触ったらどんな感じがするんだろう。松川の髪って、どんなにおいなんだろう。


「(…って、わたしは変態か)」


自分自身に小恥ずかしい気持ちになって、松川と同じように机に伏せた。その目はいつもどこをみているんだろう。座っていると少し距離があるせいかあまり気にならないけど、一日に何回ぐらい、その高い場所にある視界にわたしは映ることができているんだろう。


「(もっと、背が伸びればよかったのに)」


そしたらちょっとは、なんて考えているうちに、瞼がだんだん重たくなっていった。




「……佐和、…ねえ、佐和」
「ん…?はいはい…」


誰かに肩を揺らされて、目をゆっくりと開く。教室の明かりが眩しい。しまった、少し寝ちゃったみたいだ。目をこすりながら、そういえば誰かに話しかけられたなと思い周りを見渡す。


「やっと起きた。結構何回も声かけたんだけど」
「…あ、そうなの、ごめん」
「ま、俺もちょっと寝てたけどね。もう担任来るだろうから起きてた方がいいんじゃない」
「そうだね、ありがとう」


びっくりした、まさか、まさか松川に起こされるなんて。いくら寝ぼけてたとはいえ、好きな人の声くらい瞬時に聞き分けてみせてよ自分。変な顔してなかったかな。いや、寝起きの顔なんて絶対変に決まってる。どうしよう。


「なに?」
「え?…あ、いやいや、なんでも」


思わずその横顔を直視していたら、気付かれてしまって目が合った。なんか、いつもと同じ感じ。変だと思われなかったのかな。なんだ、よかった。…あれ、よかった、のかな。


「(気にもされてない、ってことじゃないの、それは)」


それって全然、よくないじゃん。ぼうっと机の木目をみつめた。体が重くなる感じがする。沈んでくような、突き落とされるような。隣に視線をやっても、目が合うことなんて到底あるはずもなくて。ああ、朝からどうしてこんなに、酷い気分にならなくちゃいけないのかな。




「(…やだな、体育)」


だらだらと着替えを済ませたあと、下駄箱でクラスメイトたちが靴を履き替えてグラウンドに行くのを眺めていた。もうみんな行ってしまったのか、休み時間も残り少なくなったせいもあって、あたりは静まり返る。立ちっぱなしもつらいので座り込むと、ばたばたと足音が聞こえてきた。


「あれ、どしたの」
「…うん、ちょっと」
「腹でも痛い?」
「ううん、そんなことない。大丈夫」
「ふーん」


今日はよく松川に話しかけられるなぁ、なんて自分のつま先をみつめながら思った。嬉しいけど、嬉しくない。早く行っちゃえばいいのにな。今はちょっと、一緒にいるのがつらいから。顔を下げると、少しの沈黙のあと、また松川の声がした。


「じゃあ俺、行くけど」
「うん」
「本当に平気?」
「…大丈夫。ありがと」


だから早く、行って。人の気配がなくなった気がして顔を上げると、予想通りわたし一人。保健室に行って仮病でも装うかな。それとももう帰ろうかな。どっちにしろ、今日はもう松川とは。


「ねえ」


今の今までそこには誰もいなかったはずなのに。少し離れた場所から発された声に、びっくりして言葉を失った。


「やっぱり俺もサボろうかなって」
「……」
「とりあえずさ、教室行こ。ここにいたらすぐバレるし」


上履きに履き替えた松川は、動揺して動けないわたしの顔を覗き込んでそう促す。まともに何か返せる気がしなくて、ただ黙ってチャイムが鳴り響く廊下を松川と歩いた。




「やっぱ誰もいないと教室、静かだなぁ。変な感じ」


ね、と同意を求められて、目を逸らしながら頷く。特別、仲がいいわけじゃないのに、どうしてだろう。なんでこんなこと、するんだろう。純粋に喜べる心境じゃないんだけどな。だってきっと、その理由なんて気まぐれとか、なんとなくなんだ。それくらいわかってるから、能天気に喜べない。


「あのさぁ、聞いてもいい?」
「…なに?」
「佐和はなんでずっと俺のことみてたの」


息が詰まるような感覚が走った。バレた。バレてた。取り繕う言葉なんて咄嗟には出てこないもので、ぎゅっとつぐんだ唇が震える。窓の近くにいた松川が近付いて、思わず後ずさってしまう。


「なんで逃げるの」
「いや、あの…えっと」
「ていうか、下向かれたら顔みえないよ」


ずっとずっと、高い場所にあるはずの目がわたしの目の高さまで降りてくる。逸らせなくて、誤魔化せなくて。わたしの言葉を待っている松川に、こんがらがった頭のまま、もうどうにでもなれと本音を吐く。


「わたしは、松川が」
「うん」
「…その、だから…」
「うん」
「………好きだった、から」


ああ、言ってしまった。さよならわたしの片思い。当たって砕けろなんて笑わせる、砕けるくらいなら当たりたくないって。


「過去形にしないでほしいんだけど」
「…だって、」
「だめだよ、俺は今も好きなんだから」
「だってわたし、……え」


自分だけ好きなのはつらすぎるから、だから、わたしはもうやめようと思って。なのに松川からはやけに都合がいい言葉が聞こえてきて、聞き間違いか、夢かと疑った。だってそう、そんなのってありえない。少女漫画じゃないんだから。


「…う、嘘だ」
「嘘じゃないって」
「だって今まで、雑談だってろくにしたことないのに…好きになるわけ、ない」
「じゃあ、佐和が俺のこと好きって言ったのも嘘?」
「は、そんなわけないじゃん!」


自分でも、自分の声に驚いた。静かな教室に響いた音は、そのあとの沈黙を余計に演出する。すると突然、松川が小さく笑う。


「あんまり話したことなくたって、好きにはなれるよ。佐和がそうだったみたいに」
「…だけど、」
「俺じゃだめかな」


優しい声がゆっくりと、確かめるように問いかける。ごちゃごちゃと考えるよりも、一度言葉にしてしまった方がよっぽどシンプルでわかりやすかった。好きだった、じゃなくて、まだまだ大好きで、だから。


「……だめじゃ、ない」


嬉しくて苦しくていっぱいいっぱいで、どうしようもなくて。首を横に振れば、大きな手がぽんぽんと頭を撫でて、わずかに胸が高鳴った。


「ありがと」


そうはにかんだ松川は今までみたことないような表情をしていて、こんな顔するんだ、とまたどきどきした。気持ちが、あふれる。


「松川、あの、」
「うん、なに?」
「わたし松川が、好き」


と言ったその瞬間、ぶわっと体が熱くなる。何言ってるんだろう、もうちょっと違うことを言うべきだったはずなのに、なんてぐるぐる頭が回ると、無言でいた松川が面白おかしそうに笑った。


「はは、うん、ありがとう」
「ごめん、なんか頭の中とっ散らかって…」
「俺も好きだよ、佐和のこと」


びっくりして松川の顔をみやると、不思議そうに少し首を傾ける。好き、そうか、好き。変な気分、その言葉を噛み締めるほどに、どうしてか視界が歪んで、同時に笑いがこみ上げてくる。


「ちょ…あれ、笑ってる?大丈夫?」
「ふふ、あはは…うん、大丈夫。なんか嬉しすぎて、よくわかんなくなっちゃった」


この気持ちをなんて呼ぶのかわたしは知らないけど、ぽかぽかで心地よくて、そう、多分幸せってこんな感じなんだと思った。すると、松川がわたしの前髪を掻き分けて。


「!」
「…早く泣き止んで」


おでこにキスをした。ぴた、っと止まった涙を拭って、また早まる鼓動を抑えながら、その行為に意見する。


「い、今のはずるい!」
「えー、そんなこと言われても」
「ちょっとおでこ貸して!」


松川の服を少し強引に引っ張ると、慌てて屈み目の前までやってきたその額に口を押し付けて仕返しをする。唇を離すと目と目が合って、互いに笑いが吹き出した。なんだこれ、おかしい。


「佐和」
「なに?」
「次はここにしてもいい?」


そう言って松川の人差し指が唇に触れた。言葉の意味を理解するのは容易くて、けれど理解すればするほど焦ってしまう。


「ま、まだだめ、まだ早い!」
「だってそういう流れだったし」
「心の準備ができてないから!」


そんなやりとりをしていたら、狙ったように授業終了のチャイムの音がして、怒られたときの言い訳なんかを考えていたら、視界が暗くなって、むにっと何かが唇に触れた。


「しちゃった」


息がかかりそうな距離で降ってきた言葉に、身体中がより一層火照った。初めて言葉にした感情、初めて交わしたキス、初めて知ったその表情。初めてだらけで、だからもっともっと知りたい。さっきまでの暗い気持ちが嘘みたいに晴れていくと、子供みたいにたくさん笑った。



無知は罪、けれどこれから多くを知ることができるというのは、とても幸福なこと。


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