黒い髪が跳ねて、今日もわたしの目の前を通り過ぎてゆく。


「ツッキー!ご飯食べよう!」
「うるさい山口」


本を読んでいるふりをして、横目でいつも同じようなやりとりをする長身の二人を見つめる。彼はなんだか、いい。ゆるみきったその頬をつついてみたい。でも、きっと。

(わたしの前では、あんな顔してくれないんだろうな。)

月島くんに少しジェラシーを覚えると、不意にそのそばにいた彼と目が合った。


「?」


不思議そうな顔をした山口くんが見つめるものだから、わたしは本で顔を隠した。いけない、顔が熱い。深呼吸をして鼓動を落ち着かせると、彼はもう教室にはいなかった。ああ、できるならもう数秒くらい見ていたかったのに。決して、決して近くにいたいわけじゃなく、こうやって眺めているだけで今はいい。それで十分。



放課後、トイレで手を洗いハンカチを手探りで探すと、ポケットの中には何も入っていなかった。きっと何処かに落としてしまったんだろう。仕方なく水気を払って今日歩いた道を辿ってみるも、見つからない。気付けば教室まで戻ってきてしまった。すっかりひと気はない。

(教室になかったらもう、諦めよう。)

ため息をつきながら教室のドアを開けると、その音で振り向いた人影に思わず息を呑む。誰かがいるなんて思ってもみなかったのに、その人は。


「びっくりした…どうしたの、佐和さん」
「……あ、えっと…ハンカチを落として」


名前を呼ばれただけ、それが他の人なら気にもならなかったはず。なのに彼だと、山口くんだとそんな普通のことすら動揺してしまう。それを悟られないように目線を床に落とすと、足音が近づいてきて彼の上履きのつま先が見えた。


「もしかしてこれ?席の近くに落ちてたよ」
「…あり、がとう」


山口くんの手には確かにわたしのハンカチがあって、受け取る瞬間、少しだけ指と指が触れた。せっかくだからもう少し、話したい。逃げ出したくなった気持ちを抑えて、彼の顔を見ないまま話しかけてみた。


「…あの、部活、今日は休みなの?」
「え?…ああ、ううん、これから。というかもう遅刻なんだけどね」


あはは、と笑う声がする。ただ、顔は見えていないのに、彼は笑っていないような気がするのはどうしてだろう。心なしか、辛そうに聞こえるのはわたしの勘違いであってほしい。山口くんは近くの机に寄りかかると、独り言みたいな声量で話し始めた。


「部活、ちょっと行く気になれなくて。一年の中で俺だけ試合出れなくてさ、それで…うん、いろいろ考えちゃって」
「…そう、なんだ」
「…ごめんね急に、かっこ悪いよね。全然話したことないのにね、俺たち」


冗談みたいに笑うその声が虚しくて、胸の奥がぎゅっと掴まれるみたいに痛んだ。なんて声をかければ、どんな顔をしたら。教室はしんと静まり返った。


「……」
「……」
「…えっと、じゃあ俺もう行くね。佐和さんも帰り気をつけて」


山口くんはまた、また通り過ぎていく。見てるだけでいいのは本当で、だけど。


「…ま、待って」


何か伝えたい。それが何かは全く頭に浮かんでいなかったけれど、彼の鞄を両手で掴んで足を止めさせた。見上げたら、山口くんと目が合って、一瞬息ができなくなる。また視線を落として深呼吸すると、頭の中もいくらか整理できていた。


「なに?」
「…あ、あの…わたしは、運動部のことはよくわからないけど、山口くんは試合に出たいから部活やってるのかな、って思って…」
「……」
「山口くんにしかできないことだってあると思う、し…嫌になったならそれはそれでいいだろうし、嫌いじゃないなら続けてみてもいいんじゃない、かな…」


あれ、わたしは今何を言ったんだろう。支離滅裂な話になっていたんじゃないだろうか。偉そうに言ってしまったんじゃないだろうか。彼は何も言わないし、嫌われてしまったかもしれない。そう思うと、怖くて顔があげられない。


「……ご、ごめんなさい…」
「なんで謝るの?」
「…あの、なんか失礼なこと言った、かも…ごめん、気にしないで…」


ずっと掴んでいた彼の鞄から手を離すと、右手があたたかい何かに包まれた。それは人の手のように見えて、目線を少しあげればそこには優しく微笑む彼がいて。


「ありがとう、励ましてくれて」
「え、いや、そんなこと…」
「俺にしかできないことがある、なんて言われたことなかったからさ、すごい嬉しいよ。佐和さんと話せてよかった」


あの顔だ。月島くんと話すときの、ふにゃっとしたあの顔。こんなに近くで見れる日がくるなんて。思考が停止したわたしの左手は、何故かその頬に伸びて。


「…?」
「…っあ、ご、ごめんなさい!」


人差し指でやわらかい彼の頬をつついていた。自分のしてしまったことに気付くと血の気が引いて、握られていた手をほどいて逃げるように教室をあとにする。山口くん、何か言いたそうな顔をしてた気がするけど今はもうそれどころではない。階段を駆け下りて下駄箱に辿り着いたころには、息が切れて喉が張り付きそうになっていた。


「…絶対、変に思われた…」


左手の指先に残る感覚は嫌なものなんかじゃなかったけれど、それ以上に後悔でいっぱいで。そういえば、さっきまで彼に手を握られていたことをふと思い出す。手を…。


「……」


一人静かに熱くなる顔を手のひらで隠す。口元はだらしなくゆるんでしまって、冷静さなんて何処かに飛んで行ってしまった。






「……行っちゃった」


教室に残された俺は、佐和さんに触れられた自分のほっぺをさすった。


「…あれ、俺、熱あるのかな」


慌てて教室を出て行った彼女の赤い顔を思い出すと、やけに心臓の音がはっきり聞こえてくる。心地良い息苦しさと体温の上昇が混じって、なかなか体が動かなかったのはここだけの秘密。








▽みらら様

お久しぶりでございます。リクエストをいただいてから時間が経ってしまい、本当に申し訳ありませんでした。遅ればせながらではございますが、書かせていただきました。

今回は山口さんが同級生のヒロインに励まされる話を、とのことでしたので、密かに気持ちを寄せるクラスメイトという設定で書かせていただきました。

普段から仲がいい男女も素敵ですが、あまり接点のない方が個人的に好みなのです。みらら様はいかがでしょうか。少しでもお気に召すことができましたら幸いです。

最後に、大変長らく時間をいただいてしまい誠に申し訳ございませんでした。この度はリクエスト、そして勿体ないお言葉ありがとうございました。

芹沢


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