18
たった3週間だ。俺が監禁され、おかしくされたのはたったそれだけの期間だ。
2ヶ月も3ヶ月も監禁されていたら、そりゃぁ完璧に洗脳されて、すっかり彼の意のままになるだろう。
だけど、俺はたった3週間だった。
それだけで、俺はアルベリックにおかしくされて、好きだと言って、安心すると微笑みかけてしまった。
これって、本当にあり得る事なんだろうか。
アルベリックが巧みに俺を操ったのか。
それとも…。
俺も、本当は、もうずっと前から―――――――。
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「奥山…ごめん、俺やっぱりコレ食えない」
「え…な、に?どうしたの?」
突然立ち止まって言い出した俺に、奥山がキョトンと見つめてくる。
本当に…ごめん。
「俺が…悪いかった。俺…最低だ」
「古谷君?」
「俺、奥山と付き合えない…」
奥山の顔がくしゃりと歪んでいく。
これは罰だ。俺が都合よく逃げた罰なんだ。
「わ、わたし…私、何かした?」
「違う!…違う…俺が悪いんだ、嫌な事から逃げてばかりで、それで…俺奥山に逃げたんだ」
「……」
「奥山はすげぇ良い奴で、優しくて、温かくて…俺みたいな、逃げてばかりいる最低な男にも優しいから…だから甘えてた」
「でも、…っ」
大きな瞳に涙がたっぷり溜まっている。
あぁ、こう思うと奥山の顔をこんなに真剣に見たことはない…。
今まで一度もなかった。
本当に俺って最低だ…。
「逃げ道に、奥山を使いたくない…ごめん、俺…最低だ…ホントに…」
奥山は悪くない。俺が悪いんだ。何度もそう言って、泣いている奥山を家まで送る間、何度も謝った。
ごめん。本当にごめん。
でも、甘えるだけ、逃げ道にするだけじゃ、この先上手くいかないから。
「…わたし…わか、ってた…でも、ほんとに、好きだったの」
俺が奥山に逃げていると、うすうすわかっていたらしい。何から逃げているのかはわからないが、自分を真剣に見ていないことを。
だけど、”好きって自分じゃどうしようもないこと”でしょ?と言われ、俺は、そうかもしれない、と頷くことしかできなかった。
「…俺が悪いんだ…全部…奥山は優しいし、気も利くし…俺よりもっとずーーーっと良い人に出会える。絶対」
「……絶対?」
「おう!絶対!…絶対だから、それまで、俺を恨んでくれ…俺が全部悪いから、な?」
泣き腫らした痛々しい目を俺に向けて、軽く睨む。
それから、フッと解いて、小さく笑った。
「古谷君より良い人見つける…」
「おう…」
見せかけの笑みだったかもしれない。だけど俺はそれに、ほんの少し救われた。
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奥山と別れてから、俺は走っていた。
あの時、淡い栗色の髪を靡かせ、青い瞳で、俺を射抜いたあの天使から、逃げてきた時の様に、全速力で走っていく。
電車に伸び乗って、速く早くと、規則的に動く鉄の塊を急かした。
入るときと逃げる時、2度見ただけの高級マンションを、3度目にじっくり見る間もなく、走って入り、エレベーターに乗り込む。
「あーーっ!…何階だっけ!!」
エレベーターの扉は閉まったが、階がわからない。
にじゅう…にじゅう…。
…25。
なんとなく、今日の日付でチョイスしてみた。
俺とアイツがであったクリスマスの日
暫くして、ポーンッと鳴り、エレベーターが止まる。開いた扉を潜り降りて、辺りを見渡し…。角部屋…角部屋と呟きながら、記憶を頼りに歩いていく。
(ここ、か…)
ピンポーン。
試しにインターホンを押してみるが返事はない、ノックしても無い。
此処はオートロックで、こっちからはどうしても開かないし、合鍵も持ってない。
困り果てて、途方に暮れていると、ガラガラと何かを引く音が聞こえた。
「…ぁ」
廊下の先を見れば、空いた部屋を掃除する清掃員が、道具を持ってこちらに向かってくる。
「あの!すみません」
別の部屋の前で止まり、掃除に入るために持っている合鍵を通しているところで、ハッとして声をかけた。
「…なんでしょうか?」
中年のおばさんは、怪しむ顔をしながら、俺を見た。ここで清掃していれば、住人の顔も自ずと知れてくる。その知っている住人の中に俺がいないから、怪しんでいるんだろう。
「あの、あそこの角部屋に外人が住んでませんか?」
「え、えぇ…そうですけど…」
「俺、そいつの友達なんです!」
「…はぁ、で?」
「合鍵忘れちゃって中に入れなくて困ってたんですけど…開けてくれませんか?」
「…え?」
おばさんの手がゆっくりと腰についている無線に伸びていく。
まずい!!
「いや!あの大変なんです!その友達から、もう死にたいとか、いろいろ自殺をほのめかすようなメールが来ていて…危ない状態なんです!…お願いします!!」
俺はその場で膝をついた。
うん、我名がら、危機迫る演技だ…。
それが功を生じ、おばさんは慌てて合鍵で角部屋を開けてくれた。
部屋の電気は付いているが、人の気配がしない。
「け、警察に…っ!」
「変に大事にしたら、ダメです!俺は幼馴染ですから、もう大丈夫でしょう。少し話をしてきますから、気にしないで掃除を続けてください!お願いしますね!」
おばさんが顔面蒼白で言っているが、俺はそれを宥め、変に気にしない様に釘を打つ。
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扉を閉めて、室内に入った。
人の気配はない。
だけど、アル?っと声をかけてみると、寝室の方から、シーツの擦れる音が聞こえた。
「ここか…?、アルベリック…」
見慣れた俺の本当の部屋より、広々とした寝室。
ここにいた3週間、たまに読んでいた漫画が、そのまま床に散らばっている。
服も、逃げる時脱いだパジャマが、そのまま勉強机の椅子に掛けられたままだ。
俺が出てきたまま、残ったこの部屋。だけど、ベッドの上にはこんもりと膨らむものがあった。
アルベリックはダブルベッドと言っているが、俺が思うにキングサイズだ。なんたって、180超えと近いのが二人寝て、少し余裕があるんだから。
不自然な大きな膨らみをみて、少し笑いそうになるが、無言でソッと近づいて、ベッドに腰掛ける。
「アル…」
「……」
一度手でその膨らみを撫でてみたが、モゾリッと動いた後は、声をかけても反応がない。
しかたなしに、膨らみに寄りかかってみた。
「……」
「……」
布団越しに、温かさが伝わる。
がっしりとしたアルベリックの体躯では俺が寄りかかってもさほど揺れることはない。
「ケーキ…」
「っ…」
「ありがとうな。俺あの店の大好きなんだ」
「…」
俺が今話しかけている相手は、言葉無く返してくるだけだ。それでも俺は話を続けた。
「俺がちっちゃい時のクリスマスに、このケーキを取りに行かされたんだ。一人で――――」
すげぇ寒かったし、クリスマスのケーキを何で子供が取りに行かなきゃいけねぇんだって思った。
でも、その帰りに、目の前を天使が歩いてたんだ。
淡い栗色の髪と、海の様に青い瞳。
外国の人形というより、頬を赤らめ、くりくりした可愛らしい”天使”という表現がぴったりだった。
「でな、その子が道路に飛び出して、俺は持ってたケーキをぶん投げて助けに走ったんだけど…。その時のケーキもここのケーキなんだよな」
「……」
「そのあと、助けた天使から、キスをもらったんだ。それが、すげぇ嬉しくて…俺は走って逃げた」
アルベリックは布団の中で少し身じろぎするだけで、何も言わなかった。
一人で話すのも恥ずかしくなってきた。
でも、相手がアルベリックだと思うと、恥ずかしいものなんか何一つなくなってしまう。
俺は構わず続けた。
「あの天使、誰だろうな…。俺な、今も――――」
今も、その子の事が好きなんだ。
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