手の中にあるのは一つのリップクリーム。それはもう使い物にならないほどなくなっていて、もう少し使えば捨てられてしまうであろうもの。私、みょうじなまえはそれをぼんやり見つめて、溜息を吐いた。


「ただのおまじないだもんねえ…」


そのリップクリームの一番下に彫られたS.Hという文字。それは私の想い人のイニシャルであり、それももうすぐ消えてしまうのだと考えるとまた溜息が零れそうになった。


「何溜息吐いてるんだよ、みょうじ」


と、不意に背後から聞こえた男の子の声に私は肩が跳ね上がる。振り返ればそこには茶色い髪を揺らしながら首を傾げている半田真一くん、S.H、即ち私の想い人は半田真一くんなのである。


「うわあっ、は、半田くん!」
「…S.H?みょうじのイニシャルじゃ…ないよな」
「あっ、だ、駄目駄目!返して!」


気付けば私の手の内にあったはずのリップクリームは半田くんの手の中だった。今にもなくなりそうなリップクリームの縁に掘られたイニシャルに首を傾げる半田くん。バレてしまっては困る!慌てて奪い返そうと腕を伸ばしたけれど、半田くんはそれを軽々と避けていく。


「あのさ、みょうじ」
「なっ…なに」


不意に半田くんの動きが止まって私はあっさりと彼の手からリップクリームを奪還することに成功した。けれどあまりにもあっさりしすぎて少し驚いてしまう。彼の顔を覗き込むようにして窺えば少し頬を染めながら彼ははにかんでいた。


「実は俺知ってるんだよな、そのこと」
「え?そ、そのこと、って…」
「リップクリームの。おまじないなんだろ?女子が話してるの聞いててさ」


一歩半田くんが近寄ってきて私の目の前に立つ。ここは教室なのにとか、そんなことは既に私の頭の中にはなかった。半田くんはこの意味を知っている。これは、つまり。


「リップクリームの端に好きなやつのイニシャルを彫ってそれを使い切ると結ばれる、だっけ」
「あ、あのっ、その…えっと…」
「みょうじも可愛いことするんだな」
「どっ、どういう意味!」
「別に深い意味はないって」


それで、と話を続けようとする半田くんを見ることができなかった。恥ずかしくて今にもどうにかなってしまいそうだからだ。ああ、どうしよう、これで私の恋も儚く散るというわけだ。何がおまじないだ、叶うどころか無惨に散らせてしまったじゃないか!


「俺、このイニシャルに見覚えあるんだけど」
「う、う…」
「もし当たってるなら今すぐみょうじのこと抱きしめるんだけど」
「…え?」


思わぬ言葉にぱっと顔を上げる。そこには期待したような表情で私を見つめる半田くん。がやがやと騒がしい教室の中、もう少しで授業開始のチャイムが鳴り響きそうだ。私は生唾を飲み込んだ。


「このS.Hって、誰のことなんだ?」


ドキドキと煩くなる鼓動もそのままに私は口を開く。同時に鳴り響くチャイム。その音を聞きながら、私は笑顔でこう言った。


「最初は『は』だよ!」



雛瀬なゆ様へ(半田真一/甘め)



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