「なまえ、離して」
「いや」
「俺、もう部活行かなきゃ」
「いや」
「なまえも早く帰らなきゃいけないだろ?」
「行かないで」
駄々を捏ねているのは私、困っているのは一之瀬一哉。私は彼の背に腕を回したまま頑なに離れることを拒んだ。私と一哉はアメリカで知り合った幼なじみのようなもので、私はずっと彼のことが好きだった。大きくなってもサッカーやろうねとか、好きでいてねとか、そんな幼い約束を何度も交わしていたのをよく覚えている。けれどそんな一哉は交通事故で亡くなったのだ。聞かされた時は絶望的だった。ようやく立ち直り私も成長して中学二年生になったとある日のこと、転校生と言われ教室に入ってきた男の子は、正に私の初恋の相手だった。
問い詰めればやっぱり一哉本人で、本当は死んでなかったんだとかもうサッカーできるくらい元気になったんだとか聞かされた時は本当に嬉しかった。けれどそれと同時に私の心に芽生えた感情は、恐怖。また彼を失うことになるのではないか、また私の目の前から居なくなるのではないか。そう思うと、少しも離れたくなかった。
「なまえー、俺は部活に行くだけだよ?」
「また、居なくなるかもしれないじゃん」
「もう居なくならないから」
「そんなの、分からないでしょ!」
顔を上げると少し驚いたような表情を浮かべた一哉。私の瞳には涙がいっぱいで彼がぼやけて映っていた。彼を失うことが怖い。私の目の前から消えていってしまうことが、怖い。
「もう…あんな思いしたくない…」
そう言ってもう一度彼の胸に顔を埋めた。真新しい制服に私の涙が落ちていく。汚してしまったなあ、悪いことをしたなあ、そう思いながらも離れようとは思わなかった。すると不意に後頭部に感じたのは温かく優しい手のひら。
「ごめん、いっぱい悲しませて」
「…」
「もう勝手に居なくならない。ずっと傍にいる。なまえを泣かせたりしないから。だから顔、上げて」
少し躊躇した後、私はそっと顔を上げた。するとさっきとは打って変わって柔らかい笑みを浮かべた一哉がいた。私の後頭部を撫でながらもう片方の手で目元に触れ、涙を拭ってくれる。背は少し高くなったけど、それ以外は全部あの頃の一哉だ。そう思った。
「なまえのためなら、俺は何度だって蘇ってみせるよ!」
明るく私の大好きだった一哉の笑顔に釣られて、私も頬を緩める。何時の間にか涙は止まり、一哉の制服を濡らすことはなかった。
「ただいま、なまえ」
「…おかえり、一哉」
美薙華様へ(一之瀬一哉/シリアス)
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