(何かが変わる)
(そんな音を聞いた)




おかしいと感じたのは、いつからだったか。そんなどうしようもないことを考えても結局答えは出なかった。ただはっきりとおかしいと分かったところがある。それは私の中にあった。
私はずっと一人でよかったし、それが悲しいとも嫌だとも思ったことなんてなかった。望んで一人になっていたし、同情なんかいらない。私は一人でいい、そう思っていた。そんな中急に現れたのがあの鬼道有人という人物。私の中にずかずかと入り込み、いつのまにか私を一人にはしてくれなくなった彼だ。昼休み、そして最近では授業の合間の休み時間にもたまに話しかけてくる。一体彼が何を思ってそうしているのか、私が知るはずもないのだけれど…以前のように嫌だと一言断ることが出来なくなった私も存在する。即ち、嫌じゃない。人間と接するのがあんなに嫌だった私が鬼道有人と接することだけは嫌じゃないと感じるようになっている。人間に慣れたのかと思ったこともあったが、そうではないらしい。他の人間を相手にした時は相変わらず嫌悪感というか、関わりたくないといった気持ちが大きく膨らんでいく。これを感じない人物を、私は一人しか知らないようだった。でもどうしてよりによってそれが鬼道有人なのか。彼は一之瀬一哉のように皆に好かれるような優しさを持っているとは思わないし(多少はあるんだろうけれど)、明るくもないと思う。もしも私に構ってくるのが一之瀬一哉だったとしたら、私は彼にも同じように思うのだろうか。…多分、それは否なんだろう。理由は私にも、分からないけれど。
そういえば以前鬼道有人目当てで教室に来ていた女の子たちに何か言われた日以来、私は彼女たちを見ていない。何かされるんだろうと思いきや何もされなかったし、教室の前で鬼道有人を見ているということもなくなった。それがどうしてか、私には分からない。何はともあれ面倒なことにならなくてよかったと思うのみである。

私は相棒こと一眼レフカメラを手にして空を見上げていた。ぽろぽろと涙を零す灰色の空はいつものように晴れ渡ってこそいないけれど、これはこれで綺麗だと思う。昇降口の端の方、続々と帰っていく生徒を背景にぱしゃりとシャッターを切った。今日も空は綺麗だ。
けれど私の心は憂鬱である。何故ならこんな雨の中、傘を忘れてきてしまっているのだから。他の生徒は持っていないにせよ誰かの傘に入れてもらったりしているけれど、生憎私にはそんな仲の人間なんていない。


「私は濡れてもいいんだけど…」


…相棒が。いくら鞄の中に入れるとはいえ精密機器、相棒はデリケートなのである。少しでも水がしみこんで相棒を濡らしてしまったらと思うとぞっとする。今まで撮った写真は愚か、これからもう写真を撮ることができなくなってしまうだなんて。そんなことを考えて私は昇降口からの一歩を踏み出すことができないままでいた。


「藤城?」


名前を呼ばれ振り返るとそこには例の男の子。というか、鬼道有人が立っていた。不思議そうな表情(ゴーグルをつけているからよく読み取れないが)を浮かべながら立っている彼の片手には一本の傘。


「こんにちは、鬼道くん」
「何をしているんだ」
「雨が止むのを待っています」
「今日中には止まないらしいぞ」
「…そうですか」


最悪だ、結局濡れて帰るしかないじゃないか。そう考えていると隣でくすくすと笑う声。溜息を吐きたい気持ちを堪えて其方へと視線を向けた。


「珍しいな、お前に抜け目があるとは」
「私は完璧な人間じゃないので」
「俺にはそういう風に見えていた」
「買い被りすぎです」
「濡れて帰るのか?」
「そうするしかないですし」


途中で傘を買うにもどちらにせよ濡れるしかない。鞄を抱えて走れば大丈夫かと諦めていた矢先のこと。不意に後ろから「あー!」と可愛らしい声が耳に届いた。次はなんだと思って振り向くと、そこには赤い眼鏡を駆けた女の子。


「この人だよね、藤城ゆい先輩って!」
「ああ、そうだ」
「…」


女の子のよく分からない言葉に返事をしたのは鬼道有人で、私は何も言うことができない。じっと彼女を見つめるだけだ。女の子はと言えば私の方によってきて可愛らしく笑ってみせた。ああ、笑顔ってこんなに眩しかったっけ、そう思うほど彼女は綺麗に笑っていた。


「私、一年の音無春奈っていいます!藤城先輩のお話はよく聞いてるんですよ」
「…どうも」
「春奈、そういえばお前、傘持ってないか」
「傘?うん、持ってるけど」
「忘れたらしい、貸してやってくれ」


鬼道有人が下の名前で彼女、音無春奈を読んだ。とても親しげな様子に驚き、またしても私は別の意味で言葉を失ってしまう。目の前で繰り広げられるやり取りに私が口を挟む前に、音無春奈はこれまた可愛らしい折り畳み傘を私に差し出してきた。


「どうぞ!」
「え、でも、」
「いいんです、私使いませんから」


ね、と言って無理矢理私の手に握らされた可愛い折り畳み傘。呆然とする私を前に音無春奈は鞄を持ち直すとにっこり笑いかけた。


「…ありがとう、ございます」
「いいえ!またお話聞かせてくださいね。私、藤城先輩と是非お話してみたかったんです」
「おい、その辺にしておけ、春奈。行くぞ」
「あ、はーい!じゃあ失礼します」


既に昇降口を出ようとしていた鬼道有人を追って音無春奈は私に一度頭を下げてからそちらへ駆け寄り、鬼道有人の差す傘に入った。嬉しそうに笑いながら彼の腕に抱きついて、何処となく鬼道有人も薄らと微笑んでいるような気さえする。二人が校門を出て行くまでぼんやりとその後姿を見つめていた。


「…彼女」


私の頭に浮かんだ一つの言葉。いないと言っていたが、なんだ、いるんじゃないか。まあ確かに私なんかに本当のことを言うこともない。何にしろただ昼休みに逢うだけの、たまに休み時間に話すだけの仲だ。私にとっては少し珍しい人間なだけで。
胸の中を何とも言えない、名付け難い気持ちが支配する。初めてのそんな妙な感覚に首を傾げながら私は音無春奈が貸してくれた傘を開いた。ピンク色の世界が私と相棒を包み込んで、空の涙から私たちを守ってくれた。











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