(私が知っていたのは)
(屋上の彼だけだった)





あのプリンの日(私が決めた)から、私の鬼道有人に対する嫌悪感は薄らいだ。まだ人間と関わることは出来るだけ避けたいと思っているし、自分から好んで彼と会話しよう、接しようとは思わない。けれど、昼休みに屋上に来ることくらいは特に嫌だと思うことはなかった。

とある日の放課後。授業も当たっていた掃除も全て終わり、後は帰るだけとなって荷物を肩に掛けた時のこと。ふと担任の先生が近寄ってきて、荷物を運ぶのを手伝って欲しいと言われた。私は特に何か部活に入っているわけでもなければこの後用事があるわけでもない。首を縦に振ると教卓の上に置いてあったプリントを両手で担ぎ、職員会議だか何だかで居なくなった先生に言われた教室へと向かう。講義室へ運んでくれ、とのことだったはず。肩に掛けた荷物がずり下がらないように気をつけながらその教室へゆっくり歩を進めていった。
と、不意に角を曲がった時のこと。


「っあ、」
「うわっ、ごめん!」


どんっと鈍い音がしてプリントがヒラリと宙を舞う。何とか倒れないように足を踏ん張ったからよかったものの、辺りにプリントが散らばってしまった。それよりも私はぶつかった相手に対し申し訳なく思い顔をあげる。それは私も知っている顔だった。


「って、藤城じゃん」
「…すみません、一之瀬一哉くん。大丈夫ですか」


みんなの人気者である彼が私の名前を覚えていたことに驚きだ。いやそんなことより、と私は軽く頭を下げて彼に謝った。「俺は大丈夫。こっちこそごめん」そう言って一之瀬一哉は廊下に散らばったプリントを拾いにかかる。私もしゃがみこんでそれらを拾いながら口を開いた。


「いいですよ、一之瀬一哉くんは急いでるみたいですし」
「いや、俺がぶつかったから。…っていうかなんでフルネーム?」
「別にこれと言って理由はありません」
「ふーん…苗字だけでいいのに」


変わってるなあと言われた。別にそう言われること自体は大して大きく捉えてはいない。けれど目の前の彼はクラスの女の子たちが騒いでいるとても明るい笑みを浮かべていた。その笑顔が自分に向けられるとは微塵も思っていなかったので、一瞬思考が停止する。そうしている間に一之瀬一哉は散らばっていたプリントを全て拾い終わり、「はい」と私にそれらを差し出した。そっと手を伸ばす。


「ありがとう、ございます」
「どういたしまして、機械人間さん」


プリントを受け取ろうとした手が止まった。いつか聞いた呼び方だなと思いながら既に立ち上がっている一之瀬一哉を見上げると、彼は未だにこにこと明るい笑顔を浮かべている。まったく嫌味っぽくなかったからか、鬼道有人に最初に言われた時ほど苛立ちは感じなかった。


「前に鬼道から聞いたんだ」


鬼道有人から。そう言われて軽く首を傾げてしまった。私は特別人間観察をすることはないけれど、鬼道有人と一之瀬一哉は全く逆の性格をしていると思う。そんな二人が仲良さそうにしているところなんて見たことがなかったから、どうしてかと簡単な疑問を抱いた。そんな私に気付いたのか、一之瀬一哉は相変わらず人当たりのいい笑顔を浮かべたままだった(私は、そんなに惹かれなかったけれど)。


「俺もサッカー部だからさ」
「…サッカー部?」
「え、藤城、鬼道がサッカー部だってこと知らないの?」
「はい」
「そうだったんだ。てっきり鬼道から聞いてるのかと思ってた」


受け取り損ねていたプリントの束をもう一度差し出されてようやくそれを掴む。もう一度両手に抱えなおしていると「手伝おうか?」と声を掛けてもらった。私は緩く頭を左右に振ることでそれを断る。


「鬼道は天才ゲームメーカーなんだ。見たことないなら後で廊下からでもグラウンド見てみたらいいと思うよ」


それじゃあね、と軽く手を振って一之瀬一哉は私の横を通り抜けて行った。最初から最後まで爽やかな人だと思った。だからと言って必要以上に関わりたいとは思わないけれど(だってきっと、私には眩しすぎる)。小さく息を吐いてゆっくり歩を進め始めた。講義室は目の前だ。














講義室の机の上にプリントの束を置いて、ふうと息を吐いた。西日が教室を赤く染めていて、もうすぐ日が落ちるんだと分かった。ふと思い立ったかのように鞄から相棒こと一眼レフカメラを取り出して、私は講義室の窓から空に向かって構える。綺麗なオレンジだと思いながらシャッターを切った。ぱしゃり。
ふと下を向けばそこは広いグラウンド。茶色が広がる其処を見てふと先刻の一之瀬一哉の言葉を思い出す。鬼道有人は、天才ゲームメーカー。色々な部活が練習している中、私はサッカー部の姿を探した。独特の黄色いユニフォームに身を包んでいた上に真っ青のマントを身に着けた男の子が一人、しかも見覚えのあるゴーグルときた。鬼道有人が何処にいるのか私はあっという間に見つけることができた。


「…ゴーグルにマント…」


一体どこからそんなことを思いつくんだろうと考えて首を傾げてしまうけれど、そんなことはさっさと忘れてしまおうと首を振る。
グラウンドの鬼道有人は他の部員みんなに指示を出していた。確かにゲームメーカーと呼ばれるだけのことはあるのかもしれない、とサッカーを知らない私でも分かる。ああ言えばこう言う、そんな彼が真剣な表情でサッカーに取り組んでいる。屋上での彼しか知らない私にとっては不思議な光景だった。
いつの間にか私は未だ持ったままの相棒を構えてグラウンドで指揮を取る鬼道有人にレンズを向けていた。今まで人など一度も取ったことがなかったのに何故かその時は撮ってもいいと思えた。
動き回る人を撮るのは難しいと思いながら、ちょうど此方へ身体を向けた瞬間にシャッターを切る。静かな教室に二度目のぱしゃりという音。相棒を目から離して撮ったばかりの画像を確認する。一枚目はオレンジ色の夕焼け空。そして二枚目は、


「…鬼道、くん」


小さな声でその画像に映った彼の名前を呟いてみる。それから鞄にしまって講義室を出た。
空ばかりだった私のカメラに、初めて人が写った日。









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