(これはきっと)
(ただの深刻なエラーである)




夕日で真っ赤に染まる稲妻町。それを見下ろしながら私は風に吹かれ、小さく息を吐き出した。呼び出した本人は未だ現れず、私が一人で待ちぼうけを喰らっているだけである。同じクラスなのにどうして遅くなるのか。ユニフォームに着替えてから来るのか。…それでもまあ、彼の言う通り私は帰宅部なわけだから何も用事なんてないんだけれど。そう思っていると背後でぎいっと軋むような音がした。


「思ったより早かったな」
「鬼道くんが遅かっただけです」


サラリと返した言葉に返事はなかった。彼は何事もないかのように私の隣に歩み寄ってくるとフェンス越しに稲妻町を見下ろす。その横顔を窺ってみた。その姿はサッカー部のユニフォームに身を包んでいて、青いマントが風にはためいている。その青い色はまるで昼間の空のような。ぼんやりそう思っていると不意に鬼道有人が口を開いた。


「あまり長くは居られない」
「鬼道くんは部活もありますから」
「まあな」
「で、言わせたいこととは?」


身体を鬼道有人の方へむけ、改めてそう言った。すると鬼道有人も私の方へ身体を向ける。彼を照らす赤い夕日のせいか、なんだか普段の彼ではないような気がした。


「お前の口から直接聞いたわけじゃないからな」
「何をですか」
「お前自身の気持ちを、だ」


鬼道有人の口角が上がりにやりと笑みを浮かべられる。その言葉の意図を掴み損ねた私はぽかんとした表情を浮かべて彼を見つめ返した。


「前に言っただろう、お前は俺に恋愛感情を抱いていると」
「…言いました」
「普通、告白する時にそう言うか?」
「え」
「いくら機械人間でも、この意味は分かるだろうな」


つまり、あれだ。鬼道有人は私に今改めて告白してみせろと言っているのだろう。ゴーグルをしたままニヒルな笑みを浮かべる鬼道有人は私から目を離さずそう言うと促すように軽く首を傾げた。そこで鬼道有人の言う通りに、というのはどうにも私にはできないらしい。僅かに疼いた反抗心を抑えようともせず私はじっとその嫌な笑みを見る。


「そういえば順番がおかしくなってしまいましたね」
「俺としては今此処で軌道修正してもらいたいんだが」
「じゃあ、鬼道くんから」
「…何故俺からなんだ」
「どちらでも同じでしょう?」
「そう言うなら藤城からでも構わないはずだ」
「ええ、でもできれば手本を聞かせていただきたく」
「俺も手本を聞いてからにしたいな」


まったく折れる気配のない鬼道有人に対し、私は思わず眉を潜めた。目の前の男は以前から、いや、出逢った時からずっとこうだ。何処か捻くれてて、意地が悪くて、自己中心的で、まったく読めない。でもたまに優しさを見せたりするから混乱してしまうのだ。暫く黙っていると、まるで私の心を見透かしたように彼が口を開く。


「相変わらずな奴だ、お前は」
「それはこっちの台詞です」
「変に意地を張るところが特にな」
「鬼道くんには負けます」
「俺は別に意地なんて張ってない」
「張ってます」
「いつ」
「今」
「張ってない」


ふいっと私から顔を背けた彼の横顔に向けて半ば睨みつけるように強い視線を送った。俺は知らないとでも言うように白々しい表情を浮かべたままの彼は、まったく、相変わらずだと思う。また暫く沈黙が続き冷静さを少しずつ取り戻した私はわざと大きく溜息を吐いた。仕方が無い、今回は私が折れてやることにしよう。


「…一度しか言いませんよ」
「やっと言う気になったのか」
「余計なこと言うと前言撤回しますよ」
「最初に言っただろう、そんなに時間はないと。さっさと言え」


一体誰のせいで長引いてるんだか。そう言ってやりたい気持ちでいっぱいになったけれど、これ以上長引かせるのも意味はないので黙っておく。すうっと息を吸って改めて彼とゴーグル越しに視線を合わせた。私の方から鬼道有人の眼は見えないけれど、きっとその向こう側には赤く綺麗な瞳があるんだろうと考えるとなんだが少しずつ、少しずつ恥ずかしくなって、夕日のせいだけじゃないと自分で分かるくらい頬が熱くなった。


「その…」


なんで私がこんな恥ずかしい思いをしなければならないんだ、大体鬼道有人だけ顔を隠しているのは不公平じゃないか。そう思うにもこの雰囲気の中言えるはずもなく、私はつっかえてしまった言葉の続きをどうしようかと考え、ゆっくりと震えそうになる唇を開く。


「私は、鬼道くんの…ことが…」


そこまで言った刹那、不意に片腕を強く引かれぼふんと目の前の鬼道有人にぶつかった。抜け出そうにもすぐに背に腕が回されてそれも不可能となってしまい、私の目の前には黄色一色が広がっている。顔を上げても鬼道有人の肩口しか見えず、私は驚くしかない。


「え、あの、鬼道くん?」
「すまない、俺が限界だった」
「限界?」


次第にドキドキと高鳴る鼓動が相手に聞こえてしまうのではないかと少し心配になるけれど、それはどうやら私だけじゃないらしい。


「藤城ゆい」
「は、い」
「好きだ、俺と付き合って欲しい」


私が言うはずだった台詞を言って、鬼道有人は私の背に回した腕に強く力を込める。さて、こういう時はどう言えばいいのだろうか。懸命に考えを廻らせても私にはそんな経験もなければ知識すら浅い。けれど頬が緩んでいくということは、きっと、答えは一つなのだろう。それでもやっぱり器用でない私は素直になることはできなかった。私ばかりが驚かされていては面白くない。少しはその表情を崩してやりたい、と。


「…鬼道くん」
「なんだ」
「ギリアの花言葉をご存知ですか?」


そっと鬼道有人の背に回さずにいた腕に持ったままの鞄から相棒こと一眼レフカメラを取り出した。それからもう片方の手で鬼道有人の胸板を押し返す。彼は何も言わず私から腕を解き顔が見える位置まで距離を取った。その隙を見逃すわけもなく、私はそのまま鬼道有人のゴーグルに手を掛け、それを首元まで下ろす。


「、藤城?」
「ギリアの花言葉は、『気まぐれな恋』ですよ。鬼道有人くん」


ようやく目にすることができた赤色の瞳。驚いたような表情を浮かべたままの彼に向かって私はすかさずシャッターを切った。ぱしゃりという音が私たち二人だけしかいない屋上に響き、私はにっこりと笑いかける。暫くは呆然としていた鬼道有人だったけれど、その表情が次第に変化し、いつもの嫌な笑みを浮かべた。


「のぞむところだな」


そのまま私の手から相棒を奪い取った。腕を伸ばそうにも私より少し身長が高い彼が伸ばした腕に届くはずもなく、もう片方の鬼道有人の手が私の顎に掛けられ少し上を向かされる。ちょっとした冗談だったのだけれど、それを逆手に取られたらしい。きっと鬼道有人は私の本当の気持ちに気付いている。


「これからゆっくり時間を掛けてお前を本気にさせてやる。覚悟しておけ」


その言葉を聞きもう後には引き返せないことを悟った。自業自得と言えば自業自得だ。けれど私も負けず嫌いな所は変わらないらしい。


「できる自信があるのなら」


そう言うのと同時に、相棒と、赤い夕日と、屋上のフェンスと、コンクリートと、鞄と、金属製の重いドアと、いろんなものに見つめられながら私はゆっくりと瞼を閉じた。唇に温かい吐息が掛かって、心拍数が上がっていく。唇に何かが触れる前に聞いた最後の言葉は、鬼道有人の低く掠れた声。


「あるさ、十分にな」


触れた唇から伝わる想いが零れそうで、何とも言えず胸が苦しくなった。これは一体何なのか、以前の私なら分からないまま終えてしまう問題だったんだろう。けれど今は違う。手探りで答えを探りながら、私たちはこれからも恋というものを覚えていくんだろう。

私のブリキの心臓はようやくネジが巻かれ、ゆっくりゆっくりと動き始めた。



fin
100303




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テーマ「人外ファンタジー」
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