(さあ、スタートだ)
(そう簡単に言えたらいいのに)




さあ恋愛をしてください。そう唐突に言われて私はどうすればいいのか。人間関係云々の時点でも分からないと言ってしまう私に恋愛だなんてまず言おう、今更ながら無理だ。ただ鬼道有人が私にとって少し特別な人間であるというだけであって、恋愛対象になんか。そう言えば音無春奈は「その少し特別っていうのが恋愛感情に結びつくんですよ!」と元気に返してきた。…そういうものなのか。知らなかった。まずその時点で私が恋愛という言葉と無縁だったことがよくわかる。
今もそうである。相変わらず屋上にきている鬼道有人を目の前にして特に変わったことはしていなかった。ただ今回は私の方が早くお弁当を食べ終わったから、少し時間でも潰そうと空に向かってシャッターを切る。また一枚増えた、そう思って気持ちが弾んでいた中、不意に耳に届いたのは鬼道有人の声。


「藤城」
「なんですか」
「画像、見せてくれないか」


私はシャッターを切ったポーズのまま暫く停止し、数秒後にゆっくり鬼道有人の方へ視線を移した。何時の間に昼食を食べ終わったのか、彼は手のひらを上にしてゴーグルの向こう側から私をじっと見ている(に違いない)。


「…どうして、急に」
「なんとなくだ」
「じゃあ、嫌です」
「見られたら困るものでも?」
「…いいえ」
「なら見せてくれ」
「なんで急に見たがるんですか」


私はこの相棒…こと、一眼レフカメラの中を誰にも見せたことがない。いや、それが理由ではないが。どうして拒むか、何故なら鬼道有人の画像が一枚入っているからだ。本人の許可もなく。私は相棒を背中で隠すように持ち直しながら首を横に振った。


「…だから、これと言った理由はない」
「じゃあ諦めてください」


それだけ言うと相棒を隣に置いて私と向かい合うようにして座っている鬼道有人から目を外した。…外す前に見たその表情が、何処となく不機嫌そうにも見えた。ちらりと視線だけ戻してみる。明らかにその表情は不機嫌だった。


「あの、」
「…」
「鬼道くん」
「…」


どうして私は彼が無言になっただけでこんなに気に掛けているのだろうか。最初はこの状態が当たり前だったというのに、私はこの静寂を望んでいたというのに。彼が黙り込むとどうしても気になって仕方が無い。それにしても鬼道有人が此処まで感情を表に出すだなんて珍しいこともあるんだなあと思った。ぼんやりしていた、これは本当のこと。けれど気がつけば身体が勝手に動いて置いていた相棒に手を伸ばし、構え、ぱしゃりと軽い音を辺りに響かせる。


「…」
「…おい」
「不可抗力です」
「意味が分からない」


私は鬼道有人に向かってシャッターを切っていた。相棒を操作すれば出てきた画像に映る鬼道有人はしかめっ面をしたまま。思わずにやりと口元が歪むのを感じた。


「素敵な笑顔ですね、鬼道くん」
「早く消せ」
「嫌です」
「早く」


伸びてくる彼の手から逃れようと相棒を頭上へ上げる。するとそれを追いかけて鬼道有人の腕が伸びる。暫くそれを繰り返していると空からぱしゃりという音が聞こえた。「あ」と小さな声を上げて私たちの動きは止まる。まるで画像のように。


「今何か鳴らなかったか」
「鳴りました」
「なんだ今のは」
「空に写真を撮られたようです」
「…」


相棒を手元に戻して少し弄ると出てきたのは私と鬼道有人が何か言い合っている画像。自分を撮ったことなんてなかったからか、その中にいる私はまるで第三者のように思えた。ちらりとその画像を目にしたのか鬼道有人は「もういい」とだけ言って溜息を吐いた。どうやら諦めたようだ。タイミングを見計らったように鳴る予鈴が屋上にも聞こえて彼は立ち上がった。私も同じようにして立ち上がりもう一度カメラへと視線を向ける。その中の私は何処と無く楽しそうに表情を緩めていた。


(私、こんな顔できたっけ)


そう思って相棒の電源を落とし、鬼道有人の背に視線を向ける。少し恋愛というものが分かってきたような気がした。








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