※高校模造設定
怒涛の中学時代を終え、俺は気付けば高校生になっていた。思い返せば色々あったな、と人事のように考える。陸上やサッカーだったりとか、それから、あの一週間にも満たない日々のこととか。
「付き合ってください、風丸くん」
その言葉ではっと我に返った。グラウンドに夕日が差し込む日曜日、高校に入ってもサッカーを続けていた俺は同じクラスの女の子を前に言葉を失っていた。告白の一部分しか俺の耳に止まらなかったため、どうして彼女が俺にそう言ってきたかなんて分からない(わざわざもう一度聞くなんてこと、するつもりもないが)。サッカー部の練習はあっても学校は休みなのにわざわざ出向くなんて、となんとなく感心する。少し視線を逸らし、苦笑を浮かべた。
幾度とあったわけじゃないけど、何度か経験したこのシーン。俺は決まって、こう言っうようにしている。
「…悪いが、俺、好きなやつがいるんだ」
ごめんな、なんてどうして俺が謝らなければいけないのか。思っても口には出さない。目の前の女の子は「そっか、」と呟いて俺の横を駆けていった。その足音が聞こえなくなってようやく息を吐き出す。それとほぼ同時に、背中を勢いよく誰かに叩かれた。
「痛っ」
「お前、また断ったのかよ!何人目だ?」
「そろそろ二桁行くんじゃないか?」
「お前ら、いつからそこに」
「最初から!」
背後から現れたのは中学から同じサッカー部の円堂と土門、それから一之瀬だった。悪びれもせず謎のポーズを決めて言う一之瀬の表情は語尾に星をつけそうなくらいとても楽しげで。本日二度目の溜息が出る。
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃねぇの?」
「何を」
「その好きな子が誰なのかに決まってるじゃないか!」
興味ある、と言わんばかりに目を輝かせてきた円堂。俺は思わず目を逸らした。するとそれを許そうとせずすぐに土門がにやりと笑う。
「言えないような子、というわけだな」
「…そうじゃなくて」
「じゃあ教えろよ!」
一向に諦める様子じゃない三人にたじろいでしまう。今回が初めてじゃないからこそ、そろそろ言い逃れは難しいかと考えた。ずっと俺の中だけに閉まっていた大切な思い出を、誰かに話してもいいんだろうか。そう思いながら、そっと口を開く。
「年上」
「へぇ、いくつ?」
「今は…18、だと思う」
「風丸が年上好きだったとはなあ」
「なぁ、どんなやつなんだ?」
納得のいかない発言が聞こえてきたけれど、それをあえて無視して。思い出の中の彼女を脳裏に描きながらぽつぽつと話し始めた。
「年上なのに年上っぽくなくて」
「一郎太!」
「ギターが上手くて」
「あたしの歌、聞いててね」
「それから…」
それから。
思い返せばたった六日間の出来事、それでも彼女を好きになった理由は山ほど思い当たった。急に黙りこくった俺の顔を覗き込むようにする三人から逃れるように俺は「悪い」と言って荷物を肩に掛ける。
「ま、そんなやつ。俺、ちょっと忘れ物取って帰るから」
「ちょ、待てよ風丸!まだ途中だろー!」
「またそのうちな」
そんな日が来るのか、それはさて置き。
背中に飛ばされる声全部聞かぬ振りをして、俺は校舎へ駆けて行った。
一度も立ち止まらず校舎の一階から最上階まで一気に駆け上がる。重い扉を開いた時には既に息が切れていた。荒く呼吸を繰り返しながら屋上の真ん中まで来ると乱雑に鞄を放り投げて腰掛ける。夕日に照らされた稲妻町がよく見えた。
一週間にも満たない、たった六日間の出来事だった。何故俺が彼女の元に行ったのか、その理由は未だに分からないまま。どうやって帰ってこれたのかも同じく、だ。それでも今まで彼女、藤城ゆいのことを忘れたことなどなかった。強くなりたいと願ったのも彼女を守りたかったからという理由だった。それほどまでに想っても、俺が再び彼女の元へ飛ばされることはなかった。
赤く染まる空に向かってぽつり、呟くように零してみる。
「…ゆい、ちゃんと約束、守ってるんだぜ」
待ってるんだ、お前のこと。もう二年も経つのにな。
夢というにはあまりにも長く、かと言って現実というには短かった期間。それでも俺の中に藤城ゆいという人物はとても大きな存在になっていた。唯一好きだと言った相手、それから唯一、心から願う相手。
「早く、逢いに来いよ」
待つのは疲れるんだ。すごく、すごく。
口にしてしまえば簡単な言葉に聞こえるけれど、実際はそう容易い話じゃない。また逢える、そう信じてた。でもどうすれば逢えるとか、いつ逢えるとか分からないんだ。そう思うと胸の奥が苦しくなった。遠距離恋愛は簡単じゃない、そういった言葉を良く聞くけれど、そんなものと比較にならないくらいだ。逢う方法が、分からないのだから。深く、胸に溜まった空気を吐き出すように本日三度目の溜息を吐いた。
と、不意に脳裏にあるメロディーが流れる。別れたあの日から、俺はギターに触れていない。またサッカーばかりの日々に戻って、触れる時間がなくなってしまったからだ。腕を空に伸ばして、硬くなることのなかった指先をぼんやり眺める。それでもまだ覚えていた指の動きと、ゆいの声。
「――、…」
歌うのは得意じゃないし、恥ずかしいとさえ思う。でも初めて俺の前で歌った時の彼女の楽しそうな表情を思い出すと、その曲が勝手に口を突いた。
「上手くなったね、一郎太」
彼女はまた、ああ言って笑ってくれるだろうか。それとも下手だと笑い転げるだろうか。どちらにしてもゆいらしいと思った。そしてまた想いは膨らんでいく。逢いたい、逢いたい。
歌い終わって屋上に静けさが戻った。聞こえるはずのない声を期待する。けれど、やはり駄目だった。自分は何をしているのだろうと思い返すと誰かに聞かれてはいないだろうかと慌てて辺りを見渡す。誰もいない、はずだった。
「なに一人で慌ててんの」
途端凛とした声が屋上に響き渡る。やばい、誰かに聞かれてたか。苦々しい表情を浮かべて立ち上がろうとすると、不意に目元を押さえられた。
「うわっ。な、何、」
「やっぱりあたしが歌わなきゃ駄目だね、練習不足だぞー」
とくん、と胸が高鳴る。
何処か聞き覚えのある笑いを含んだ声。ふわりと漂う懐かしい香り。思わず息を呑んだ。
「今日の占いは、一位だったよ」
「…俺のも見てきてくれたのか?」
「うーんと、確か二位だったはず」
あたしの次に、今日はいい日だね。
そう言って両手が外される。再度広がる赤い風景。どくどくと普段より早い心臓の音を聞きながら俺はゆっくりと振り向いた。変わったところと言えば、それは身長差くらいだろうか。たった二年で伸びた俺の身長は軽々と彼女を超えていた。でも、何も変わってない。何も、何も。
其処には満面の笑みを浮かべた藤城ゆいが立っていた。
「約束、守ってくれてありがと」
「…ゆい」
「だからあたしもね、逢いに来るって約束、ちゃんと守ったよ」
震える腕にぐっと力を込めて、俺はゆいを抱きしめた。あの時のように通り抜けることはなく、今度はしっかり触れることができる。ただそれだけで幸せだった。目の前に彼女がいることが信じられなくて存在を確かめるよう、何も言わずに肩口に顔を埋める。
「いっぱい待たせてごめんね」
言いながらやんわりとゆいが俺の肩を押す。それを無視してまで抱きしめるのもどうかと俺は渋々離れた。すると彼女の頬は夕日のせいかはたまた別の理由か、真っ赤に染まっていて。「あのね、」と紡がれるその唇に目がいく。
「一番最初に、言いたいことがあるんだ」
「言いたいこと?」
「うん、最後の日に言ったんだけど、多分聞こえてなかったと思うから」
なんだろうと首を傾げる俺に照れたような笑みを浮かべるゆい。大きく息を吸い込む様子を、俺はこれからもずっと忘れないだろう。
「あたしも愛してるよ、一郎太!」
ああ、もう我慢できない。
溢れるばかりの気持ちを抑えようともせず、俺はゆいの唇に二度目のキスを送った。
確かに愛を知った日曜日
(また、逢えたね!)
「俺もゆいに言い忘れてたことがあるんだ」
「え、一郎太も?」
「…付き合ってくれないか、ゆい」
「…馬鹿だなー、あたしはとっくに付き合ってるつもりだったっての」
これからは、ずっと一緒に。
fin.
091204