今日は雨が降っている。空一面に灰色の雨雲が広がって、窓に雨粒が叩きつけられていた。その音で目が覚めて、いつものように顔を洗って、いつものように朝食を作ろうとする。普段と変わらない、ずっと繰り返してきた日常。
ただ一つ、違うことと言えば。


「ゆいが好き、だから」


一郎太に、好きだと言われたということ。思い返すだけで恥ずかしくて、擽ったくて、でも嬉しくて。一方通行じゃないということが堪らなく幸せだった。未だ夢の世界にいる、ソファの上で丸まった彼をちらっと見てみる。昨晩からずっと下ろされた髪型に少し普段と違うというだけで何処か不思議な気持ちにさせられた。でもいつまでもじっと見ているわけにもいかない。慌ててあたしは朝食の準備に取り掛かる。ああ、今日は土曜日だ。


「おはよう、ゆい」
「ひゃあ!」


ほぼ準備が出来てあとはテーブルに持って行くだけ、といったところで不意に背後から声を掛けられた。急なことに驚いたあたしは変な声が出てしまう。え、恥ずかしいんだけど。


「はは、なんて声出してんだよ」
「だ、だって一郎太、さっきまで寝てたのに」


今起きたんだ、と言って洗面台へ向かう彼の背中をちらりと見てみた。駄目だ、昨日のことばかり意識してしまう。
今までのんびりと生きてきたことが理由か否か、あたしは恋愛というものを経験したことが殆どなかった。あっても片想いで、こうして誰かに好きだと言われたことなんてなかったわけで。だからどうすればいいとか、そういうのも何も分からない。


「と、とにかくドキドキするのを、抑えなきゃ」


こんなのあたしらしくない。そう自分に言い聞かせるとテーブルに朝ご飯を並べ座って、テレビをつけた。天気予報ではどうやら一日中雨が降るらしい。これじゃあ洗濯物が乾かないじゃないか。部屋干しは嫌なのになぁ…。


「すごい雨だな」


部屋へ戻ってきた一郎太に視線を向けると、彼はじっと外を見ていた。一郎太があたしの家に来てからずっと晴れが続いていたから、なんとなく珍しいと思った。雨なんてそう珍しいものでもないけど。


「今日は一日中降ってるんだって」
「じゃあ外には出ない方がいいな」


彼が席に着くのを確認すると、あたしは両手を合わせて「いただきます」と言って朝ご飯を食べ始めた。それに続くように彼も手を合わせる。どうやらあたしの料理は彼の口に合うようで、毎回ちゃんと美味しいって伝えてくれる。そう言われると嬉しい。ふと視線をテレビに向けると、恒例の占いがやっていた。思わず苦々しい表情を浮かべて一言。


「…今日最下位じゃないですか」
「悪い結果は信じないんじゃなかったのか?」


数日前に言ったことを覚えていたらしい一郎太はにやにやしながらあたしを見る。その表情が気に入らなくて、あたしはむっとするとすぐにテレビに視線を戻した。


「別に、最下位だって言っただけで信じてるなんて言ってないでしょー」
「ふーん、まるで信じてるような口振りだったから思わず、な」


これじゃどちらが年上か分からないじゃないか。少し不快に思いながらも、あえて聞こえない振りをした。これ以上突っかかられても嫌だもんね。


「まぁ俺は一位だけど」
「う、嘘だ…」


なんか、すごく悔しい。












今日一日を、あたしたちは室内で過ごすことに決めた。すごい雨の中出掛ける用事もないのに出て行く必要もないという結論を下したからだ。午前中は一郎太に手伝ってもらいながら部屋の掃除をする。彼が手伝ってくれたこともあってか、普段の何倍も楽に終えることができた。その後簡単に昼食を取って、何をしようかと考える。その時彼がギターを触らせてくれと言ってきたから、それから午後はこうして二人でギターに触れていた。雨音だけが響く静かな部屋に、うるさくない静かなメロディーが流れる。


「一郎太、上手くなったね」


あたしがちょっと教えただけなのに、もう彼は教えた曲をほぼ弾けるようになっていた。照れたように笑うとその視線は指先へと向く。


「ゆいに教えてもらったからな。…でも、指先が痛い」
「あー、ギターに慣れたら指先が硬くなって感覚がなくなるんだよ。だからそれまで我慢して何度も弾いてたら痛くなくなる」
「ゆいはもう痛くないのか?」
「あたしは2,3年前からやってるからね。もう痛くないよ」


ほら、と左の手のひらを上にして一郎太へと向ける。彼はあたしの指先を突付いては感心したような声を出していた。
不意にその手を掴まれてぐいっと彼の方へ引き寄せられる。一瞬のことで何が起こったのか理解できなかったあたしはされるがまま引っ張られて、気付けば一郎太の胸の中だった。頬が熱くなる。


「え、ちょ、一郎太っ…」
「ゆい」


耳元で囁くように呼ばれるあたしの名前。その吐息が耳に触れて擽ったく、思わず身を捩った。あたしを引き寄せる前に横に退けたのか、床に置かれたギターが目に入る。背中に彼の腕が回った。これじゃあ、逃げられない。


「ど、どうしたの?」
「…なんとなく」
「なんとなくって、どういう、」
「なんとなく、抱きしめたくなって」
「え、え?」


昨日の夜まではただの、よくて友達といったところだったあたしたち。それがどうだろう、たった一言でこうも関係というのは変わってしまうのだろうか。いや、たった今それを身をもって分からされているのだけれど。
雨音が少し弱まった気がした。と、同時、少し目が霞んだのか、一郎太の身体が、透けてみえる。


「…あれ、」


おかしいな、視力はいい方だと思うんだけど。
片手で目をごしごし擦ってみる。それでもどうしてだろう、彼が透けて見えるのは変わらない。一郎太の肩越しに、床が見える。
これ、は。


「いち、ろう…た?」


ああ、これは。
またしてもあまりに唐突な出来事にあたしの頭はついていかない。なんで、とか、どうしてとか、そんな言葉さえも出てこない。混乱しているのはあたしだけじゃないようで、背中に回された腕が離れるのを感じた。


「…気のせい、じゃ」
「え?」
「気のせいじゃ、なかったのか」


独り言のように呟かれた一言。そこではっと我に返ったあたしは慌てて彼の肩を押して正面から向き合うような形を取る。肩だけじゃない、全身が薄らと透けていた。そこで思い出す、公園での一郎太の言葉。
――彼は、この世界の人間じゃない。


「う、そ」


ようやく喉の奥から振り絞った言葉は、まるで自分のものとは思えない程か細かった。眉を潜めて自分の手を見つめる一郎太が顔を上げる。困ったような笑顔を浮かべていた。


「昨日の夜、気付いたんだ。気のせいだと思ってた」
「こ、こんな、急に…」
「もう、帰らなきゃいけないのかな」


帰る、そうだ、彼は帰りたがっていたじゃないか。それにあたしもその手伝いをするつもりで家にいればいいと提案した。目的は達成できそうだ、それなのに。
どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。
それを認めるのが悔しくて、情けなくて、あたしは精一杯の笑顔を浮かべた。一郎太を困らせては、いけないんだ。


「…帰る方法、見つかってよかったね!」
「ゆい」
「これでちゃんと戻れるよ、宇宙人と戦うの、大変かもしれないけど頑張って」
「俺は…」
「応援してるから!違う世界かもしれないけど、ずっと応援してる!あたし、」
「っ、」
「あたしね、一郎太に逢えて、よかっ、た」


占いは、偶然だとしても時として当たるものだ。彼が消えてしまう前に、言いたいことを全て言ってしまおうと必死で口を動かす。それでも次々と溢れてくる言葉を言い尽くすにはきっと時間が足りない程、あたしの胸の中は一杯だった。本当によかった、ともう一度口にしてしまえば、頬を伝うのは温かいもの。
その一粒が頬を流れきってしまう前に、あたしはまた一郎太に強く抱きしめられていた。


「行かないでって、言ってくれないのか?」
「…叶わないことは、口にしたくない、から」
「それでも言ってもらえた方が、俺は嬉しいんだけどな」


ゆい、と呼ばれて背中を撫でられる。涙は一向に止まる様子を見せなかった。ああ、なんて面倒なんだ、あたしは。


「また逢える」
「…?」
「こうして逢えたんだから、また逢える。いつか、絶対」


言いながらあたし達は少し離れた。一郎太に顔を向けると、彼はとても優しい笑みを浮かべていた。そうだ、あたしも泣いてばかりいられない。ちゃんと笑顔でいたい。ぐっと目元を拭って、さっきと違い自然と笑いかけた。目や鼻は、赤いままかもしれないけれど。


「じゃあ、今度はあたしが行く!」
「ゆいが?」
「うん、一郎太がいる世界をあたしが見に行く。だから待ってて、一郎太」


絶対、また逢いに行くから。
彼に触れようとした右手には、もう何も触れなかった。ただホログラム映像のように一郎太の姿がちかちかとしだして時間がないことを悟る。


「分かった、ずっと待ってる」
「約束、だよ」
「ああ」
「絶対だから!」
「約束する」
「…またね、一郎太」


さよならじゃなくて、また逢えることを願って。あたしはあえて再会を意味する言葉を選んだ。一郎太も頷いて「またな」と返してくれた。これで、最後だ。
すると目の前にいた一郎太があたしの方へ顔を寄せる。もう触れることすらできない彼の身体、けれど確かにあたしはその時、唇に柔らかい感触を感じた。


「愛してる、ゆい」


一度、瞬き。
何が起こったか理解した次の瞬間、部屋に残されたのはあたし一人だった。


「…ばーか」


ぽつりと零した言葉はいなくなった彼に対してか、素直に言わなかったあたしに対してか、はたまた両方か。それはあたし自身にもわからない。もう、涙は止まってる。
激しかった雨はいつの間にか止んでいて、雲間から零れた夕日が、あたしの部屋を照らしていた。



雨が止んだ土曜日

(本当は日曜日も一緒に過ごしたかった、なんて)




***
走っちゃった。かなり。


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