ゆいが変だ。
こう唐突に言うと彼女が変人だと言ってるように聞こえるかもしれないが、そういう意味じゃない。普段と様子が違う、という意味。いつからかぼんやりと考えてみると、昨日の夜くらいからだった気がする。確か昼過ぎ、出掛けてたくらいまでは普通だった、はず。
今朝目を覚まして「おはよう」と声を掛ければ「お、おおお、おはっ、よーう!」とかなんとかわけのわからない返事をされるし(いや、おはようって言いたいのは分かった)、さっきから一緒にギターを触っていても何処か上の空で。何処かぎこちない。
ほら、今だって明後日の方向を見てる。


「…ゆい、」
「んー」
「ゆい?」
「んー」
「…聞いてるのか?」
「んー…へ?あ、ごめん、何?」


ゆいの目の前で軽く手を振ってようやくこっちに意識を向けられた。数日一緒に過ごしただけでも分かる。――おかしい、明らかにいつもと態度が違う。
俺は持っていたギターを一度横に置いて少し身を乗り出し、ゆいの顔を覗き込んだ。それと同じくゆいの身体が後ろに引かれる。

「…なんで逃げるんだよ」
「べ、つに!逃げてないって」


はは、と乾いた笑みを零す様子はあからさまに「あたしはおかしいですよ」と言ってるようなもので、少し不快だった。
でも彼女は俺が何も言わなかった時はあえて聞いてこなかった。そんな彼女に無理に聞くのはどうだろうかと考えると結局何も言えなくなる。仕方なく溜息をつくと、俺はまたギターを手にとった。


「言いたくないなら別に構わないけど」
「そ、そういうのじゃなくて!えー…あー…」
「いいって、気にしてないから」


そう言いながらも刺のある口調になってしまう自分に軽く自己嫌悪する。矛盾しているとは自分でも思う、それでも軽く苛立ちを覚えてしまうのだから、どうしようもない。「あ、」と小さく声を漏らして俯いてしまったゆいに掛ける言葉が見つからず、何も言わずにゆいに教えてもらった曲を練習し始めた。













結局気まずい雰囲気のまま夜を迎えてしまった。今までのように会話が弾むこともなく(一方的に俺が不機嫌になっていただけだが)夕食を終え、ゆいが先に風呂を譲ってくれたのでそれに甘えて先に入る。シャワーを浴びながら、ふとこんなことを思った。

どうして俺は、こんなにゆいのことを気に掛けているんだろう?

別に何とも思ってない相手だとしたらこんなに気にするのだろうか。そんなことはないと思う。少なくとも俺は彼女に、
彼女に、


「ゆいに…なんだ?」


感謝している、というのは勿論のこと。見ず知らずの俺をこうやって家に置いてくれて、優しく接してくれているゆいに感謝していないなどむしろありえない。本当に心から感謝している。でも、俺が彼女に対して抱いているのは果たして、それだけなんだろうか。それだけじゃ言い表せない感情を抱いているような、気がする。嫌いだとかそういうマイナスな意味じゃなくて。

「あたしのことはゆいって呼んで。わかった?」

「あたし、たまに夜、ストリートライブやってるんだよね」

「一郎太は、笑ってる方がかっこいいよ」

「ねえ、一郎太」


ゆいと出会ってから今までの出来事が脳裏を駆け巡る。頭の中のゆいが俺の名前を呼んで笑いかけてきた途端、はっと我に返った。分かった、俺がこんなにもゆいを気に掛ける理由が。たった数日の間に彼女に抱いた自分の気持ちは何だったのか。


「…ゆい、」


彼女は、受け入れてくれるんだろうか。普段は結っている髪が身体に纏わり付くのを感じながら、俺はもう一度彼女の名前を繰り返した。












「あ、れ?一郎太、髪…」


寝る時も結ったままの髪を下ろしたまま風呂から上がった。完璧に乾いていない髪から少しでも水気を取ろうとタオルでごしごしと拭きながらソファでぼんやりとテレビを見ていたゆいに近づいた。さっきまでは妄想の中(と言うと些か危ないような響きのような気もするが)でゆいを相手にしていたけれど、いざ本人を目の前にするとなんだか気恥ずかしいような。


「…変、か?」
「い、いやいや、そういう意味じゃなくて。結ってるとこしか見たことなかったから。珍しい、というか」


下ろしてても似合ってるよ。
何事でもないようにさらっと言われてしまうと思わず此方がたじろいでしまう。こういうことをなんでもないように言うところは逢った時から変わらない。隣に座ってもいいかと確認すると、またぎこちない態度になりながらも了承してくれた。が、すぐにもぞもぞと横で動くとその場を離れようとする。


「…あ、あたしもお風呂入ってこよう、かな」
「ゆい、」


それじゃあ、俺が考えていたことが水の泡になる。
そう考えているうちに、気付けば立ち上がりかけたゆいの腕を掴んでいた。


「な、に…一郎太?」
「少し、話があるんだ」


声は震えていないだろうか、手に力をこめすぎてはないだろうか。頭の隅でそんなことを考えるものの大半はこれから話そうと思っていることで一杯一杯で真っ白になりそうだった。落ち着かせるために小さく息を吐くと、じっとゆいの顔を見る。彼女の目が泳いだのが分かった。


「…昼間は、すまなかった」
「へ?昼間って…」
「刺々しい言い方になってた、から」


まずはこれを謝りたかった。自分が気になるからと一方的にぶつけた挙句、素直に聞きたいと言わずに変な態度を取ったこと。


「やっぱり、何かあったのか気になって」
「…うん」
「俺が何か悪いことしたなら、教えて欲しい」
「そ、そんなのじゃなくて、」
「ゆいのこと、もっと知りたいんだ」


ゆいの言葉を遮るようにはっきりと言った。少なからず俺の顔は今赤くなっていることだろうと思う、それでもそんなことを気にしていられる余裕がない程今の俺は精一杯だった。突然の言葉に目を瞬かせるゆいを見て、少し間を空けてから口を開く。
ついさっき名前が分かった、この気持ちを。


「ゆいが好き、だから」


言う時にゆいの顔を見ることなどできなくて、少し俯いた。…情けない、手が震えそうだ。ゆいは何も言わなくて、部屋にはテレビの音しか響いていない。…何か言えよ、じゃないと俺が惨めじゃない、か。だからと言って俺は俺で何も言葉が思いつかなかった。そのまま戸惑っていると、不意に頭の上から声を届く。


「…あたしが変な態度取っちゃったのは、一郎太が悪いんじゃなくて」


今日一日のような感じじゃなく、安定した声。そっと顔を上げると其処には照れ臭そうな、恥ずかしそうな表情を浮かべたゆいの顔があった。初めてみた、彼女のこんな、顔。


「一郎太を見ると、あたしが…ドキドキしちゃってたから、だよ」
「え?」
「あ、あたしも、一郎太が、好き」


大好き。
全て口に出される前に、俺は彼女を抱きしめていた。受け入れてもらえると思わなかった、ただゆいに好きと言ってもらえたことが嬉しくて、幸せで。


「ちょ、苦しいって…!」
「ゆい、好き。大好きだ」


何度も気持ちを告げると照れたような声が返ってくる。少し距離を開けるとはにかむ様子のゆいにまた愛しさが込み上げて、両手で彼女の手を握ろうとする。
しかし伸ばした手がゆいの身体に触れる感触はなかった。


「…?」
「え、どうかした、の?」
「あ、いや…なんでもない」


ゆいはその場を動いていないし、確かに彼女の手に触れたはずなのに。疑問に思いもう一度その手に触れようとすると、今度はちゃんと握ることができた。…気のせい、だろうか。
でもそんなことを気にする以上に、俺は目の前の幸せで一杯だった。

星空を覆うようにどんよりした曇り空が広がっていたことにも、気付かずに。

不安に揺れる金曜日

(気のせい、だよな)



***
そろそろ終盤。


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