昨夜、寝る前に、ようやく今自分が何処にいるのかを調べようと思った。
風呂を勝手に借りて(勿論礼はちゃんと言っといた、色んな意味をこめて)、その後夕方過ぎくらいに起きたゆいと二人で夕食の準備をして、それを食べながらぼんやりと思ったからだ。自分は今、何処にいるのだろうと。
ゆいの部屋に置かれたパソコンにちらりと目をやって、使ってもいいかどうか許可を得て、彼女が風呂に入っている間に全て調べた。自分は一体何処にいるのか、雷門中は何処にあるのか、どう戻ればいいのか。
けれど調べた結果、俺は更に落ち込み、ますます不安を大きくしただけだった。
――雷門中が、存在していない。フットボールフロンティアなんてものもなかったし、宇宙人の文字なんて物語の世界にしか存在していない。俺は、俺の知らない全く違う世界にいる。
原因なんてわからなければ帰る方法もわからない。そう思っただけで不安に押しつぶされそうになった。自分でも女々しいと思う、でもこの状況下で不安にならないわけがない。画面の前で呆然としていると彼女が戻ってきたので慌てて画面を閉じた。「どうかした?」なんて聞かれたものの答えられず、緩く首を横に振っておいた。「なんでも、ない」と。

次の日、目を覚ましてからも俺はひたすらそのことについて考えていた。帰る方法が分からないなら、どう帰ればいいというのだろう。ずっと彼女に世話になるわけにはいかない、けれど、この世界ではゆいしか頼れる人がいない。…ならば、頼らせてもらうしかないのではないか。


「…ねぇ、一郎太の番だよ?」


その声ではっと我に返る。遅めの朝食後「折角だし、何かして遊ぼっか」と声を掛けてくれたゆいには、もしかすると俺が考え事をしているとバレているのかも知れない。けれど何も言わない彼女の態度は俺にとって楽だった。今聞かれても自分自身ですら把握できてない状況を話せるわけがないからだ。目の前の白黒のボードに目をやって少し考えると、隅にそれを置いた。


「あーっ、端取られた!」
「もっと考えなきゃダメだろ?オセロ弱いな、ゆい」
「う、うるさい」


真剣に考え込むゆいに笑みを零す。
それでも、俺の頭の中は他のことでいっぱいだった。












ぼーっと考え事をしながら部屋でゆいと過ごし、気付けばもう日は落ちていた。オセロだけでなくトランプやテーブルゲームなどをしていた俺たちはそれを片付け夕食の準備に取り掛かる。ゆいにばかり任せてはおけない、と俺も出来ることは手伝うようにしていた。二人で作った夕食を取り、未だ考えが纏まらない俺はまた先に風呂を借りようと食器を片付けながらゆいに声を掛ける。


「…ゆい、先に風呂借りても――、」
「あー、一郎太、ストップ」
「え、」


と、ぐいっと腕を掴まれた。咄嗟のことに驚いてゆいの顔を見る。すると彼女は軽く首を傾げた。


「もう眠かったりする?」
「い、いや…まだ眠くないけど」
「じゃあさ、ちょっと外出ようよ」


その言葉に不意を突かれた。此方の世界(もう俺はこの時点で自分のいた場所と此処が違う世界だと結論付けていた)に来てからそう言われたのは初めてで、以前買い物に行く時も留守番を任されていたから出ていいものなのかと疑問を抱く。


「あたし、ストリートライブやってるって言ったでしょ?」
「あ、ああ」
「今日、やろうかと思って。いい気分転換になると思うよ、外に出るのも」


食器を洗う音が静かな部屋に響くのをぼんやり聞いて、ああ、やっぱり彼女は分かっていたんだな、と理解した。理由はともかく、俺が気落ちしていることには気付かれている。
でも確かに外に出るのは気分転換になりそうだ。ゆいの言葉に甘えるのもいいだろう。


「…そうだな、じゃあついて行ってもいいか?」
「うん、勿論」


本日初めて、本当に笑えたような気がした。













「夜なのに人通り、多いんだな」
「そうだねー、此処は駅に近いから、余計にそうなんじゃないかな」


家にいる時とは違い男物の服を身に着けたゆいの後を歩き、辿りついたのはとある交差点の近くの小さなスペース。髪を一つに結んで帽子を被るゆいは、今は確かに女の子とは言い切れない感じだった(勿論顔をよく見たりすればすぐに分かるけれど)。
家から持ってきたトランクケースとギターケースを置いて、テキパキと準備を進める。初めてみるものばかりでどうしたらいいか分からなかった俺は「ちょっと待ってて」と声を掛けられてしまって、結局何も手伝えなかった。


「これでよし、と」


その言葉で振り返ると、ケースから取り出したギターを手にしたゆいが持ってきていた椅子に腰掛けていた。今日は俺がいるからともう一つ用意してくれていた椅子を指差して、彼女は笑う。


「一郎太、ギターとか触ったことある?」
「いや、ない。ずっとサッカーと陸上やってたから」
「へー、じゃあ今日はあたしのかっこいいとこ、見せちゃおうかな」


冗談めかして言う彼女に視線を向ける。よく分からなかったけれど、今はまだ足を止める人がいないところを見る限り、ストリートライブはそう珍しいものでもないようだ。


「あたしの歌、聞いててね」


そう言ってゆいの右手が音を奏で始める。その瞬間周りの音だけがシャットダウンされて、ゆいのギターの音と、普段とは違う少し低めの声が耳に届いた。聞いたことのない歌詞、メロディー。俺は、そのゆいの姿から、目を離せなくなった。
気付けば辺りに人が集まっていて、みんなゆいの歌を聴いている。気持ち良さそうに歌っている彼女は本当に楽しそうで、まるで、
――俺がサッカーをしている時のよう、な。
ギターの音とゆいの声が終わった途端、その場にいる全員が拍手を送った。












「案外もらえるんだよね、こーいうのって」
「ゆいの歌が上手いからだろ?」
「それはどーも」


どれくらい時間が経っただろうか、あの後も暫くゆいの歌を聴き、開けっ放してあったギターケースの中の箱にいくらか金が投げ込まれていく様を眺めて、今に至る。片付け終わり帰り道を彼女と並んで歩いた。


「ねえ、一郎太」
「なんだ?」
「色々考えることもあるだろうけどさ、一気に考える必要ないよ」


突然振られた内容に、俺は言葉を失った。心臓が飛び跳ねる気がした。


「あたしは一郎太と一緒に居れて楽しいよ。だから、急がなくてもゆっくり帰る方法を探せばいいと思う」
「…ゆい、」
「でね、考え込んじゃった時は、なんでもいいから好きなことをするのが一番じゃないかな」


あたしの場合はギターだよ。
肩に担がれていたギターケースが軽く揺れた。
…好きな、こと。考えながら俺の頭の中に浮かんだのは一つ。思い浮かんだと同時に、俺の心の中は不思議と晴れていた。完璧に不安がなくなったわけじゃなく、解決策が見つかったわけでもない。それでも、ゆいの言葉に胸が軽くなっている。


「それにさ、」
「うん」
「一郎太は、笑ってるほうがかっこいいよ」


「ね、」と笑い掛けてくる彼女の笑顔を目にした途端、頬が熱くなるのを感じた。唐突に何を言う、そう思う反面、とくんと胸が高鳴ったのも事実。
俺はただ、目を逸らすことしかできなかった。

もし、帰れなかったとしても、
彼女が隣で、笑っていてくれたなら、なんて、
そんなことを考えてみた、三日目の夜。



もしもに夢見る水曜日


(…色々サンキュ)
(さあ、何のことかなー)



***
ただストリートライブを書きたかっただけ。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -