藤城ゆいにつらい思いをさせたくない。俺の気持ちを伝えることは、きっと彼女を傷つけてしまう。欲張っていたのかもしれない、ただ「好き」と言って欲しかったということ自体が。そう思ってゆっくり考えた。欲張ってはいけない、俺は彼女の笑みが見られればそれだけでいいのではないか。諦めたつもりはない、でも、彼女を傷つけたいわけでもない。想い続けるだけなら、きっと迷惑にはならないはずだ。
だから俺は彼女の傍にいられる選択をした。笑顔を見られるように、傷つけなくていいように。「友達で居させて」って。

その時、俺の幼いプロポーズは宇宙の彼方に飛んでいってしまったんだ。














あの日から、彼女が俺を見る目が少し柔らかくなったと思う。普通の対応、というんだろうか。初めのように睨み付けられることもなければ、顔を合わせても嫌な顔をされない。俺にとっては喜ばしいことだった。今朝も擦れ違えば「おはよう」と言ってくれたし、もう嫌われてはない、はず。…思い込みじゃないことを祈る。
少しの進歩がとても幸せで、彼女が微笑んでくれるだけで胸の中が温かくなる。放課後部室でユニフォームに着替えながらゆいの笑顔を思い出して頬が綻んだ。


「…一之瀬、気持ちわる…」


横を向くと、あからさまに顔を歪めている半田と目が合った。一瞬何のことかわからなかったけど、ああ、顔が緩んでるのかなと今度は半田に向かって笑いかけてみた。「うげっ」と小さな声を上げて一歩後退する彼は、俺に対して少し失礼じゃないかと思う。


「いいこと、あったんだ」
「そ、そうかよ。…どうでもいいけど、隣でニヤニヤすんのはやめろ」
「あはは、ごめん」


いいこと、とは言ったけれど、実際問題まったくいいことなどではないわけで。遠すぎた距離が少し縮まった、そこまではいい。でも俺はこれで、彼女に恋愛対象として見られなくなってしまった。俺がどれだけ好きだったとしても、まずゆいに既に「応えられないと思う」ってはっきり言われてるし、何より俺自身から「友達で」と言ってしまった。自分から引いてしまった。だから多分、もう恋愛対象としては見てもらえない。もし、万が一過去のことを思い出したとしても、今までの俺への対応からしてまた「好き」と言ってもらえる確率なんて、低いに決まってる。そう暗い考えが芽生えると、胸がもやもやして小さく息を吐き出した。


「ニヤニヤしたり溜息吐いたり、忙しいやつだなあ、お前…」
「色々あるんだよ、これでも」
「へぇ、いつも何も気にしてないような顔してるのに?」
「…どういう意味だよ」


むっとして言ってやれば半田は「冗談だって」と軽く手を振って1年生のところへ行ってしまった。改めて考えると、自分はこれでよかったのだろうか。笑顔を見るだけで満足するのか、もう約束を果たすことはできないのか。考えれば考えるほど憂鬱になってくる。
その時、古い部室の扉がギィっと音を立てて開いてキャプテンの円堂が入ってきた。


「みんな、練習始める前に、紹介したいヤツがいるんだ」


部員全員が首を傾げ円堂を見る。と、その影から秋に押されて部室に入ってきたのは、まさしく俺の憂鬱の原因になっている彼女だった。


「秋ちゃん、そんな押さなくても…」
「いいからいいから、ほら、挨拶!」
「あっ、えーと、藤城ゆい…です。今日からマネージャーとしてお手伝いさせてもらいます、よろしくお願いします」
「え、ゆい?」


呆然とする俺より先に口を開いたのは土門だった。俺と同じく目を瞬かせている土門に、ゆいを見ていた部員は全員視線を移す。


「何だ土門、知り合いなのか?」
「知り合いっていうか…なあ、一之瀬」


土門はそう言って俺に困ったような視線を向ける。「なあ」なんて言われても、俺だって驚いてる。なんでそんな、急にマネージャーなんて。混乱している俺たちの前で、ゆいはさらりと言い切った。


「飛鳥とは昔からの友達だから」


ね、と土門と目配せをするゆい。…彼女の記憶に残っていないことくらいよく分かってる。でも、そこに俺の名前が含まれなかったという事実に、ちくりと胸が痛んだ。


「よろしく、みんな」


そう言って笑うゆいが、思い出の彼女と重なった気がした。















複雑な心境のまま練習は始まった。何をしていてもぼんやりしてしまって、集中できない。今日は溜息が多いなと我ながら思った。冴えない頭でリフティングを続けていた時、グラウンドに円堂の声が響き渡った。「よーし、少し休憩取るぞー!」って。マネージャーの子たちが用意してくれてたタオルをベンチに取りに行こうとすると、不意に肩を叩かれる。振り返った先に、俺にタオルを差し出すゆいが立っていた。


「お疲れ、一之瀬くん」


いい意味でも悪い意味でも、心拍数があがるのが分かった。でもなるべく悟られないように、俺は笑みを浮かべる。もう“友達”なんだ、と自分自身に言い聞かせながら。


「ありがとう、藤城」


まだ苗字で呼ぶことに慣れない。少しぎこちなくなるなあと思いながらゆいからタオルを受け取った。


「一之瀬くん、あんまり集中できてないね」
「え」
「考え事?」


思わぬ言葉に目を丸くする。確かにそうだけれど、なるべく練習に支障を出さない程度だったはず。あからさまな失敗は殆どなかったはずだと考えていると、くすくすと笑うゆいの声が耳に届いた。


「これでも昔はサッカーやってたから、それくらい分かるよ!」
「…ああ、そっか」


そういえばゆいはサッカー上手かったな。女の子だからと手を抜いた時にはあっさりと負けてしまった時もあった。思わず俺も笑顔になる。


「何か悩んでることでもあるの?」
「んー…微妙、かな」


君のことで悩んでるんだけど、なんて口が裂けても言えない。苦笑を浮かべながら曖昧に答えると、ゆいは「ふーん」と鼻で返事をした。あえて深く突っ込まないのか、それとも興味がないのか。今の俺には判断できなかった。


「悩み事なら聞くよ」
「藤城が?」
「聞くくらいしかできないけど」
「…うん、ありがとう」


でも、君には話せないよ。胸の中でそう付け加えて、また憂鬱な気分になる。でも彼女の前で暗い表情なんか見せられない、無理矢理にでも表情を変えるべく、俺は渡されたタオルで強く顔を拭った。


「大丈夫?飲み物も持ってこようか?」
「じゃあ、頼んでもいいかな」
「はーい、ちょっと待ってて」


ベンチへとゆっくり歩いていくゆいの後ろを分からない程度にそっと視線で追いかける。日本にきたばかりのころはあんなに遠かったのに、今はこうして言葉を交わすことができるんだ。でも、別れたあの日よりははるかに、比べ物にならないほど遠い。ゆいの口から聞けた「好き」という言葉も、彼女の思い出と共に遠い星になってしまっていた。
手を伸ばせば届く距離、だけど、絶対に届くことのない距離。過去と今が矛盾していて、もどかしくて、俺はぐっと唇を噛んでタオルに顔を埋めた。
そしてもう一度俺自身に問う。本当にこの道を選んでよかったのか、と。




大丈夫、すぐにまた笑顔になれるから

(だから神様、今だけは)






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