「大好きだよ、ゆい!」
「私も…くんが、大好き!」
「大きくなったら結婚しような」
「うん、楽しみにしてるね、…くん!」
「次に逢う時は、恋人同士だね」
「私、…くんの彼女だね!嬉しいな、」



セピア色の夢。何度も繰り返して見せられる様子は、まるで私に思い出せと言っているようだ。
いつも私は誰かに微笑みかけていて、それがただ幸せで、幼いながらに恋を知ったんだろう。胸の内が温かくなる夢、けれど、同時にひんやりした何かを感じる。これは一体何なのか。

「君は誰?」そう聞く暇もなく温かい夢はフェードアウトしていく。
目が覚めた時には、何も覚えていないのだ。















ばたばたばた、がらがら!
机に突っ伏して睡魔に身を委ねていると、何やら廊下が騒がしい。小さく唸って顔をあげ、大きく欠伸を一つ。なんだ、もう授業は終わっていたのか。ぼんやり考えている私の耳に、大きな声が届く。


「藤城ゆいって、どのクラスですか!」


教室中に響き渡る明るく少し低い声。その教室にいた全員が声のした方を見て、次いですぐに出された名前の人物を見た。そう、私だ。


「え、なに」


私はクラスで目立つような存在でもなければ、男の子の友人なんて数えるほどしかいない。一体誰だろうとクラスメイトの間を避けるようにして扉へ視線を向ける。するとそこには茶色い髪の男の子。


「…藤城さんならこのクラスだよ」


同じクラスの女の子がご丁寧に私を指差して彼に答える。見覚えがない顔だ、私は彼に何かしたのだろうか?軽く首を傾げていると、ぱちっと彼と目が合った。途端、嬉しそうに目を輝かせる男の子。ずんずんと此方へ進んでくる彼に私は慌ててしまう。だから、なになになに!


「藤城、ゆい?」
「え?あぁ、はい」
「っ、ゆいー!逢いたかったー!!」


ぎゅうっという効果音がついてもおかしくないほどの力強さで私は見知らぬ彼に抱きしめられた。クラスメイトの視線が突き刺さる。女の子からは嫉妬の眼差しで見られる!ああ、なんなんだ、この男の子は!私は静かに平凡な女の子として今まで過ごしてきたのに、ここにきて急に、一体。
私は身体からべりっと彼を引き剥がした。


「あれ、ゆい?どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、誰なの、君は…!」
「…え」


途端、満面の笑みだった男の子の表情が曇る。瞳は悲しげに揺れていて、なんだか、私が悪いことをしたみたい。


「な、なに、どうしたの…?」
「…ゆい、俺のこと…覚えてないの?」
「え?」


覚えてる?一体何のことだ。


「何を」
「俺の、名前」


思い出して、ゆい。
そう悲しそうな表情のまま言う男の子。近くで見れば睫毛が長いなあとか、整った顔立ちだなあとか、これじゃあ女の子の憧れの的だなあとか、そんなどうしようもないことを考えた。


「藤城ゆいは、昔アメリカにいただろ?」
「えっ」


どうしてそれを、出掛かった言葉は喉元でぴたりと止まった。昔、少しの間だけアメリカに住んでいたことがある。親の都合で。その時に知り合った子たちがいた。みんなサッカーが好きで、ずっとサッカーに関わり続けようって約束して。
でも、


「…どうして、君がそれを?」
「どうしてって…」
「一之瀬くん!」


一之瀬くん、そう呼ばれた男の子はくるりと振り返る。そこには私の良く見知った女の子、木野秋ちゃんが立っていた。秋ちゃんはアメリカで知り合った子のうちの一人だ。雷門中で再会できて、すごく嬉しかったのを今でも覚えている。少し慌てた表情の秋ちゃんは彼…一之瀬くんの腕を掴む。なんだかよくわからない雰囲気だ。


「駄目だよ、ゆいちゃんは、」
「離して、秋。俺が日本に来たのは、ゆいとの約束を叶えるためでもあるんだ」
「今のゆいちゃんは、覚えてないよ!」


一之瀬くんのことだけ、何も。
そう秋ちゃんが告げた瞬間の一之瀬くんの顔はとても悲しそうで、つらそうで。寝起きの頭じゃ上手く考えられなかったし、目の前の出来事が何かなんて想像もつかない。けれど、理由はわからなくても、私は胸が締め付けられるのを感じた。なんだろう、この感じ。


「…本当に、覚えてない?」
「う、ん」
「アメリカに居たことは?」
「覚えてるよ」
「秋や土門や、西垣のことは?」
「…覚えてる」
「俺のこと…だけ?」


アメリカに居た時に私と一緒にいたのは、その三人だけではなかったか。でもそう考えると、胸の中にぽかんと大きな穴が空いた気がした。何かがそれを否定している、けれど何も思い当たる節がない。何もいえなくて、私は少し俯いた。教室中が何事かと私たちを見ているのが分かる。沈黙が痛い、そう思ったと同時、一之瀬くんが口を開いた。


「…ごめん、急に」
「へ?」
「またね、ゆい」


にこ、と力なく笑いかけて、彼は私に背を向ける。その後をあたふたと秋ちゃんがついていった。


「ごめんね、ゆいちゃん」
「あ…ううん」


静かなままだった教室が、またがやがやと賑わい始める。さっきのことを話しているんだろう、そんな内容も耳に届いた。
ただそれさえ気にならないほど、私の頭の中は何かでいっぱいだった。何か大切なことを忘れている気がする、思い出していいことなのか否か、そんなのは分からない。でも、何か忘れている。


「一之瀬、くん」


もう一度小さく彼の名前を呼んでみる。それは何処か、




懐かしい響きだった。








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