無理を承知の上で抱きしめさせて欲しいと言った。ここで断られたら本当に諦めるつもりだった。でも、断られなかった。それは彼女の優しさからだろうか。
少し意地の悪いことを言っても聞いてくれる彼女が嬉しくて、でもなんだか申し訳なくて。そんな複雑な想いを抱きながらゆいの背に腕を回す。ずっと触れたかったその身体は細いのに柔らかくて、彼女をこんな近くに感じられたのはいつ振りだろうと考えながら白い首筋に顔を埋めた。このまま俺のものになってくれたらいいのに、今までのことも全部思い出して、その声で俺を好きと言ってくれたらいいのに。
言ってもらえないとしても、俺は心に決めていた。何度も色々なものに邪魔されて、最終的には事故にまで邪魔されて言えなかったけど、俺の本当の気持ちを伝えようと思っていたんだ。
口を開いた矢先、慌しい音と共に病室に例の女の子が入ってきたことは本当に想定外のことだった。















「待って、ゆい!」
「ダーリンまだ怪我しとんねんから、動いたらあかんやろ!」


病室を飛び出して行ってしまったゆいを追いかけようとしたけど、リカに押さえつけられてベッドから出ることが出来なかった。先刻ゆいに向けていたような鋭い視線じゃないにっこりとした笑顔を俺に向ける。一瞬言葉を失ったけど、ここでその通りにするわけにはいかない。まだ少し身体は痛むけれど、それなりに慣れてきた。そう大きな怪我も無さそうだ、これなら動けるだろう。


「俺は大丈夫だよ、だから行かせて」
「なんでや、ダーリン…」


不意に静かな声が耳に届いて、ベッドの脇に立っているリカを見上げる。少し俯いているからか青い髪がその表情を隠していてよく見えない。それを窺おうと覗き込むと、眉間に皺を寄せた彼女が顔を上げた。


「あの子はダーリンの友達なんやろ?なんで彼女でもないのにそんなに構うん」


彼女でもないのに。その言葉が俺に突き刺さる。確かにリカの言う通りで、ゆいは俺の彼女じゃない。俺にとっては大切な幼なじみで大好きな女の子だけど、彼女にとっては俺は良くてもただの友達だと思っているんだろう。リカがどうして俺がこんなにゆいに構うのか、疑問に思うのは不思議じゃなかった。
隠して曖昧にしてもよかったのかもしれない。でも俺はあえて彼女に話すことを選んだ。息を吐き出して、リカを見上げる。


「俺、最初に好きな子がいるって言っただろ」
「でもあれ、冗談なんやろ?」
「冗談だなんて言った覚えないんだけど」
「…ダーリンの好きな子っちゅーんが、ゆいってことか?」


それでもダーリンと呼んでくる彼女にもやもやした気持ちを抱きながら、俺は迷いなく首を縦に振った。俺は藤城ゆいが好きなんだと、リカにちゃんと伝わるように。


「それって、ダーリンの片想い?」
「…そうなる、かな」
「なんやそれ、じゃあめっちゃ擦れ違っとうやん」
「今に始まったことじゃないよ」
「アホやなあ、ダーリン」


え、と言葉を失って目を丸くする。てっきり怒るかと思っていたけど、リカはにやにやとした笑みを浮かべていた。


「恋愛はな、擦れ違ってばかりやったらすぐ壊れてまうねんで、めっちゃ脆いから」
「リカ…?」
「見た感じゆいはかなり不器用みたいやし、ダーリンまで不器用やったら救い様ないわ。気付いたら終わっとったってことも十分ありえるんちゃう?」


言い返す言葉もなかった。このまま俺が何も行動しなければ、確かに終わってしまうかもしれない。現に今、そんな状況なのだから。


「ダーリンがそう言うなら、うちも手ぇ引いたる。そのかわり、絶対ゆいとくっつくんやで!このまま友達で終わった、とか言うたらうちが本気でぶん殴ったるからな」
「は、はは…」


暴力的な言葉に思わず頬が引き攣るけれど、それでも目の前のリカは笑ってくれていた。土門や秋以外に初めて言った、この気持ち。それを受け止めてくれた彼女に本当に心から感謝した。


「ありがとう、リカ」
「うちにお礼言う前に、さっさとゆい追いかけた方がええと思うで。ダーリンが動けるならやけど」
「うん、大丈夫。動けるよ」


俺は今度こそベッドから立ち上がり点滴の針を腕から引き抜く。まだ少し痛む身体に言い聞かせて歩を進めた。結局まだ言えてない、本当の気持ちを伝えに行くために。きっと今このタイミングで言わないと、これからまた言えなくなってしまう。そのまま一生ってことも、十分ありえるんだ。病室の扉を開いて後ろ手に閉めると、白く長い病院の廊下を歩いていった。


「…ほんま、しゃーないやつらやなあ、ダーリンもゆいも」


そう言って苦笑するリカの声は、俺の耳には届かなかった。














走れはしないけれどなるべく早く足を動かして彼女を姿を探した。病室は見たし、他の階に行ってる可能性はほぼ皆無だろう。なら一体何処に?そう思いながら辺りを見渡し、気付けば病院を出ていた。未だズキズキと痛む身体が鬱陶しく思えて緩く自分の片腕を撫でる。痛みなんか、今はいらないのに。


「ゆい…っ」


見覚えのない土地だからか彼女を見つけるのはそう容易くない。と、そんなことを思っていた刹那のこと。目の前に見覚えのある後姿が現れた。俺は悲鳴をあげる身体に鞭を打って駆け出す。か細く白い腕を、ぐっと掴んだ。


「…何回同じことさせるんだよ」
「っえ、あ…」


事故に逢う前と同じ状況。ただ今度は俺が先刻よりも強くゆいの腕を掴んでいるということだけが違っていた。驚いたような表情を浮かべている眼は赤く腫れていて、涙が零れている。


「な、なんで、一之瀬くんが…っ」
「追いかけてきたに決まってるだろ」
「だ、駄目だよ、怪我治ってないのに!」
「それはそっちも一緒」
「私はっ…その、一之瀬くんが庇ってくれたから…」
「藤城、」


なんとか俺から逃れようと目を逸らしながら言うゆいの名前を静かに呼んで、俺は一層強くゆいの腕を掴む手に力を込めた。その表情が少し歪んだのが見えたけれど、そんなことを気にしている暇はない。次は離さない。もう絶対、離さないんだ。


「い、痛いよ…一之瀬くん…」
「…ごめん、でもこうでもしなきゃまた藤城が逃げるかもしれないから」
「逃げたりなんかっ、」
「してる、よね?」


にこっと笑いかけた。でも今の俺は精一杯で、完全に笑えているかどうかは分からない。目の前のゆいが驚いたような表情を浮かべた。


「一番最初の時も、事故の前も、さっきも。全部俺から逃げてるだろ、藤城」
「そんな、こと…」
「…今まではずっと、深追いしなかったけど」


今回こそは逃がさない。言葉こそ発しなかったけれど、俺は視線でゆいにそう告げる。赤く腫れた瞳が揺れて、俺を見つめていた。言い訳になってしまうけれど、本当はこんな強引なことをするつもりはなかった。でもリカにも言われた通りこのままじゃ何も変わらない。今まで通りでいってしまうと俺はまた彼女に逃げられて、何も言えなくて一人で沈んで。それの繰り返しだ。


「…駄目だよ、一之瀬くん…わ、私、」
「頼むから、聞いて」
「私、本当に自分勝手だから…っ」
「藤城!」
「こんな私に、一之瀬くんの隣にいる資格なんかないんだよ!!」


叫ばれた言葉に目を丸くした。俺の隣にいる資格?訳がわからないと眉間に皺を寄せているとゆいの顔が歪められて、真っ赤な目からまた大粒の涙が零れてきた。


「私は一之瀬くんと違って真っ直ぐじゃない、の」
「…どういう意味?」
「っ自分勝手、で…酷くてっ…すごく歪んでるから…真っ直ぐで綺麗な一之瀬くんの傍には、いられないよ…!」


何度か逃げようとしたのか強く腕を引かれたけれど、俺はそれを許さないように力を込めて握ったまま離さなかった。俺が掴んでいない方の手で目元を拭うゆいから目が離せなくて、言葉の意味をよく理解できなくて、言葉を失う。


「さっきだって、リカちゃんが一之瀬くんのこと好きだって分かってたのに、私っ…」
「あれは俺が頼んだことだ」
「それだけじゃないよ!他にも、もっと、たくさん…っ」


彼女の目から涙が止まることはなく、次から次へと大粒のそれが溢れてくる。段々と胸が苦しくなってきて、空いている方の手でそっと彼女の頬に触れる。親指で涙を拭った。


「…俺、藤城を泣かせてばかりだね」
「ち…がう、よ。私が、勝手に泣いてるだけ…っ」
「もう傷つけないって、約束したのにな」


情けない気持ちでいっぱいになって俺はゆいの赤くなった瞳を至近距離から覗き込んだ。すると彼女は眉尻を下げてふにゃりと笑う。それは何処か嬉しそうな、でもとても悲しそうな、どちらとも言えない表情だった。


「…駄目だよ、一之瀬くん。女の子に簡単にそんなことしちゃ」
「え?」
「一之瀬くんにはちゃんと好きな子がいるのに、勘違いされちゃうよ」


多分、いや絶対今の俺はぽかんとした表情を浮かべている。断言できる。そういえば事故の前にもこんな話を聞いた。彼女は何を勘違いしているんだろう。
そこで俺はようやく追いかけてきた本来の目的を思い出した。そうだ、俺はこれを言うために此処まで来たんだ。この気持ちを、拒絶されても伝えるために。


「藤城、俺、言いたいことがあって、」
「い、やだ…っ。聞きたくない…!」
「っ…なんで、聞いてくれないんだよ…」
「だってもう、これ以上嫌な人間になりたくないんだもん!」


そこではっとなった。腕を掴む手の力こそ緩めないものの、もう片方の手で泣きじゃくるゆいの頭をそっと撫でる。俺自身に余裕がないからといって急ぐ必要なんてなかったのに、彼女を付き合わせる必要などなかったのに。胸が痛むのを感じた。
少し時間を置いて彼女が落ち着くのを待ってから、俺はなるべく優しく問い掛けた。


「どういうことか、教えて欲しいんだけど」
「…一之瀬くんがリカちゃんと話す度に、胸の中がもやもやしてた。それよりずっと前から、一之瀬くんのことが頭から離れなかった。もっといっぱい話したいって思ってた」


ぽつりぽつりと話し始めた内容があまりに信じられないことばかりで思わず目を見張る。揺れる瞳が俺に向けられて、震える声が言葉を紡ぐ。


「…一之瀬くんに好きな子がいるって分かって、私の中で何かが崩れていくような気がした。それが誰かなんて分からないのに、その子に嫌な感情ばかり抱いて、苦しくなって、」


彼女の頭を撫でる手が、止まった。普段より心臓の音が大きく聞こえる。口の中が乾いていく気がした。


「どんどん嫌な人間になっていくのに、それでもこの感情は止まらなくて、」
「…っ」
「どうしようもなくてごめんなさい。自分勝手で、ごめんなさい」


小さく息を吐いた、刹那。


「私、一之瀬くんのことが好きになってしまいました」


ゆいの姿が昔の彼女と重なったと同時、俺はゆいに噛み付くように口付けていた。




噛みあって、動き出した歯車

(それは俺が何よりも求めていた言葉だった)






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