真っ暗な中、私は一人で立っている。何処が前で後ろで、上で下なのか分からない。ただ真っ暗な空間。何処からか「ぎぎ、ぎぎ、」と何かが軋む音が聞こえる。辺りを見渡しても何も見えない。とりあえず歩いてみた。足音さえ、聞こえない。


「こんにちは!」


不意に聞こえてきたのはまだ声変わりもしていない幼い声。振り返ると小さな男の子が立っていて、にこにこと笑っていた。でも笑いかけているのは私じゃなくて、男の子の前にいる小さな女の子。女の子はただただ涙を零していて、男の子の呼びかけには応えない。


「どうして泣いてるの?」
「うまく、話せなくて、」
「…こっちには来たばかり?」
「う、ん」
「そっか、英語が分からないんだ」


男の子は優しく女の子に話しかけて、そっと頭を撫でた。そこで分かった、女の子は昔の私なんだと。アメリカに行ってすぐ、英語が話せなくて友達も上手くできなかったことを思い出す。


「大丈夫だよ、俺は日本語分かるから」
「っう、う…私と話してくれる、の?」
「もちろん!だからもう泣き止んで。俺が英語、教えてあげる」
「本、当?」
「うん。そしたらもう寂しい思いしなくてよくなるよ」


そこで女の子、昔の私はようやく顔をあげて、涙でぐちゃぐちゃの顔のまま男の子に笑いかけた。
するとふっとテレビの映像が消えるように、二人の姿が私の前から消えて、暗闇にはまた私一人になった。











「すごいね、もう普通に話せるようになったなんて」
「君のおかげだもん、ありがとう!」


しばらくすると、また別の方向から声が聞こえてきた。そちらを向けば、先程より少し大きな男の子と女の子が立っている。私はじっとその様子を見つめた。


「友達もね、たくさんできたんだよ!」
「そっか。じゃあもう泣いてない?」
「うん、泣いてないよ。それに私には君もいるもん」
「あはは、そうだね。じゃあ俺はゆいの友達第一号だ」


そう言ってはにかむ男の子と、私。名前を呼ばれたことで確信する。これはアメリカにいたころの記憶だ。飛鳥や秋ちゃんに出会う、ずっとずっと前の記憶。


「私たち親友だね!」
「うん、そうだね」


嬉しそうに笑う二人を見ていると、胸のうちがぽかぽかと暖かい気持ちになっていく。二人は仲良く手を繋いで私に背を向けて歩いていく。頬が赤く染まっていると気付いた時には、またその様子は消えていた。










ふと真っ暗の中、私は手を自分の上に伸ばす。何に触れるわけでもないけど、ふとそこできらりと光る何かが見えた気がした。星のように一粒、きらきらと光るもの。それをじっと見ていると、また近くで声がした。今度はぽん、ぽん、という音と一緒に。


「すごいすごい!上手!」
「俺、サッカー好きなんだ」
「ねえ、どうやったらそんなに上手くなれるの?」
「楽しめばいいんだよ、サッカーを」


はい、と男の子は女の子にサッカーボールを差し出した。戸惑うことなくそれを受け取ると、昔の私は男の子の真似をしようと膝でボールを上げる。けれど二回続いただけで、それはすぐに地面に落ちてしまった。


「ああー…難しいよ、これ」
「ははっ、すぐにできるものじゃないって。俺と一緒に練習しよう!」
「そしたら上手くなれるかなあ?」
「なれるさ、ゆいならね」


そうかな、と言って照れたように笑う昔の私は、落ちたボールを拾ってまたリフティングを開始する。二回を三回に、三回を四回に。ぽん、ぽん、とボールが弾む音を聞いて、とても懐かしい気持ちになった。









次に見えたのは、私が既に見覚えのある子たちだった。


「飛鳥、こっちこっち」
「よしっ、行けゆい!取られるなよ」
「取られるわけないじゃん、任せてよ!」


飛鳥と呼んだ彼からボールを貰い、女の子はそのまま前へ進んでいく。目の前に立ち塞がるのは幼い西垣と、最初よりかなり成長した男の子。


「ゆいに俺が抜けるはずないだろっ」
「う、わあ!」


軽いフェイントをかけて男の子は私から軽々とボールを奪った。にやにやと笑っている男の子を昔の私が睨みつけると、そのまま横から足を伸ばす。驚く男の子を尻目に私はボールを奪い返して、目の前の小さなゴール目掛けてボールを蹴り飛ばした。ゴールネットが揺れる。


「ふふんっ、私を舐めるからこんなことになるんだよ」
「あ、あはは…油断しちゃったかな…」
「おい、ダサいぞー!」
「うっ…」


気まずそうに目を逸らす男の子を見て、昔の私はけたけたと笑う。近くにいた秋ちゃんも西垣も飛鳥も、釣られて笑った。最終的に男の子も笑顔になった。
この光景には見覚えがあったし、私がゴールに入れた記憶もある。けれど、その男の子だけは初めてみるもののように新鮮だった。












また上へと手を伸ばす。きらきら光るそれには手が届かない。でも、さっきより近づいている気がした。はっきり目にすることができて、ちゃんと絵に描いたような星の形をしているようだ。あれはなんだろう、じっと見つめる。


「ゆい、」


名前を呼ばれて下を向く。すると私の目の前には男の子と女の子だけになっていた。もうあの頃のように幼すぎるわけでもなく、それなりに背も伸びた二人。男の子は何処か真剣な表情で、真っ赤な顔をして昔の私の肩に手を置いていた。


「俺、ゆいのこと、女の子として好きなんだ」


昔の私は目を瞬かせて男の子を見つめる。意味を理解したのか否か、その表情がふにゃりと歪んで、笑った。照れ臭そうに、幸せそうに。


「私もね、君のことが好き」


大好きだよ。そう笑う私に、男の子も照れたようにはにかんだ。







また、泣き声が聞こえる。ぱちっと瞬きをすると、少し離れたところに蹲って泣いている女の子とその背を撫でる男の子が見えた。この光景は、確か、夢でも。


「ゆい、もうすぐ帰っちゃうんだね」
「嫌だよっ、帰りたくない。ずっと此処にいたい!」
「泣かないで、ゆい」


そう言って男の子はまた頭を撫でて、笑った。笑顔がとても似合う男の子だった。


「また逢える。俺が逢いに行くから」
「本当?逢いにきてくれるの?」
「もちろん!だから待ってて」


男の子はうーんと小さく唸ると、上の方を指差した。それに釣られるようにして昔の私も、私自身も上を見る。彼はさっきから上にあった星を指差していた。


「あの星、見えるだろ?きっとゆいが帰ったところからも見えるはず。だから、あの星に約束する」


絶対、逢いに行くって。


「また逢えた時はもう一度、俺の恋人になってください!」
「…うん、約束する!」


その笑みに釣られるようにして頬を緩ませた昔の私の目からは、もう涙は零れていなかった。










たくさんの思い出、それに共通しているのは一人の男の子。笑顔が似合う、茶色い髪の、明るくて、太陽みたいで、幼い私のヒーロー。
何処かで見覚えのある彼は、いつも私のことを支えてくれていた。私の記憶から消されてしまっていた、たった一人、大切な人。


「嘘つき!!」


大きな星は、もう手が届きそうなところにきている。そんな時耳に届いた悲痛な声に、私は肩を震わせた。もう男の子の姿は何処にもない。いるのは、昔の私だけ。


「嫌だっ…嫌だよ!どうして?約束したのに!」


私の足元に蹲って泣く、昔の私。過去の藤城ゆい。絶望に満ちた表情を浮かべていて、涙で顔はぐちゃぐちゃになっていた。
ふと横から透けるようにして土門飛鳥が出てきた。過去の私を抱きしめるようにして、背中を撫でる。


「もう泣くなよ、ゆい…」
「だって、約束したのに、私が帰っても逢いにきてくれるって、約束したのに!」
「あいつはもう、いないんだ」
「わからないよそんなの、わからない!」


飛鳥も泣きそうな顔をしていたけれど、涙は見せなかった。ふと隣に秋ちゃんが現れて、私と同じように涙を零す。

私はもう一度上を見上げて、先程と違って激しく点滅している星に手を伸ばす。もうすぐ触れられる。もうすぐ。いつしか勝手に私の頬を温かい涙が流れていた。一粒、また一粒。胸の中が温かくなって、締め付けられるような感覚。

思い出したよ、全部。私が本当に忘れていたこと、思い出さなきゃいけなかったこと。愛しくて苦くて、甘い思い出。忘れちゃいけなかったことに蓋をして、私が逃げていただけなんだってこと。


「どうして死んじゃったの、一哉くん!」


過去の私が叫んだと同時、私の手はその星を掴んでいた。



この両手はやっと、真実を掴んだ。

(一之瀬一哉くん、それは私の、大切な人でした)






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