ずっと悩んでいた。ゆいの手を振り払ったあの日から、いや、もっと前から。これから傷付くこともあるだろうし、傷付けることも、約束したけれど、もしかするとあるかもしれない。それでも俺は彼女を好きなままでいいのだろうか、と。でも嫌いになれるはずもなければ、なろうとも思わない。友達という距離に満足しているはずもない。今すぐに好きだと言って、両手で抱きしめて、俺だけのものにしてしまいたい。叶えばいいのに叶わない、そんなつらいものならいっそ諦めてしまおうか、と。
そんな時だった、幼なじみが衝撃的な言葉を口にしたのは。














「今…なんて言った?」


窓の外へ向けていた視線を顔ごと隣に座る長身の男に向けた。自分ではなるべく冷静な、落ち着いた声を出したつもりだ。けれどそれも上手くいかず、少し声が引き攣る。土門はいつものような表情のままさらりと呟いた。ざわざわとしたキャラバンの中、土門の声以外の全ての音がシャットダウンされる。


「だから俺、ゆいのことが好きになった」


冷たいものが体中を駆け巡る。それはあまりにも唐突で、急な話だった。暫く言葉を失いじっと目の前の土門を見つめた後、俺は眉を潜めて訝しげな表情を浮かべる。だってそうだろう、なんだって、急にこんなことを。


「…なんだよ、急に」
「いや、お前には言っとかないといけないかなーと思って」


漫遊寺中にいた時に最後尾を歩いていた土門が俺に笑いかけたことに違和感は感じていたし、ゆいと二人で居ることに対して少なからず嫌な気持ちを覚えたことはあった。でもそれは二人が友達だと思っていたからで、それ以上の気持ちなんて持ち合わせてないんだろうと勝手に俺が思いこんでいたわけで。
またあの時のように俺に笑いかける土門に、胸の中がざわめく。


「ま、お前とゆいはもう友達みたいだし」
「それは…っ」


確かに、そうだけれど。言い返す言葉もなく、ぐっと唇を噛み締めた。ほぼ自分から作った距離だ、でも心の何処かで諦めきれない自分がいる。このまま友達として終わらせられないと思ってしまう、自分が。


「…本当は、分かってるんだろ」
「さあ、どうだろうな」


ふざけた言い方が癪に障る。きっと土門は気付いてるんだろう、揺らいでいるにしても、俺がゆいへの気持ちを完璧になくしていないことを。でもだからこそ、ゆいのことを想うなら引き下がるべきなのだろうか。また、ぐらりと揺れる。


「まだ引き下がるなよ、一之瀬」
「…?」
「別に俺はこう言ってお前に引き下がって欲しいわけじゃない」


意味深な言葉が理解できず、俺は首を傾げた。俺の想いに気付いているから見せしめの如く言ったんじゃないのか。土門は口元ににやついた笑みを浮かべながら挑発するように言う。


「宣戦布告をしてるだけ」
「つまりは引いて欲しいんじゃないの?」
「まさか。ライバルがいた方が楽しいだろ?こういうのって」


かちんときた。お前そんな軽い気持ちでゆいのこと、ゆいのこと…。ああ、でも俺は彼氏でもなければ、ゆいの記憶の中では幼馴染でもない。俺がそんなことを言える立場にあるはずがない。
けれど、ずっと昔からゆいを想い続けていたのは俺だ。今でも消えない、むしろ強くなっていく想いを消さずにずっと灯してきたのも俺だ。今更俺の想い人を好きになった?そんな話、納得できるはずがない。引き下がれるはずもない。
届かない想いにむしゃくしゃして諦めようかと揺らいでいた時のこと、俺の想いはすぐにもう片方へと傾いた。簡単に諦めて土門に渡すことなんて、認められない。


「…じゃあ、俺は土門のことを楽しませてあげられそうだな」
「そっか、安心した」
「そのかわり、勝てるだなんて思わない方がいいよ」
「はは、随分手厳しいなあ」


負けず劣らず、俺はにっこりと土門に笑顔を向けた。傷付けるとか、そういうことを抜きにして考えてしまってもいいのではないか。友達だと言ったのは自分だけれど、応えられないとはっきり拒絶してしまったけれど、何もせずに土門にゆいを渡してしまいたくない。最後まで足掻けばいいじゃないか、それで駄目なら、諦めるまで。
俺は土門に気付かれないように、手のひらを強く握った。














俺たちは今、稲妻町に帰ってきている。真帝国学園での影山の罠を乗りこえ、佐久間や源田たちは救急車で運ばれた。サッカーをできない苦しみは俺が一番知っている、だからこそ彼らには早くサッカーができる身体に戻って欲しいと思った。鬼道もきっと、同じことを望んでいるはずだ。
稲妻町へ向かう途中のバスでの出来事が今もまだ俺の頭の中をぐるぐると回る。ずっと諦めるか否かただそれだけを考えていた。だから他のやつがゆいを好きになるだなんてことは想定外だった。俺が諦めたらゆいはもう俺のものじゃなくなる、即ち他の男に取られてもおかしくない状況になる。百歩譲ってこのまま彼女と友達でいることを選んだとしよう、ゆいがこれからも他の男に取られる心配なんてないか。…答えはNOだ。そんなところを見たくもないし、聞きたくもない。そこでようやく気付く。ああ、やっぱり俺はまだゆいが好きなんだって。
宇宙人に壊された校舎を修理中の雷門中を見てから、俺たちは自由行動となった。みんな身体を休めるようにと言われ、メンバーも各々別の方向へ歩いていく。ふと視線を向けた先、其処には土門とゆいが楽しそうに笑っている姿があった。


「やっと帰ってこれたって感じだね」
「そうだな。ゆいはこれから行くとことかあるのか?」
「ううん、別に家に帰ろうとも思わないし…どうしようかな…」
「それなら一緒にその辺散歩しようぜ。俺も特に予定ないし」
「おー、いいね、それ」


その会話を聞いた途端、胸の辺りをもやもやと嫌な感情が渦巻く。分かってる、これは嫉妬だ。土門がゆいに対してあんな感情を抱いていると知らなかったころはまだよかった。こんな感情なんて殆ど抱いたことない(…はず)。でも今は違う。ただ話すだけ、それこそ隣にいるだけでも醜い嫉妬心に身体を支配されそうになる。苛立ちをなんとか抑え、俺は大股に其方へ向かっていった。背後からぐっとゆいの手首を掴んで、引っ張る。


「へっ?」
「ごめん土門、俺、藤城にちょっと用があるから」
「あ、おい、一之瀬!」


後ろから声を掛ける土門も気にせず、俺はぐいぐいとゆいの腕を引く。慌てたような声が聞こえてくることにも関わらずに進んでいると、不意に大きな声で「一之瀬くん!」と名前を呼ばれた。はっとなり手を離す。振り向くとゆいは訝しげな表情で俺を見ていた。


「あ…ごめん」
「…痛いって何回も言ったのに」
「はは…気付かなかった」


本当に気付かなかった、と俺自身に対したのも含めて乾いた笑みを漏らす。それからもう一度謝ると、ゆいは少し目を瞬かせてから肩を落とした。「仕方ないなあ」と呟く声は、俺に向けられている。それだけでも嬉しかった。


「それで、用って何?」


少し俺より後ろに立っていたゆいは半歩前に出て俺との距離を詰める。ああ、そういえばそう言って引っ張ってきたんだったかと考えながら俺は小さく唸った。


「え、何もなかったとか?」
「……そんなことないよ」
「何、今の間」


俺はさり気なくゆいから目を外し、それからまた彼女の腕を掴む。今度は優しく、痛くないように。


「何処行くの?」
「俺が行きたいとこ。話はそこで」


いいよね、と苦し紛れに笑いかける。少しの間文句を言っていたゆいは暫くして溜息を吐いた。俺の突然の行動に呆れているんだろうか、いや、それでも構わない。何も言わずについてきてくれるゆいの優しさに思わず頬が緩みそうになった。分かってる、なんだかんだでゆいが優しいことくらい。だから俺はその優しさを利用しようとしてしまうんだ。














「…本当に此処に来たかったの?」
「うん」


久々に見た光景に俺は自分でも表情が明るくなるのを感じた。俺の好きな場所は最後に目にした時から変わっていなかった。河川敷だ。誰もいないそこは前に見た時よりずっと広い気がして、俺はぐっと腕を空へ伸ばした。


「俺、此処好きなんだ。なんとなくだけど」


そう言って坂に腰を下ろす。此処にくると思っていなかったのか少し驚いた表情のゆいに小さく笑みを零して俺は手招きした。少し渋ってから隣に座るゆいを確認して、俺はまた前を見る。彼女を見ないようにして、俺は口を開いた。


「この前は、ごめん」
「え?この前って、」
「ほら、北海道に行く前。手、大丈夫だった?腫れたりしてない?」


そういえば男の俺が振り払ったりしたんだ、彼女の細く白い手は大丈夫だろうか。慌ててその手の甲を見るとそれはまだ白いままで。安心して小さく息を吐く。ゆいの笑い声が聞こえた。


「そんな、叩かれたわけじゃないんだから大丈夫だよ」
「うん…でも、ごめん」
「気にしないで、一之瀬くん」


その手をじっと見つめているとあの時の気持ちも僅かながらに思い出して、俺は思わず苦い表情を浮かべた。でもすぐに笑顔を浮かべる。「ありがとう」と紡いで。


「前も言ったけど…その、相談なら聞くから」
「あははっ、そうだね。でも大丈夫、その時はちゃんと言うから」
「そう言って一之瀬くん、言ってくれないよねー」
「…そんなことないって」


慌てて否定しようとするとゆいは笑った。あの出来事からずっと俺はゆいと上手く話せなかったから、なんだかこうして笑えるのが懐かしい気がして。なんとなく昔の、アメリカに居たころを思い出す。あの時もこうやって、ゆいは隣で。


「一之瀬くん、サッカーやってる時ってすごく輝いてるよね」


唐突な内容に一瞬頭がついていかず、ぽかんとしてしまう。ようやく言葉の意味を理解すると首を傾げた。突然なんだろう、と。


「フィールドの魔術師って呼ばれる意味がよくわかるよ」
「そうかな」
「うん。楽しそうだし」


サッカーは楽しい。そのために厳しいリハビリを繰り返して足を治したくらいだから、俺のサッカーへの思い入れは強い方なんだろう。そういう自覚もあるから特に驚くことはないけれど、それをゆいに言われるとは思っていなかった。俺のことはずっと、見ていないものだと思っていたから。


「俺のこと見てくれてるとか?」
「ちゃんと見てるよ。みんなのこともね」


マネージャーなんだから当然。ああそうか、そういう意味か(一瞬舞い上がりそうになった俺が馬鹿みたいじゃないか…)。
今までなら此処で諦めるところだけれど、脳裏に浮かんだのは土門と楽しそうに話すゆいの姿。負ける、わけには。


「…あのさ、藤城」
「ん?なに」
「一つ聞きたいことがあるんだけど」


俺は意を決して真っ直ぐゆいを見る。情けなく震えそうになる身体を抑えようと手に力を込める。唐突な俺の変化に驚いたのか、ゆいはきょとんとした表情を浮かべていた。


「…藤城はまだ、俺のことが嫌い?」
「え」


直球すぎただろうか、いや、でもこういう話は的を得た言い方の方がいいに決まってる。ふざけもせずただ真剣に、俺はじっとゆいを見つめた。彼女はと言えば言葉の意図を理解し損ねたのだろうか、軽く首を傾げている。


「え、と…私、嫌いって言ったことあったっけ」
「直接言われたことはないけど…でも最初の態度で、伝わってきた」
「あ、あれは、その…」


俺は忘れもしないぞ、と少しむっとした表情を浮かべてみせると焦ったように目を泳がせたゆいは小さく唸ってから「ごめん」と口にした。その様子がなんだかおかしくて思わず口元が緩み、笑みが零れる。


「とにかく、嫌いじゃないよ。一之瀬くんが嫌な人じゃないって分かったし」
「…じゃあ、どう思ってるの」


ぴたりと笑うのを止めて、俺は俯いた。彼女の目を真っ直ぐ見ることができない。俺自身その言葉が恥ずかしくなって、頬が熱くなるのを感じた。情けない、こんなことを聞くことでさえ臆病になっているだなんて。


「それって、どういう…」


さあ、言え。臆病になるんじゃない、言わないならずっとこのままなんだ。まだ顔は熱いままだけれど意を決してゆいを見つめる。また【友達】だと返ってきたらどうしよう、いや、多分きっとそうだ。でもそれなら俺の気持ちだけでももう一度伝えたい。俺はまだ諦めてないんだよって。


「藤城が俺のこと…どう思ってるのか、教えて欲しい」
「…私、は」


彼女が口を開いた、刹那、


「あっ、なんだ、一之瀬たちも来てたのか!」


二人して大袈裟に肩が跳ね上がる。慌てて声のした方を見れば、上の方には塔子がサッカーボールを持って立っていた。その後ろには鬼道もいる。俺は慌ててゆいと距離を取った。


「やっぱり練習か?」
「あ、ああ…そんなとこ、かな」
「なら一緒にやろうぜ。あたし達もそう思って来たんだ」


にっと笑って俺にボールを突き出す塔子。ちらりとゆいへ視線を移せば頬を引き攣らせて笑っていた。ああ、確か前にもこんなことがあったな。また邪魔されてしまった…などとどうしようもないことを思いながら俺はそのボールを受け取る。するとゆいは立ち上がって坂を上がっていった。


「じゃあ私、タオルとか持ってくるよ。しばらく練習するでしょ?」
「ああ、助かる」
「ありがとな、ゆいー!」


鬼道と塔子が声を掛けると、ゆいは軽く手を振って行ってしまった。ちらりと俺の方も見てくれたのは、気のせいだったんだろうか。
彼女は一体どう答えようとしていたのか。自分に都合の良い答えを想像しては、少し虚しくなる。なあ、なんて言おうとしてたんだよ。わからない、知りたいと頭の中で繰り返す。

でも君との距離が、少し、


縮まったような気がしたんだ。

(自惚れでもなんでもいい、ただ、今だけは勘違いさせて)






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