最近よく頭が痛くなる。それから、よく夢を見る。とても鮮明な夢で、現実に起こったことのようで、まるで実際に体験したかのような夢。サッカーボールが足に当たる感覚も、お腹が痛くなるほど笑ったあの感じも、胸が温かくなる感じも、全て経験している気がする。
私の前にいる男の子はいつも笑顔で、私のことを優しい声で「ゆい!」って呼んでくれる。私もそれに応えているんだろうけど、名前のところだけがどうしても空白になってしまう。男の子は、私が日本に帰ることを知ってた。


「ゆい、もうすぐ帰っちゃうんだね」


悲しそうに言う男の子の前で、私は拭いもせずに涙を零していた。帰りたくないよ、嫌だよ。何度もそう繰り返して。


「泣かないで、ゆい」


そう言って優しく私の頭を撫でてくれる手がとても心地よくて、目の前の男の子はにっこりと笑った。それから私の手をぎゅっと握ってくれる。


「また逢える。俺が逢いに行くから」
「本当?逢いにきてくれるの?」
「もちろん!だから待ってて、ゆい」



いつの間にか涙も止まり私も笑顔になる。まるで太陽のような男の子はずっと私の中で笑っていた。


「私、ずっと待ってるよ!だからちゃんと約束してね」
「うん、わかった。大好きだよ、ゆい!」
「私も、…くんが…」



そこではっとする。私は夢の中の男の子と大切な約束を交わしていた。そしてずっと待っているのは、きっと彼のことだ。
ねえ、教えてよ。君は誰なの?














「…ゆい?おい、ゆいってば」


ぼーっとしながらみんなについて歩いていた私に声を掛けたのは土門飛鳥だった。まるで上の空だった私はそれより前の話など聞いておらず、慌てて彼を振り向く。


「え、あっ…ごめん。ぼーっとしてた」
「悩み事でもおありで?」


ふざけた口調で返してくるけれど、飛鳥はとても優しい。ちゃんと話を聞いてくれるし、心配してくれる。いつも頼りになる、大切な友達だ。「んー」と小さく唸ってから、私は溜息を吐きながら言葉を零した。


「ちょっと分からなくてさあ」
「なにが?」
「えっと…」


ちらりと前を歩いていた一之瀬くんの背中を見遣る。吹雪士郎くんを新たにイナズマキャラバンに迎え、私たちは次に宇宙人がやってくると宣言した京都、漫遊寺中学に来ている。サッカー部の人たちに宇宙人の脅威を知らせるためだ。
あのバスでのことがあってから、私は一之瀬くんとあまり話せていない。一瞬とてもつらそうな表情を浮かべた彼が頭から離れず、思い出す度に振り払われた手が痛む気がした。以前の私なら一之瀬くんのことなんてどうでもいいと思えただろうし、友達でも踏み込んで欲しくないところがあるんだろうと気にせずにいることもできただろう。それなのにあの表情が、声が、もっと言うなら一之瀬くんのことが頭から離れない。これは一体、どうしたことか。
私の視線を追うように飛鳥は前を向いて「ああ」と納得したような声を出した。


「一之瀬絡みのことね」
「絡みっていうか…なんか、最近おかしいなと思って」
「確かに、本人は気付かれてないつもりかもしれないけど…俺や秋にわかるくらいには、元気ないよな」


風丸くんに笑いかけてる一之瀬くんは一見いつも通りの彼だ。チームのみんなも特に違和感は感じてないはず。でもなんだかんだで一緒にいる私や、一之瀬くんのことを昔から知ってるらしい秋ちゃんや飛鳥にはなんとなく伝わっていた。何かがおかしいって。


「…私、やっぱり何かしたのかな」


ぽつりとそう呟くと、隣で飛鳥が複雑な表情を浮かべていた。何、と声を掛けたらすぐに「なんでもない」と首を振られてしまったけれど。


「何か変なこと言ったとか、そういうのはないの?」
「喧嘩らしい喧嘩なんてしてないと思うし…言ってないと思うんだけど」
「…微妙なとこだなぁ」
「な、なんで」
「自分の心に聞いてみろって」


ゆいがしたこと、とった態度、色々さ。
そう言われて一之瀬くんに出会ってから今日までのことを思い返す。…確かに、嫌われてもおかしくない態度をたくさんとってきた。最初の方なんて思い返せば本当に酷かったと思う。でも、最近は上手くやってきたはずだ。【友達】として。
…ふと心に靄が掛かったような気がした。


「その…」
「思い当たることでも?」
「えーと…この前、北海道行く時にさ…飛鳥が酔いそうだからって席変わったじゃん?その時に…す、少し」


振り払われたなんて初めてで、混乱してしまったのを覚えている。少し俯くと私は自分の両手を見つめた。そんなに触れられるのが、嫌だったのかな。


「…あの時か」
「え、なに?飛鳥、何か知ってるの?」
「…いーや、何も。でも確かに一之瀬がおかしいって思ったのはあの辺りからだった気がするなぁ」


そう言われて、やっぱり原因は私なのかと確信した。一之瀬くんの背中をじっと見つめる。もやもやした気持ちが広がる。その気持ちが溢れていくのを感じながら、私は溜息を吐くのと同じように言った。


「私、最近変みたい…なんだ」
「どういう風に?」
「こう…一之瀬くんを見てると、胸が締め付けられそうになるっていうか」


苦しくなって、一之瀬くんから目が離せなくなる。気付けば目で追ってるし、一緒にいて楽しいとさえ思う。彼への印象が逢ったばかりの頃と大違いで、自分自身とても戸惑っている。
そう付け加えて飛鳥へと視線を向ける。するととても安心したような笑顔を浮かべていて、私は言葉を失ってしまった。


「そっか、そりゃ変だな」
「なんか…表情と言葉が矛盾してるんだけど」
「ははっ、ゆいがやっと恋ってのを覚えてくれたんだなあと思うと嬉しくて」


明るくさらりと言い切った飛鳥を前に、私は目が点になった。恋、なんて一生縁がないことだと思うくらい疎遠なものだったし、大体そんな相手なんていない。男友達でさえそんなにいない私にとって、その言葉は十分衝撃的だった。


「は…っ、こ、ここ、恋って…!?」
「そうそう。だって一之瀬から目が離せなくて、どきどきして、一緒にいたいって思うんだろ?世間一般的にそれは恋って言うと思うぞ」
「な、ないよ!だって私、一之瀬くんに恋する予定なんかなかったし!」
「…恋って予定立ててするもんだったか?」


いやいや、そんなの知らない!どう答えればいいか分からなくて、思いも寄らなかった単語に慌てふためく。
でも、と心の中で自分自身に話しかけてみた。脳裏に思い描かれるのは今までの一之瀬くんとのこと。最初は一方的に抱きしめられて、ふざけるなと怒って、わけが分からないおかしな子だと思ってて。でも友達で居てって頼まれて、それは嫌じゃなくて、それからずっと友達で、友達で。


「笑ってよ、藤城」

「俺は藤城ゆいが好き」

「ゆい!」



そういえば最初は名前で呼んでくれてたんだな。彼に好きだと言われた言葉を何度も頭の中でリピートする度、顔が熱くなるのを感じた。ああ、これが。
急に静かになった私を不審に思ったのか、飛鳥は軽く私の顔を覗き込んできた。


「私…」
「うん」
「わ、私、一之瀬くんに…」


恋、してるんだ。
自分の中で確信に変わった想いが胸いっぱいに広がる。顔がとても熱い。覗き込んできた飛鳥に見られたくなくて、私は両手で顔を覆う。隣でくすくすと笑う声が聞こえてきた。ああ、もう、分かってる、らしくないことくらい!


「わ、笑わないでよ…!」
「ごめんごめん、耳まで真っ赤だからつい、な。でもまさか此処まで鈍感だと思わなかった」
「失礼な…っ」
もう一之瀬くんの姿を目に入れることすら恥ずかしい。視線を逸らして満遊寺中の景色を見ながら少しでも顔を熱を冷まそうとする。
そこでふと脳裏を掠めたのは、一之瀬くんにさらりと言ってしまった言葉。それは私の胸に小さい痛みを残す。


「…でも、私…一之瀬くんの気持ちに応えられないって、言っちゃった」
「あー…そういえばそんなことも言ってたな」
「き、きっと一之瀬くんは、もう私のことなんか…なんとも思ってない、よ」


過去のことを振り返り胸の辺りがずっしりと重くなる。どうしてあんな冷たい態度を取ってしまったんだろう、確かに頭が痛くて気分が悪かったにしても…あんな言い方。思い返して自己嫌悪に浸り溜息を吐いた。
俯いていると飛鳥がくしゃり、と私の頭を撫でてくれる。私より幾分か背の高い彼は、にっと優しい笑みを向けてくれた。


「弱気になるなよ、ゆいらしくないぞ」
「…飛鳥、」
「お前のことを一之瀬がどう思ってるかなんて、俺にも秋にも、ゆいにも分からないだろ?一之瀬本人しか知らない。…伝えるだけ伝えてみるのが一番だと思うぜ、俺は」


その笑みと同じくらい優しい言葉に胸が少し苦しくなって、なんとか私も笑いかけようとしたけれど、へにゃりと情けないものになってしまった。飛鳥の手が私の頭から離れていくのを見届けてから、深く息を吐く。ありがとう、そう口にしたつもりだった。
でもその前に頭に鋭い痛みが走る。突然のことに私は小さく唸る。痛い、近頃頭痛が多いとは思っていたけれど、此処まで痛いのは初めてだ。少しふらつく私を慌てたように飛鳥が両手で支えてくれた。


「おい、ゆい!大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫。ちょっと…頭、痛くて」


それからはっと大切なことを思い出す。私が一之瀬くんに恋をしていると自分で気付かなかった理由は、これじゃないだろうか。いや、気付かなかったではない、気付いてはいけない気がしていたからだ。尚も心配そうに私を支えてくれる飛鳥に軽くお礼を言って離れ、私は長く続いている廊下へと視線を落とした。


「あの…変な話かもしれないんだけど、聞いてくれる?」
「…ああ、話してゆいが楽になれるならね」
「私ね、一之瀬くんに…恋しちゃ、いけない気がするんだ」


ぽつりと零した言葉に、もちろん飛鳥はきょとんとした表情を浮かべた。何が、と聞かれる前に私はすぐに言葉を紡ぐ。最近よく見る夢の話を。


「ただの夢かもしれないんだけど、私、誰かを待っている気がして」
「…」
「その子とね、約束してるんだ。待ってるよって、私、伝えたと思うから」
「ゆい、お前、それ…!」


がしっと強く肩を掴まれ、驚いて飛鳥の方を向く。そこには驚いたような彼の表情があって、私は訳が分からず首を傾げた。


「思い出したのか!?」
「えっ…わ、わからないけど…ただの夢かもしれないよ?ただ、大切な思い出のような気がして」
「…完璧じゃないにせよ、少しは思い出してるってことか」


独り言を呟く彼に目を瞬かせる。思い出す?そう言えば、今まで何度も言われてきた気がする。でもたかがこんなのタイミングの良い夢かもしれない。それでも、もしもの可能性を取ってしまった。


「…だから、その子を待ってなきゃいけない気がするんだ」
「ゆい、それは…」
「で、でも…一之瀬くんが気になるのも事実で。私、どうすればいいのか分からなくて、頭も痛くて…」


言っているうちにぐるぐると回る、麻痺した思考回路を無理矢理働かせようと眉間に軽く手を添えた。少し気分が悪い、そう思っていると肩を掴んでいた飛鳥の手がそのまま背中に滑ってきて、そっと撫でてくれた。


「もっと気楽に考えろよ、ゆいが本当はどうしたいのかをさ」
「私が、どうしたいか…」
「俺の意見としては、昔のことにこだわるより…今のゆいがどうしたいってのを考えるのが一番だと思うぞ」


今の自分がどうしたいか。昔の、私が覚えていない男の子を待ちたいのか。それとも一之瀬くんに本当の気持ちを伝えたいのか。飛鳥の言葉を思い返しながらゆっくり考える。でも、結論は出なかった。一之瀬くんに気持ちを伝えてしまえばいいのかもしれない、けれどあれだけ冷たく突き放したのは私なのに此方から告白なんて都合の良いことこの上ないと思う。私にはそれを乗り越える勇気も、自信もなかった。
暫く黙っていると、背中を撫でる手をそのままに上から声が降ってくる。最後尾を歩いていてよかった、と少し安心した。


「…今のゆいは、一之瀬が好きなんだろ?」
「……う、ん…そうなんだと、思う」
「お前ら二人とも、変なとこで不器用だからなあ…」


うーんと考えるような素振りを見せる飛鳥。私のことをよく分かってくれてるとは思う、でも飛鳥はそれと同じくらい一之瀬くんのこともよく分かっているんだろうなと思った。不器用と言われて言い返すことのできない私は何も言わずにただ歩を進める。不意に少し強く背中が叩かれた。


「よしっ、俺が一肌脱いでやるよ」
「へ?」


素敵な提案だろとでも言うように言う飛鳥に驚いて慌てて顔を見上げる。私が口を開く前に、彼は私の唇に人差し指を押し当てた。


「ゆいは何も言わずに、ただ俺に合わせとけばいい」
「そ、それだけでいいの?」
「ああ、どんな状況でも俺に合わせるだけ。簡単だろ?」


その状況にもよるんだけど。複雑な表情を浮かべる私だけれど、飛鳥が言うなら少し頼んでみようかとも思った。だって多分、このままじゃ私は一之瀬くんに何も言えないだろうから。ごくり、と生唾を飲み込む。


「…わかった、飛鳥に…任せる」
「ああ、頑張れよ、ゆい」


そう言ってまた飛鳥はにっこりと笑った。過去の男の子が誰なのか、それは結局わからないままだ。その子に私が好きだと言ったこと、言ってもらったことは実際にあったことなのかもしれない。でも私は今、一之瀬くんに気持ちを伝えたいと思った。あの太陽のような笑みを向けて欲しいと思った。少しずつ引いてきた頭痛に額に当てていた手を退け、私は飛鳥に笑いかける。

これからどうなるかなんて、考えもせずに。




胸の中で覚醒した想いは、

(私を酷く、揺さぶる)







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