※闇堕ち一之瀬




震える息を吐き出して、真っ直ぐ目の前の彼を見据えた。ああ、そうだ、きっとこれは夢なんだ。そう口にしようとして、そうしたら私の唇に冷たくて細いものが触れる。それは彼の、一之瀬くんの指だった。


「夢じゃないよ」


いつものように柔らかい笑みを浮かべる一之瀬くん。けれどその裏に隠された気持ちなんて分からなくて、私は何とも言えない気持ちになった。


「どうして?本物の一之瀬くんは正義感の溢れるかっこいい人だったのに!」


私は真っ直ぐな彼が好きだった。そういうところに憧れていて、一之瀬くんに惹かれていったんだ。けれど今私の前にいるのはそんな一之瀬くんとは別人のような、一之瀬くん本人で。私の口から『正義』という言葉が出た途端、すうっと一之瀬くんの顔から笑顔が消えた。無表情な彼は、冷たく私を見つめる。


「正義って、一体何が正義なんだよ」


低く言われた言葉はまるで彼のものではないような錯覚さえ覚える。やけに早くなる鼓動が、うるさく響いた。


「え…」
「自分の信じるものが正義?なら、俺は強さこそが正義だと信じるよ」
「そ、そんなの違うよ!正義は…正しい人を救うための…」
「それはなまえが考える正義。正義っていう言葉はね、単純なようで奥が深いんだ」


知ってた?そう言ってまたにっこり笑う一之瀬くん。もう何が現実なのか分からなくて、私はゆっくり俯いた。違う、目の前の彼は、一之瀬くんじゃない。本物の一之瀬くんはこんなこと言わなくて、もっと真っ直ぐで、キラキラしてて、


「ねえなまえ、俺に教えてよ。なにが正義で、なにが悪なのか」


こんな声で、こんなこと私に言わない。
一之瀬くんが一歩私に近づいて不意にポケットから見覚えのある翡翠色の石を取り出す。はっとなった私と対照的に、彼はうっとりとした表情で口を開いた。


「この光はさ、とても温かいんだ。俺の不安も、恐れも、何もかもを拭い去ってくれる。本当に…何もかも」


どくん、どくん、と心臓が煩く脈打つ。生唾を飲み込む。一之瀬くんはゆっくりと私へと手を差し伸べて、手のひらを上にして止まった。ああ、分かった、どういう意味か。揺れる瞳で一之瀬くんを見つめれば、いつもと違う妖美な笑みを浮かべた一之瀬くんがいる。私は、私は、


「おいで、なまえ」


その一言が耳から入り、麻薬のように私の身体を支配する。頭の中でサイレンが鳴り響く。けれど私の腕は勝手に動いて、差し伸べられた手にそっと、自分の手を重ねた。



100221

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