※企画提出作品





名前を呼ぶだけで幸せで、こうして抱き合っているだけで幸せで。ぎゅうっと愛しい彼の背中へ回した腕に力を込めながら、私は彼の名前を紡ぐ。


「円堂くん」


そう呼ぶと円堂くんは優しく私の背中を撫でてくれるのだ。ああ、この時間が堪らなく愛しい。未だ幼い顔つきの円堂くんは可愛い笑顔をいつも私に向けてくれる。無邪気で優しい、自慢の彼。


「…あの、さ」


ぎゅっと抱きしめたままでいると、不意に耳元で円堂くんがもごもごと呟いた。不思議に思った私は彼の肩をそっと押して距離を取る。円堂くんは私と違って、ちっとも幸せそうな顔をしていなかった。


「…ごめんね、ぎゅってするの嫌だった?」
「ち、違う!俺、こうしてなまえと抱き合うの、すごく好きだ!」


両手を左右に振って否定する円堂くんに思わずくすっと笑みが漏れた。次第に手が止まるとまた俯いてしまう円堂くん。明らかに様子がおかしくて、私は首を傾げた。


「どうしたの?」
「…俺、なまえと抱き合ってるだけでもすごく幸せで、名前呼んでもらえるだけでも幸せなんだ」
「うん、私もだよ」
「それだけで十分満たされるんだ。満たされてるんだけど…」


幼い顔が不安げに曇って、瞳が揺れる。私と同じ年のはずなのに円堂くんは私にはとても可愛らしく見えていた。そっとオレンジのヘアバンドをつけた癖のある髪に触れて、撫でる。


「うん」
「それだけじゃ…足りなくて」


そう言って円堂くんの顔が一気に近づいて私の唇に触れた。一瞬触れるだけの幼稚なキス。頬に熱が集まるのを感じたけれど、きっと私は円堂くんほどじゃないんだろうってほど、目の前の彼は耳まで真っ赤に染め上がっていた。


「も、もう一回…していいか?」
「…う、ん」


二人の唇で奏でられる小さな音。円堂くんとのキスは今回が初めてってわけじゃない。でも毎回触れるだけの、あの幼稚なキスで終わっていたから…こうして何度も繰り返されるキスは初めてだった。離れたと思ったらまだ足りないと言うかの如く円堂くんが唇を寄せ、円堂くんが離れたら私が足りないと唇を寄せ。その繰り返し。ふわふわするような錯覚に陥り、室内に響く水音だけがこれが現実なのだと聴覚を通じて伝えてくれる。


「ん、はっ…えん、ど…く…」


酸素が欲しい、そう思って薄ら口を開くとそこから何かが入ってきた。ぬるりとした感覚にそれが円堂くんの舌なんだと理解する。私の咥内をぎこちなく、それでも確実に探ってくるそれに応えようと、私はそっと舌を伸ばした。室内に響く水音が、確実なものになる。二つのそれが触れ合う度、脳が痺れるような気さえした。甘い、苦しい、そんな矛盾を覚えていたところ、ようやく唇が離れて円堂くんに解放される。お互いを繋いでいた糸は、途中でぷつんと切れた。


「はぁっ…は…」
「…悪い、俺…止められなくて…」


肩で息をしている円堂くんもきっと苦しかったんだろう。火照った顔から熱が引く様子など全くない。私は円堂くんに微笑みかけた。


「ううん、嬉しかったもん」
「っ、なまえ…」


それからまた、ぎゅうっと抱きしめられた。私は円堂くんに抱きしめられるのが好きだ。だって抱きしめられていると、全身に彼を感じることができる。円堂くんの肩に顔を埋めていると、耳元でまた一言。


「ごめん…」


何に対して謝っているのか。私は続きを促す。


「俺、こうしてるだけで幸せなはずなのに」


そのまま円堂くんの体重が私に掛けられて、支えのない私は自然と、でも労わるように床に寝かされた。照明を背にする円堂くんの顔はそれでも赤いのが分かるほどで、私の横に腕を突く。


「お前を求めずには、いられないんだ」


いつもはサッカーしか見つめていない目が私を射抜いて、切なげに揺れる。その瞳には明らかに情欲の色が浮かべられていて、ああ、円堂くんも男の子なんだと、心の中で呟いた。


「嫌なら逃げてくれ、なまえ。俺、始めたらもう、止められる自信…ない」


お前のことを傷付けてしまうかもしれない。
今の状況にまだ頭がついていけてないのか、円堂くんは震える声で私に伝えた。下からぼんやり見上げていた私は、次第に頬が緩むのを感じる。自分の欲望と理性との狭間でどうすればいいか分からなくなっているのかな、と第三者のように考えてみた。それでもそんな彼に、愛しさは募るばかりで。
そのまま、円堂くんの頬に手を伸ばした。


「逃げないよ、だって、円堂くんだもん」
「…いい、のか…?」
「うん、円堂くんだから、いいんだよ」


笑いかける私は、円堂くんに甘いのか。いや、そんなはずはない。だって目の前で大好きな人にこんな顔を見せられたら、誰だって頷いてしまうだろう。円堂くんは眉尻を下げて、ふにゃっと笑った。


「大好きだぜ、なまえ」
「私も円堂くんが…守くんが、大好きだよ」


私たちはそれを合図にするかのように、もう一度唇を重ねた。




やさしいけもの

(彼は何度も好き、好きと繰り返した)



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