「…くそー」


誰もいない美術室、キャンバスと向き合って私は一度、舌打ちをした。
滑らせていた筆を止めてうーんと背伸びをすると骨が鳴る。此処に座って一体どれだけの時間が過ぎたのか、私はひたすらじっと美術室から空を眺め、その風景を絵にしていた。が、何故か今日は集中できない。納得のいくような進み具合でもなく、少し苛立って冒頭へ戻る。


「今日はもう帰ろっかな」


こういうときは早めに切り上げてまた明日に回すべきか、と。手にしていた画材を片付け始める。開けっ放しの窓から聞こえてきた声に椅子から立ち上がると窓辺に近づいて、さっきまで描いていた空ではなく、その下を見下ろす。美術室は校舎の二階にあって、見下ろせばすぐにグラウンドの風景が目に入るのだ。毎日放課後此処に来るのは勿論絵を描くのが目的だけど、それと同じく、私はサッカー部の練習風景を眺めるのも日課としていた。それもとある人がいるから、なんだけど。


「一之瀬ー!」
「ああ、ナイスパス!」


一之瀬一哉、くん。
先日アメリカから転校してきた彼に私の心が射抜かれるのはそう遅くはなかった。あの笑顔や声、サッカーをしてる時の真剣な表情、確かな技術。彼を見ていれば見ている程惹かれていったのだ。けれどクラスが違う上にサッカー部のマネージャーでもない、そんな私には彼と話すことさえ難しい。一方的な片想い、でも、こうして窓から彼を眺めていられるだけでも幸せだと思った。


「かっこいい、な」


ぽつりと呟いた言葉は誰にも聞かれることはないだろう。ほっとしたような虚しいような、そんなどちらともつかない気持ちを抱く。
その時、一之瀬くんがゴールに向かってすごいシュートを決めた。ゴールキーパーの彼…円堂くんを抜いて一瞬でゴールを決めた一之瀬くんのシュートはグラウンド中にすごい音を響かせた。彼方此方から「ナイスシュート!」と声が飛び交う。夕日に照らされた彼の顔にはいつもの笑みが浮かべられていて、その相手が私だったら、なんて、思ったりして。
ふと一之瀬くんが校舎の方へと走ってくる。何処に行くのかな、とじっと目で追っていると、彼は美術室の真下で止まって、顔を上げた。「え、」と言葉も出ない私と目が合う。


「今のシュート、見ててくれた?」


もしかして誰か居るのだろうかと慌てて辺りを見渡したけれど、此処には私しかいない。その様子を見てか、「君だよ!」と私を指差してきた。


「わた、し?」
「いつも見てくれてるよね?君、名前は?」
「え、あ、」


「俺は一之瀬一哉!」と手を振ってくる一之瀬くんに暫く口をぱくぱくさせていたけど、何とか言葉を発しようと、窓際に手を掛けた。


「みょうじ…なまえ、です」
「ん、じゃあなまえ、俺もう一本シュート決めるから、見てて!」


それから額に二本指を立てる仕草をして、彼はまたグラウンドへと走って行った。
話せた、一之瀬くんと。名前呼んでもらった。それだけで舞い上がるほど嬉しくなった私は、画材の片付けの途中だということも忘れて、グラウンド上の一之瀬くんの姿をひたすら目で追った。
次にシュートを決めたら、今度は勇気を出して、私もナイスシュートって言ってみようか。

そしてまた、サッカーボールがゴールネットを揺らした。


やっと、一歩前進!


(ナイスシュート、一之瀬くん!)
(サンキュ、なまえー!)



091129/一歩前進!

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