朝ですよー。
ずしりと自分の身体の上に何かが乗っている重量感と陽の光眩しさを覚えた張遼はゆるゆると瞼を開けた。
女だ、女が恥じらいもなく私の上に馬乗りしているではないか。否、問題はそこではない。
張遼は見下ろす女の手首を強引に掴み自身の身体を反転させ女を寝台にねじ伏せた。まるで寝起きとは到底思えないほどの素早い動きだ。



「いだだだだ!将軍私ですよ!わたし!名前で、あだだだだっ!」

「む、そなたか」



朝日で顔がよく見えなかったせいか一瞬、間者が私の寝首を掻きに来たのかと。女は確か夏侯妙才の副将だ。そんな夏侯淵殿の副将が侍女でもなんでもないのに気まぐれによく私を呼び起こしに部屋にやって来るのだ。以前、彼女に夏侯淵殿にも斯様なことをしているのかと問えば、淵将軍一人で起きられますしねぇ、と返答した。夏侯淵殿同様、貴公に起こされずとも一人で起床できるのだが。
掴んでいた手首を解いてやれば女は痛さで顔を歪めた。



「…将軍痛い」

「すまなかったと思うが扉を叩かぬそなたもどうかと」

「痛いんですけど!」

「だからすまなかったと」




再度謝れば子供のように頬を膨らましながらまあ、見逃してやってもいいですけど。と許しを得た。どうやら彼女は自分が目下の立場を弁えていないようだ。張遼は寝間着の襟元を正しながら後ほど夏侯淵殿に彼女の態度を告げてみようかと考えたが、彼ならば人当たりのいい笑顔で許してやってくれや、と言うに違いないだろう。少々大仰気味だが痛そうに手首を擦る名前を見るとお互い様だと納得した。



「それにしても今朝は随分ゆっくりでしたね」

「そなたが呼び起こしに来る時刻は毎度変わらぬと思うが」

「いやあ昨夜から朝方まで郭嘉殿と話し込んでいたのでいつもより幾分か遅いんですよ」




思いがけない人物の名に一瞬驚いたが、何より郭嘉殿と朝方まで話し込むほど親しい関係であったのかと疑念を抱いた。名前殿とは酒を酌み交わすことも幾度もあったが彼と交友関係だったことは一言も告げていなかった。郭嘉殿を悪く言うつもりではないが、あの…郭嘉殿だ。女性好きだと有名なあの郭嘉殿。朝方までただ会話をするだけで終わる御仁だろうか。
確認するかのように女を横目で見れば名前は張遼の言いたいことを察したようなのか、ああ!と思い立ったかのように拳を手のひらで叩いてみせた。




「今度は将軍と郭嘉殿と私、三人で話しましょうね」



どうやら伝わっていなかったようだ。…私はそういうことを伝えたかったわけではなかったのだがな。彼女のあまりに気前のいい笑顔で答えるものだからつい首を縦に振ってしまった。三人で、と言ったところ彼女は郭嘉殿に脈絡はないように思えるが。しかしこの気前のよい笑顔も夏侯淵殿の影響であろうか。
張遼と女は直接的な上下関係ではなかったのだが、会話を重ねるに連れ互いに意気投合するまでに至った。名前は張遼を将軍将軍と慕い、張遼も頻繁に自分だけに起床を呼びかける彼女を不器用ながらに何かと可愛がっていた。年の離れた妹を持ったような感覚に陥っていたのだ。

晴れぬ表情に拗ねたような複雑な心境。例えるならば他人が無許可で私の得物を使用していたときのようだ。人間と得物を比べるのはいかがかと思ったが、比喩表現するならばそれが一番近いような気がするのだ。かと云って彼女は得物と違い自分のものでは無い。普段ならば男一人にここまで気に止めぬが、相手が郭嘉殿になると話は別だ。

一方名前は将軍の匂いー、などと言いながら寝台にごろごろと寝転ぶ姿を張遼が目に入れると彼は鬚をいじる手に思わず力が入った。
(どこまでも鈍い、その鈍さは戦場で命取りになりかねるぞ…)




「そなたは左様なことを郭嘉殿の前でもしているのか」




私の尋問に名前殿は弾かれたかのように顔を上げ、寝転んでいた身体を起こし姿勢を正す。



「将軍の前だけです」



両の手を膝に乗せて私の顔をいつになく真剣な面立ちで見つめる様に思わず息を飲んだ。動揺など張遼らしくないがこればかりは致し方ない。



「名前ど」

「あっ、そういえば淵将軍や殿のときにもしてました!あと文姫殿にも!いやあ勘違い勘違い」




…あの緊張感はなんだったのか。
鬚をいじる手はずるりと垂れ落ち、半ば呆れる張遼と頭を掻きながらあははと笑い飛ばす名前は真面目な張遼と正反対の性格だった。曹孟徳の前でさえ同じことをやってのける女はある意味大物だと思ってしまう。

全くと言っていいほど意識されていないことは解った。少なからず彼女は自分を男として見てもいないのだろう。どこか私は優越感に浸っていたかもしれぬ、侍女でもない副将の彼女が私にだけ呼び覚ましに来ることやひとり酒を好む彼女とよく共に酒を酌み交わしたこと。他者の者とは違うやもしやぬと勝手に自惚れていただけだった。この感情を嫉妬と呼ぶには程遠いが独占欲であることは間違いない。攻めるにも攻めにくい女だ。武で気持ちを語るしか他ないか。否、それが理解出来るほど彼女は聡明ではない。ではどうすれば…。

未だ寝巻きのまま考え耽る張遼に、彼を悩ませる張本人の名前が一張羅である着替えを笑顔で差し出した。思考から引き戻された張遼は礼を述べそれを受け取った。





「先ほどの話の続きですが私が馬乗りになるのは将軍貴方だけです。特別ですね!」




ああ、これだから自覚のない人間は困ったものだ。張遼は呆れたような表情を浮かべながらも内心は心浮かれてどうしようもなかったのであった。


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