縁談に興味はあるか。 幾年ほど前、今よりまだあどけなさが残る名前に問いかけた。彼奴は口元だけ笑みを作って首を横に振った。「いえ」たった一言、奴がわしの目を真っ直ぐ見据えてその場で口にした言葉であった。
「ちっ、」
荒々しく廊下を早足で駆ける政宗の表情は焦燥感と鬱積に苛まれていた。現在、伊達家に世話になっている傭兵集団、雑賀衆頭領である雑賀孫市と先に会話していたことが事の原因である。
──……
「なに…?」
「だからよ、見合いするんだろ?あのお嬢さん」
政宗が書物に目を通しているとき孫市は自身の無精髭を弄りながら問いかけた。政宗は思わず頁を読む手を止めて孫市に顔を向けたが、すぐに隻眼の男はまさか、と鼻で笑った。
「名前のことを言うてるなら何かの勘違いであろう。彼奴は縁談に興味が無いと申していたからな」
「それはいつの話だよ。あの子も年頃の女だぜ?昔は興味なくても今は全くってこともないんじゃないか?」
「それが誠の話であればわしを通すはずじゃ」
「まあ、そうだよな。俺も詳しくは知らないんだがお前んとこの禅師が持ってきた、という話なんだとよ」
それを聞いた際、政宗は眉根を寄せて孫市の呼びかける声にも応じず、その場から立ち去った。
──……
探す人物はただ一人、名前だ。
名前は元々政宗の師匠に当たる虎哉禅師と親しい関係であった。女の身で勇ましく戦場で剣を振るう彼奴の働きは男顔負けと賞賛しても良いほどだ。戦乱の世といえど、年頃の女子が身体に傷を付け、戦ばかりの彼奴の心配をした禅師が持ちかけた話かもしれぬ。
それが噂ではなく誠ならば禅師は何故わしに通さなかったのであろう。俄かに信じられない話であったが全く否定は出来ないことは事実であった。焦れる気持ちを唇で噛み締めながら政宗は庭へと出た。
辺りを見回してみると庭に並ぶ木々の間の間に後ろ姿でしゃがみ込んでいる名前がいた。政宗は名前を見つけると軽く拳を握り、彼女の名前を呼んだ。
「ああ、政宗殿」
上半身だけこちらに向けて名前は頭を軽く下げ会釈した。政宗は眉根を寄せたまま名前の元に歩む。近づいて気付いたが上半身だけこちらに向けていたのは、彼奴の足元にいる猫を触っていたようだ。
「この子、お腹大きいでしょう?もうすぐ子どもを産むんだろうね」
猫の顎を撫でればそれに反応するように猫が気持ち良さそうに名前の足元に擦り寄る。あまりに愛おしそうに撫でるものだからチリッ、と心に何かが擦った気持ちになった。
貴様も普通の女子のように子を産みたいか。女としての幸せを、味わいたいか。
政宗は思わず口にしてしまいそうだった言葉を飲み込んだ。
「縁談を受けると聞いたが、」
彼奴に問いかけると、…ああ。と一言言葉を漏らして猫を撫でる手を止めた。
「私が虎哉殿に頼んだのです。政宗殿には内緒で、と」
「何故隠す必要がある。やましさでもあるのか」
「まだお相手も見付かっていない、不確定なものだったから」
「…ほう。幾年前は興味ないと申しておったのにな、そうまでして普通の女子のようになりたいか」
どこか嫌味が含まれる言い方に名前は地面を見つめしゃがみ込んだまま微笑んでいただけだった。
「剣を振るうのも嫌いじゃないよ。ここでの生活も居心地良かった。…けど、私も女だから、」
迷いがあるように見えるが揺るがぬ答えは彼奴の中で決まっているような返答にチリ、チリ、と小さく刺さる痛みか怒りか分からぬもどかしさを気のせいだと自身に訴えた。
「…お世話になった伊達家を放り出すようでごめんなさい」
「そう思うなら断れ。まだ決まっていないのであろう」
「それは、できないよ」
「何故そう頑なに拒む。貴様は現、わしの家臣。わしが断れと言っているのじゃ、禅師に断ってくるがいい」
下を向いていたから表情はしかと見えないが言葉に詰まった様子は分かった。
頑ななのはどちらであろうか。わし、自身であるか。
相手は不確かとはいえ、今まで幾度か他家臣から持ちかけられた縁談話に首を横に振っていた。そんな名前が自ら初めて禅師に持ちかけた話だ。戦場では勇敢に剣を振るう名前だが戦場以外では自分の意志をあまり表示せぬ女子であった。此度の話、よほどの勇気がいただろうに。
チリチリと怒りのような痛みが少しずつ、少しずつ大きくなっていたような気がした。
わしが名前の幸せを願わずにこうも引き止めるのは理由がないわけでない。
名前を他家にやると伊達家が困るのだ。戦場の采配、軍の士気。奴の働きがどれほど我が軍に影響をもたらすというのか。貴様は解っているのか。
伊達家当主として当たり前のことを心配している。だのに、どうもその心配とは別の痛みが先ほどから政宗の胸中に残っていた。チリチリと煩わしい痛みと憤りが胸に襲っているのだ。
「伊達家の心配をしているのなら大丈夫。今の政宗殿は昔と比べて随分大きくなったから。私一人なんかがいなくても別に──」
名前の言葉を遮って再び猫を触ろうとする腕を強引に引いた。
「わしの、目を見ろ。
先から一度も此方を見ておらぬではないか」
腕を引かれたことで体勢が崩れた名前の身体を腕一歩で支え、片方の手は顎に手を添え、無理に上を向かせた。足元に擦り寄っていた猫が慌てて去るのも構わず、名前が逃げぬようにぐっと腕に力を込めた。 黒曜石を思わす双眼は驚きの色を隠せず、政宗の隻眼と対峙した。名前の瞳にはわしはどう映っておろう。余裕のない情けない表情であろうか。
安心しきっていたのだ。昔といえど名前が縁談に興味がないと言い切っていたことを。他家に行くことなどない、伊達家に居つくことを勝手に思い込んでいた。
チリチリとした痛みはいつの間にかジリッとした抉るような痛みに変わっていた。忌々しくも薄々感づいていた、これは嫉妬と名前に対する男としての独占欲である。
「行くな、行くな…行くでない」
顎に添えられていた手は名前の後頭部へと回され、そのまま政宗の胸元へと引き寄せられた。堅い胸板にすっぽり押し込まれた名前は詰まった表情で政宗の胸元で拳を握りしめた。
「ダメ、ですよ、政宗殿。私はただの伊達家の将。こんなの、誰かに見られたら」
「…ならば行くな」
「政宗殿。はなして…離して。私は欲深い人間、だから……勘違いしそうになる、だから」
馬鹿め、左様な態度を取るな。意識されていると勘違いしそうなのはわしの方じゃ。 胸板を弱々しく押す名前を無視をして力強く抱きしめた。
「他の男に渡すくらいなら貴様に嫌われたほうがよほど良いわ…」
普段は自信で満ち溢れている政宗が耳打ちをするようにか細く呟く。側にいて欲しいのだ、誰よりも何よりも、奪われたくないのだ。己の物でもないのに彷彿した想いは止めることも出来ず、ただ名前を引き止めることしかできなかった。
「誰にも渡しとうない、わしが嫌なのじゃ」
手を離してしまったら先の猫のようにこのままどこか行ってしまうのではないかと。二度と帰って来ないのではないかと。そんな不安が政宗をぐるぐると襲う。だから上手いやり方も分からずただ抱きしめることで名前を自分の中で留まらせていた。
「ひどいな政宗殿、今更そんなこと」
自嘲するかのように言葉を零した。
「身分差を気にして、あなたへの想いを断とうと縁談を受けようとしたのに…こんなの、あんまりだ」
「馬鹿め、左様なことわしが気にすると思っていたのか」
「…心配にならない方がおかしい」
だから貴様は馬鹿なのだ。わしへの想いを断てば満足なのか、それで貴様は幸せになれるというのか。違うであろう。貴様が居らねばわしとて満足いかぬのだ。
「ここに居てくれるな?」
「興も醒めてしまいましたし、ね」
「ふん、何とでも言うがよい」
いつもの笑顔に戻った名前に釣られて政宗も自信に満ち溢れた笑顔をつくった。
縁談の件は禅師にわしから話をつけておく。名前に伝えればこくりと首を縦に振ってごめんねありがとう、とお礼を述べた。
未だ抱きしめられて身動きの出来ぬ名前が、あーだのえーだの言葉にならぬ言葉を繰り返した。
「離して欲しい」
「ふむ、そうじゃな」
名前の両肩を掴んで胸元から引き離したかと思えばそのまま彼女の背中に手を回し、首元に顔をうずめた。まるでじゃれる猫のように首筋に時折触れる唇に名前の身体は少し硬直した。
「わしが満足したら離してやるわ」
悪そうに笑う政宗に名前は何も言えなくなってしまった。 政宗は何度も角度を変えながら名前の髪の匂いを楽しむように首筋に顔をうずめた。離す気は全くないようだ。
(…どうやら悪い男に捕まってしまったみたいだ。)
end.
ログのアンケートで嫉妬する政宗。 遅い、遅すぎる…。何か今更すぎて書くのどうしようかと思ったくらい。嫉妬の題材って難しいでございます。
孫市は政宗といると自然とお守り役になると思うんだ。ガラシャも加われば苦労二倍。ガンバレ孫。
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