「チッ!」






盛大な舌打ちをかます今日の神田ユウは猛烈に苛々していた。いつも些細なことでも苛々しているのだが、今日はいつもの三割増し苛立っていた。服から軽く漂う牛乳の臭いにさらに苛立ちが募った。なぜ牛乳の臭いなんてするのか。それは今から三十分ほど前に遡る。






───……


早朝。神田はいつものように教団の森にて一人で鍛錬に赴こうとしていたときであった。自身の対アクマ武器を腰に差して自室のドアを開いた際、隣の部屋のドアも同時に開く。中から出てきた人影を見るなり神田は顔を歪ませた。






「あっ、神田!グッモーニン!こんな朝早くからどうしたの?お風呂?」

「……」

「もしかして機嫌悪い?…あ、28日周期のやつ?」

「ざけんな!俺は男だ!」





彼の隣人、一条レナは実に爽やかな笑顔で神田の肩をバシバシ叩いて挨拶をする。早朝だというのにやけに元気である。






「冗談だって〜。私もいつも早起きなんだ!しかも昨日はちょっと早めに七時頃に寝たら夜中の三時くらいから目が覚めちゃってね〜」

「そうかよ」






神田はレナの話を耳もくれず早足で廊下を駆ける。彼女を良く思っていない神田は極力話をしたくないのだ。神田からは話かけんじゃねえよオーラが滲み出ているが彼女はそれに気づいていないようだ。

「ねーえ!これなんだけどさ!」と、何か手に持っているものをを神田に見せるが神田は彼女を見向きさえしない。彼の歩調に合わせながら一方的に話しかけてついて来ている勇者であるが生憎、神田は相槌は疎か、話も聞いていない。なのに執拗に話しかけるそんな彼女を疎ましく感じた神田はキッ、と足を止めて「うるせえな!ついて来るんじゃねえよ!」そう言ってレナを振り払った、そのとき、

ぱしゃん

「あ、」

レナが手にしていたものが神田の服にかかってしまった。どうやらかかったものは液体だったようだ。滴るほどの量ではなかったようだが、服には広範囲の濡れたシミが広がった様を見ると神田はひくりと口元を引きつらせる。






「て、めえ何ぶっかけやがった」

「ぶっかけるなんて失礼な!今のは神田の不注意だよ!んもー、せっかく神田のために牛乳を用意したっていうのに」

「何でそんなもん持ってんだ!ふざけんじゃねえ!」

「あっ神田どこ行くの!あと五十デシリットルくらいしかない牛乳飲んでいきなよ!カルシウム補給に!ほら!」

「いらん!」






ビリビリと空気を振動させるほどの大きな声にレナは思わず耳を塞いだ。

今、自室に戻ればレナも付いて来るであろうと悟った神田は、彼女を振り切る早さで汚れた服のまま森にたどり着いたのである。






───……




六幻を鞘に納め、目に宛がっていた布を取った。苛立ちのせいか、いつもの調子が出ない。

勢いで来たとはいえ、やっぱり自室で着替えておくべきだった。神田は牛乳臭い上着を人差し指と中指でつまんで少し悩んだ結果、上着を脱ぐことにした。

脱いだ上着を木の下に雑に投げ捨て、頭をぐしゃりと掻いた。







「くそが、」






あの女と関わるといつもの数倍疲れと苛立ちが比例することがここ数日で解った。あいつが気にくわないから、嫌悪感を抱いているから余計にそう思うのか。

俺は一度奴に言ったはずだった。お前みたい危機感を持たない人間は嫌いだ、と。確かに言ったはずなのに奴は気にしもせず阿呆面でへらへらと笑いかける。その阿呆みたいな面が初めて会ったときから、気に入らなかった。

神田は髪紐を解いて乱れた髪を手慣れた手つきで再び結い直す。早朝の教団の森は人の出入りが少ないため修練場よりここは彼にとってお気に入りの場所だった。六幻を再度手に取り鍛錬の続きをしようとしたそのとき。






「ハイ神田新しい牛乳よ!!」







突如顔面に突きつけられたコップに神田の切れ長の瞳が丸くなった。先ほど牛乳を浴びせかけやがった張本人、レナである。気配が全くと言っていいほどなかったためさすがの神田も驚きを隠せなかった。

テメエは忍者かよ。苦虫を潰したような顔をする神田とは真逆にいい笑顔で牛乳を差し出した。







「……なんでお前がここにいる」

「前の任務のとき言ったでしょ?親睦会やるって!で、神田を追いかけてきました。ハイ牛乳!」「いるか。そんなこと俺は一言も言ってねえよ」

「私はやるって言いました!ハイ牛乳!」

「いらねえって言ってんだよ。お前が勝手に言い出したことじゃねえか俺を巻き込むな」






なんで牛乳を持っているんだ。など、そんなこと突っ込みたくもない。どうせこいつのことだ、かなり下らない理由だろう。

レナに突きつけられた牛乳を押し返す神田だが負けじと彼女もぐいぐいと押し返す。ぐいぐいぐいぐい押し返す度にコップに入れられた牛乳の表面が揺れる揺れる。






「神田はカルシウムが足りないからね。ハイ牛乳!」

「いらねえって言ってんだろ!余計なお世話だ!」

ぱしゃん

「あ、」






力任せに互いに押し付けられた牛乳の入ったコップは、つい手を滑らせたレナが地面に落としてしまった。落とす瞬間、運悪く神田の足元にかかったのだ。ぽたりぽたりとズボンの裾から靴にかけて牛乳が滴っている。神田は再度ひくりと口元を引きづらずにはいられなかった。







「…馬鹿、女!なんなんだお前はさっきから!!」

「神田は牛乳に愛されてるね。一度ならず二度、ふっひひ、まで、ひひっ、も」

「笑ってんじゃねえ!これどうしてくれんだ!」

「じゃあもう脱げばいいじゃない!今も現に半裸なんだか、ら。って、なんで半裸なの?サービス提供?」

「触るな痴女が」