ここ数日の間、あ奴の瞳とかち合う回数が増えた。廊下で奴が女中と話しているとき。鍛錬をしているとき。小十郎や成実、他の家臣と軍議をしている際にも目が合う。だが瞳が合っても、奴はわしの顔を呆けた面で見ているのだ。会釈をするわけでも無く微笑みかけるわけでも無く。ただ阿呆面をこちらに見せるのだ。その面を下げた後、何事もなかったように去っていくのだ奴は。それが当主に対する態度であろうか。

気に食わぬ、感じが悪いわ。言いたいことがあればはっきり申せば良いものを。理由を確かめるべく本人に問い詰めた。何故わしを見ていたのか。何故呆けた面で見ていたのかと。







「何を仰いますか、はじめに私を見ていたのは殿ではございませんか。それに呆けていたのは私と殿の目がお合いしたときに、貴方が思い切り逸らしたからにございます」






自身の愛用する剣の手入れをしながらなまえは淡々と吐き捨てた。汚れ一つない手入れされたなまえの武器は奴の潔癖さを映していた。わしには目を呉れず手入れに夢中だ。

政宗は小馬鹿にするように鼻で笑った。




「馬鹿めが、貴様の勘違いであろう。わしはその様な事は身に覚えはないわ」

「無自覚とはやっかいですね」

「何じゃと…?」







何故わしが貴様を見る必要があるのだ、何故貴様と合った瞳を逸らす必要があるのだ。まるで貴様を意識しているようではないか。なまえの言葉に引っかかりを感じた政宗は不愉快そうに眉間に皺を寄せた。

そんな政宗を知らぬ顔で剣を鞘に収めたなまえ。手入れの済んだ剣は大層綺麗なものだ。剣を畳の上に置いて彼女は政宗との距離を縮めた。畳がきしりと鳴る。そしてなまえは政宗の顔を包み込むようにしてそっと触れた。立ち膝になっているせいで政宗を見下ろしている形だ。

彼女の突如の行動に政宗の反応が遅れた。






「…!なん──」

「どうしました?」

「ど、うしましたではないわ!離さぬか!」

「いつも殿は私のことを穴が開くほど見ていたのですからたまには私が見つめるのも悪くはないでしょう」







誰が──、
政宗は反論をしようと口を開いたが、なまえは言葉を遮るようににっこりと微笑んで触れていた頬を滑らして政宗の髪や眼帯に優しく触れる。

青年の隻眼は驚きの色に染まると同時に、思った以上になまえとの顔の距離が近いことに気づいた政宗は自身の顔に熱が集まることを自覚した。羞恥からか、政宗はついなまえから目を逸らした。

手を振り払おうと自身の手をなまえの手の上に重ねたところ、奴は触れていた髪から手をするりと離し逆に両手でわしの手を包み込むようにして握る。






「…何がしたい、のじゃ貴様は」

「殿の紅くなった顔が見たくて」

「紅くなってなどなってないわ!」

「嘘つき。ほら殿、さっきから私の目を逸らしてますよ」







やはり無自覚ですか、それとも確信犯?まあどちらでもいいですけど、そうやってずっと貴方は私の目を逸らし続けていたのですよ。どうですか?気づきましたか?なんて弁舌に喋るなまえと真逆に政宗は図星を突かれるのを嫌ってか、フンと横を向いた。








「一つ言っておきますね。殿が何を仰ろうと私をずっと見ていたのは殿ですよ、貴方の視線を感じていましたから」

「見てなどおらぬわ馬鹿めが!わしが貴様を見て何の得がある!」

「ほんと強情ですよね、どうして気づかないかなあ。あ…もしかしてただ単に阿呆なだけ?」

「これ以上わしを怒らせれば貴様の首が飛ぶぞ」







怒りの籠もった隻眼がなまえを睨む。彼女はわざとらしく肩を竦めると何か思い立ったように声を上げる。






「自分の気持ちに気づかない阿呆な殿にいいこと教えますね」

「…」

「殿と目がお合いしたとき、貴方が思い切り目を逸らしたから私は呆けたと答えましたが実は他にも理由があったんです」







掴まれていた手を解放され自由が効くようになった。奴は人差し指を自身の唇にあてがい内緒話をするかのような仕草をした。

そんなどうでもいい仕草に何故か魅入ってしまう自分を気のせいだと力強く諭した。







「目があった瞬間、いつも顔を真っ赤にされていたのですよ。殿は」








そんな顔されたら誰だって呆けますよ。どうしたのかなって。そう言ったなまえに政宗は「知らぬ、身に覚えがないわ」と己の顔をしかめながら答えた。自覚が無いのかそれかただの意地なのか、きっと前者であろう。

そんな政宗になまえは大きな溜め息をついた。自分の気持ちに気づかせてやろうと彼女は政宗の耳にそっと耳打ちをした。











貴方は私のことが好きなんです。違いますか?私がそう告げた途端殿は「何故知っておる」という顔で私を見た。なんて驚きに染まった顔。ぶるりと一瞬躯が震えた。あまのじゃくだわ本当、政宗様は。

本当は殿が自分の気持ちに気づくまで黙っていようかと思った。でも我慢出来なかったのだ。多分私はあれだ。引きつりながら驚いた殿のこの顔が見たくて見たくてたまらなかったのだ。







fin.

政宗「解せぬ」