mist

カタッと小さな音を立て、白いカップとソーサーが二人分テーブルに置かれた。ソーサーの端に書かれたロゴから何処のブランドか分かるほどそちらの方面の知識はないが、恐らく値が張るものと考えて間違いはないだろう。続いてティーポット、シュガーポット、クリーマー、スプーンが次々にテーブルを彩り、空になったトレイが彼の腕と一緒に下ろされる。

「君が僕の元へ来て約一週間、気に入ったのはこれだけとはね。ドレスにアクセサリー、フルコースでも駄目。君は本当に難しいよ。」
「いえ…そんなことは…」
「話し方。」
「あっ…」
「取り繕わなくても反応を見ればわかるよ。まあ、一つ見つけられただけまだいいけど、もっと検討してみないといけないみたいだね。」
「別に置いてもらえるだけで充分なのに。それに、元々は小間使いとして引き取ってもらったわけだし。」

着飾ることに興味がないわけでも、おいしいものが好きじゃないわけでもない。ただ、彼はやりすぎなのだ。この前までアレクサンドリア城でメイドをしていた私にはあまりに華やかな暮らしで、一々気後れしてしまう。先程のティーセット一式も私がクジャにお茶を淹れてもらったことを喜んだので、彼が買い揃えてきたものだった。物にこだわりのある彼は私に似合うものを選んでくれたようで、サイズこそは以前のものとたいして変わりはない筈であるが、シンプルであるからか、どことなく新しいものの方が小振りに感じられた。しかし、わざわざ私の為に新しいものを用意する必要があったのか。その上、昨日は様付けも敬語もいらないとまで言われ、身に余る待遇に正直なところ戸惑っていた。

「あんなのは建前だよ。まさかなんの条件もなく君を引き取ると言ったらブラネは機嫌を悪くしただろう?」
「...既に機嫌悪かったから意味なかったと思うけど。」
「誰かさんが大事な謁見でお茶なんか溢すからねえ。」
「それは...」
「おっと、言い訳が始まる前に君の大好きなデザートをとってこないと。」

クジャは思い出したように身を翻す。気だるくも、けして品を忘れない歩き方は彼の艶やかな雰囲気をよりいっそう濃く感じさせる要素の一つなのだろう。私はそんな彼の後ろ姿を見えなくなるまで眺めていた。初めて彼を見た時も、絵画の中から出てきたのではないかと思わせるほどに綺麗だったのを覚えている。そんな彼が何を思い立って、私のような鈍くさいメイドに手を差し伸べたのか。当初は、屋敷に人手が足りないと聞いていたというのに、そもそも此処には人の影など一つも見当たらない。かといって特別何かに困っている様子も伺えず、私は何をすればいいのかと、彼に尋ねてみれば、先程のような調子で何もしなくてもいいと言うのだから、余計にどうすればいいのか分からなかった。城にいた頃は、ブラネ様の言うままに動いていれば一日は勝手に終わりを迎える。ここに来てからは私にとってはまるで真逆の生活だった。


***


「君は時折僕がいないと神妙な顔をするね。普段はぼけっとしてるのに。」
「クジャ様?!」
「様は要らない。」
「...ごめんなさい。」

突然聞こえる声に驚いて横を向けば、何事もないようにタルトの乗った皿をテーブルの中心に添えるクジャがいた。どうやら彼が戻ってきたことにも気づかない程、物思いにふけっていたらしい。我ながららしくない。ブラネ様の前では機械のように言うことを聞いていた私だけれど、少ない私的な時間では自分でも分かるくらい適当に自由にやってきたつもりだ。無論彼にそういった一面を見せるのは場違いだと思うのだが、彼はなんとなくそれを求めているようにも見てとれる。

「落ち着かないかい?ここでの生活は。」
「そんなつもりじゃ...」
「ま、当たり前だろうね。たかが一週間いたところでこんな奇妙な環境に慣れる筈もない。それくらい初めから分かってたさ。」
「.........」

彼の言う通り、デザートエンプレスと呼ばれる彼の隠れ家の住人は、彼本人を除外すると黒魔導士にモンスターだ。普通と呼ぶには些か無理を感じる。いくら彼が名の知れた貴族だとしても、やはり裏めいた部分があるように思えてならない。いや、名の知れた貴族だからこそなのだろうか。

「...単なる僕の我が儘、そんなところなんだろうねえ。」

吟味するような目に、軽く上がる口の端から小さく漏れる笑い声。

「だからといって、我が儘は昔からだし、今更どうってことでもないけれど。」

そう吐き捨てるクジャの表情が私には哀しみを帯びているように見えて、何故か胸が苦しくなった。知り合って長いわけではないが、彼にはブラネ様を見ていたあの時の感覚に限りなく近いものを抱いてしまう。何かおぞましいものにじわじわと呑み込まれてしまうようなあの感覚。私はやはり彼をブラネ様の代わりにでも見立てているのだろうか。しかし、物心のついた頃から敬愛していた主に捨てられた私は、彼を知り、再びこのような感情を抱くことに躊躇いがあった。故に彼の哀愁を見てみぬふりをすることしかできなかった。


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