卒業
空はすっかり色を失くし、一定間隔を空けて聳え立つ街頭だけが、彼らの姿を捉えていた。吐いた息は白く曇っている。
部活動での送別会の帰り道。多くの時間を共にしたチームメイトとの別れを惜しみながら帰路に就いたヒロトは、自分のすぐ後ろに聞こえた足音に振り返った。
「おう、どうした」
「先輩、一緒に帰ってもいいですか」
足音の主は、二年間ヒロトたち三年生と共にチームを引っ張ってきた、後輩のユウタだった。まっすぐにヒロトを見つめるユウタの目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
ヒロトはユウタの言葉を快く受け入れると、二人は並んで歩きだした。
沈黙が二人を包む。お互いに歩幅を合わせ、一歩、また一歩と重い足を前へと踏み出した。
もうどれくらいの距離を黙って歩き続けただろうか。二人の目の前に小さな公園が姿を現した。
ヒロトは思わず、あっと声を上げる。
「懐かしいなぁ、この公園! 体育館使えないときとか、よくここで練習してたよなあ」
そう言うと、軽い足取りで公園の敷地内へと吸い込まれていった。慌ててその背中を追うユウタ。
ヒロトは敷地内にぽつんと立てられたバスケットゴールの脚を、愛おしそうにするりと撫でた。
そんな彼の後ろ姿を、ユウタはただひたすらに見つめ続けた。ヒロトと共に過ごしてきた日々が、走馬灯のように彼の脳裏を駆け巡る。
「先輩……」
気が付けば、彼を呼んでいた。
「先輩、大学でもバスケ続けますか」
「どうだろうな。流石に勉強にしなきゃ拙いかも」
ヒロトは笑い交じりにそう答えた。しかし、今のユウタには笑顔を浮かべる余裕など、ありはしなかった。
再び、二人の間に流れる沈黙。
「辞めないでください」
やっとの思いで絞り出した声は、僅かに震えていた。
「……なんで?」
下唇をぐっと噛み絞めて涙をこらえるユウタに、ヒロトは柔らかい笑みを浮かべて問った。
そんな彼の笑顔にユウタの心はドクリと跳ねる。
「俺、先輩に憧れて、バスケ部入りました。部活すげえきつかったけど、先輩が居たから頑張れたんです……」
「はは、大袈裟だな」
ヒロトは照れ臭そうに笑みを零すと、再びゴールリングに視線を移した。
「本当です! 本当なんです……」
ユウタの瞳から一筋の涙が零れる。さあっと風の音が聞こえた。街灯に群れる夜光虫が、時折光を遮って、影がゆらゆらと揺れていた。
震える声でユウタはもう一度ヒロトを呼ぶ。ヒロトはユウタを振り返ることもせずに答えた。
「なに?」
ごくりと、生唾を飲む音だけが耳に響く。今までに感じたことのない程の焦燥感と恐怖がユウタを襲う。
ユウタは握った掌にぐっと力を込めると、吐き出すように呟いた。
「俺、先輩が、好きです……」
ヒロトはその声に弾かれたように振り返る。彼の瞳には、戸惑いの色が滲んでいた。
もう後戻りはできない。焦燥感は次第に後悔へと変わっていった。
ヒロトの口端から、乾いた笑みが漏れる。
「え? どういうこと……?」
堪えていた涙が、防波堤を失ったように止め処なく溢れ出す。
「すみません、急に変なこと言って……。気持ち悪いですよね」
「いや、気持ち悪いってか、吃驚したっていうか……。えっと……」
ヒロトは苦笑交じりに答えた。大切な後輩の想いを無下にはしたくないと思う反面、同性からの初めての告白に、戸惑いを隠せずにいた。
数秒間の沈黙が、永遠にさえ感じられてしまう。思わず零れそうになった溜め息を、必死で飲み込んだ。
「ごめん、何て言えばいいかわかんねぇ……」
いくら考えても、ヒロトには、この場に似つかわしい言葉など、思いつきはしなかった。
「いいです、忘れてください」
ユウタはヒロトの率直な言葉に、切なく微笑む。
「聞いていただいてありがとうございました。……帰ります」
「ああ、うん。お疲れ様……」
ユウタはヒロトに軽く一礼をすると、駆け足でその場を後にした。
一人取り残されたヒロトは、彼の去った後をただただ見つめるだけだった。
「俺……どうすればいいんだろう……」
今になってドクドクと激しく打ち始める鼓動を煩わしく思いながら、自分の不甲斐なさに苛立ちを感じながら、ヒロトはその場でがくんと項垂れた。
脳裏を過るユウタの顔に、落ち着かなさを覚える。
「そんな急に……もう、ワケわかんねぇよ……」
ヒロトは自身の後頭部を乱暴にがしがしと掻くと、深い溜め息を吐いた。冷たい外気に晒された溜め息は、白く色を成して、ふわふわと宙を舞う。
彼は、茫然とそれらを眺めては繰り返し溜め息を吐くだけだった。
「次会ったら、どんな顔すればいいんだ……」
最後に呟いた彼の言葉は、白い息と共に、暗い空に吸い込まれていった。
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