柔らかな印象を持たせるピンクを基調とした化粧以外は、すっかり何時もの牧場主に戻ったクレア。そんなクレアに俺は何故か急激にほっとした。
本人も、やっと楽になれたと機嫌も良くなった様だった。互いに安堵の息を同時に吐いたのが何よりの証拠だ。
「……何よ」
試しにクレアの隣に並んで腕を掴んでみる。クレアが怪訝そうに見てくるがそんなの知ったこっちゃねぇ、とそのまま掴んだ腕とクレアの顔を二、三度見比べてみた。
……うん、よかった。やっぱり何とも無い。動悸も、目眩も、何にも無い。
「いや、でも一度ドクターに診てもらった方が」
「ん?何、グレイ頭でも診てもらうの?もう手遅れだと思うけど」
「お前なあ、少しは大人しくなったと思ったのに、その恰好に戻った途端それかよ!ったく可愛くねえ」
どうやら俺の調子も戻ってきたようだ。喉の滑りが良いのかスルスルと言葉が順調に出て来る。さっきあんなに言葉が突っ掛かって不快な思いをしたのが嘘みたいだ。ああ、気分いい。
「ふーん。グレイはあの恰好の方が好みだった訳ね」
「えっ!?」
「……固まらないでよ。調子狂うわね」
クレアの言葉に思わず硬直してしまった俺の脳裏には先程までのクレア。
いや、別に良かったとか思ってない!ただ、雰囲気違ったから少し戸惑っただけだ。そうに決まってる!
必死に自分に言い聞かせ、勝手に自分で無理矢理納得してみせる。だけど、モヤモヤした気分がまた振り返して来て、堪らず帽子を深く被り直した。
「行くぞ」
「何処に」
分が悪くなりクレアに背を向け、牧場から続く山を無言で指差す。えー!と続く抗議は勿論予想済みだ。それを当然の如く無視をして歩き出す。こいつが何だかんだ言ってついて来るのは分かっていた。
ちらりと横目で後ろを見れば口を尖らせ歩き出すクレア。ほらな、思った通りだ。明らかに不満そうな顔しながらついて来るクレアにふっ、と笑みが漏れる。
さて、次あいつの口から出てくる言葉になんて返そうか。そんな事を思いながら俺はひたすら足を進めるのだ。
「わあ……綺麗……!」
思わず感嘆の声を漏らすクレアに、俺は得意げに「だろ?」と鼻高々に言って見せた。ついさっきまで疲れただのまだかだの不機嫌だったクレアの姿はもう此処にはない。
目の前に広がるのは一面の花。色鮮やかなこの場所は今一番綺麗に咲いてる時期だと思う。我ながらいい場所を見付けたものだと感心せざるをえない。それ程絶景の場所だった。
はしゃぐクレアに、これで俺の役目は終わったと胸を撫で下ろす。カレンも納得の場所だろうし文句はないだろう。
「みんなにも見せてあげたいな……。カレンでしょ、ポプリでしょ、エリィに、エレンさんにアンナさんにマリーに、それから、」
「おい、まさかその人数分花摘むとか言わないだろうな」
「あ、ばれた?」
流石に花が可哀相かと笑うクレアは白い花に伸ばしていた手を引っ込めた。お優しいのは結構だが、気がつけば此処が丸裸になりそうだ。
持って帰るのは自分とエレンさんの分くらいにしとけと言うと、クレアは素直に頷いた。
おっ、と思ったのは一瞬だけ。直ぐさま見せた不適な笑みに、俺は咄嗟に身構える。
「グレイにしては気の利いたとこに連れてきたのね」
「……一言多いぞ」
「何?いつか彼女でも連れて来ようと思って、私の反応で確かめてみたとか?」
「ちげーよ。残念ながら気の利いた場所は此処しか知らなかっただけ」
「あ、そっか。グレイだもんね」
「どういう意味だ!」
ニヤついたクレアがムカつく。いつか春がくるといいねなんて同情染みた上に小馬鹿にしたように言われても、これっぽっちも嬉しくなかった。
とまあ今までニヤついていたクレアだったが、今は腕を高々と上に伸ばして欠伸を噛み殺していた。暢気なもんだと呆れたように胡座をかいてその様子を見ていたが、いつもより早くから起きて、慣れない事をした上、おまけにこの気候だ。眠気が襲って来るのは仕方のない事だと思う。
何より、俺も眠い。
「眠いなら寝とけばいいだろ」
「そんな事言って自分が寝たいだけでしょ?」
「まあそれもあるけど」
「ふふ、ほらね」
声を出して笑ったクレアは、そのままゴロンと寝転がる。今度は噛み殺さずに欠伸を零して、体を目一杯伸ばしていた。
「……おつかれさん。クレア」
寝転んだクレアの顔を覗き込みながらそう言えば、クレアは目を丸くする。なんだよ。そんなにこんな事言うのが珍しいか?
次のクレアの言葉に備え、少し尖りかける口。しかしそれは目を細めて微笑んだクレアによって何事も無かったかのように平常に戻っていく。
「エスコートありがとね、グレイ。楽しかった」
そこで拳を突き出すのは女としてどうなのかと思うが、ここは素直に笑い返して見せる。
「おう!」と言う言葉と共に、拳をクレアのそれに軽くぶつければ自然と互いに笑顔が浮かんだ。
マイルドタイム
(ほんの一時の穏やかな時間)