「あー腹へっ……」
海岸から昼食をとりに宿へと戻った俺は、直ぐさま異変に気が付き思わず閉口した。
凄まじく重たい空気。
今にも逃げ出したくなるそれを作り出した人間は誰だってこの場を見ればわかるだろう。それ程そいつらの周りは異様だった。
絶句してその人間を見るのは俺だけじゃない。
カウンターにいるダッドに、呆気に取られて立ち尽くしたランも、苦い顔して見ている。
テーブルを一つ分空けたあいつらは、眉間に皺を寄せメニューを見ていた。
そして同じタイミングでメニューを閉じたかと思うと、
「「定食とサラダ!!」」
と息を合わせて言ったのだった。
何時もだったらここで吹き出す所だ。
だが、今日は違う。
物凄い剣幕で睨み合い、プイッと顔を背け合う二人を見ては笑うことすら出来なかった。
「ははっ。相変わらず息ピッタリ」
「うっ、おわっ!!」
何時から居たのか、後ろにはクリフが立っていた。おまけにこの雰囲気の中、こいつは笑いやがった。すげぇなと感心しつつも、顔はおもいっきり引き攣る。
「なあ、あいつら……」
「あ、ランちゃん。僕ら少し2階で話してくるから昼食出来たら呼びに来てくれないかな?オススメので頼むよ」
まるで俺が話を聞きたかったのを分かってたかの様にクリフは二人分の昼食を注文して階段を上った。こりゃあこいつ何か知ってるな。そう確信した俺もその後に続く。
俺らの部屋に入りそれぞれのベッドに腰掛ける。
あの空気から漸く解放された事に胸を撫で下ろした後、俺は早速話を切り出す事にした。
「なあ、あいつらどうしたの?」
あの空気を作り出すとか尋常じゃねぇだろ。そうクリフに問いかけた。
「いいの?聞いて。カイは二人を仲直りさせるつもりなんでしょ?」
返ってきた答えはこうだった。
いいの?と言う意味が全くわからない。
それに仲直りさせるのは当然の事だ。あの二人がああだと俺も面白くない。
「いいから、知ってる事教えてくれ」
そう言えば、わかったと随分あっさりクリフは引き下がった。
相変わらずこいつは訳が解らないな。そう思いながら俺はクリフが話し出すのをじっと待つ。
「昨日、クレアさんが荷物持ってくれってグレイに頼んだらしいんだ。そしたらグレイが不機嫌になってね。所詮俺はお前にとって便利な奴なんだって怒鳴ってたらしいよ。らしくないよね」
ははは、とクリフは陽気に笑う。
らしくないと言われれば、確かにあいつらしくない。
グレイはそこで文句を垂れつつも必ずクレアに付き合ってやる様な奴だった。
虫の居所が悪かったのだろうか。一人原因を考えていると、あとさ、とクリフが話を続けるので俺は耳を傾ける。
「そこにカイの名前が出たらしいんだよ」
「は?なんで俺が?」
思わず俺は固まってしまう。
なんであいつらの喧嘩に俺の名前がでてるんだ?
そんな俺の疑問を感じ取ったかの様に、クリフは口角を吊り上げ「僕の予想なんだけど」と話を切り出した。
「カイに頼めとか、カイにはそんな雑用頼めないのかとか、つまらない事をグレイは言ってたらしいんだ。これって明らかにカイへの嫉妬だと思うんだよね」
「あいつが?俺に?」
まさかと俺は笑い飛ばす。
俺がグレイに嫉妬するというならまだ話はわかる。けれど、いつも一年中クレアと一緒に居るグレイから嫉妬される筋合いは全くないはずだ。
「嫉妬される意味がわからないね」
「そう?肩寄せ合ってる所を見たら嫉妬ぐらいするだろうけどね」
「なっ、お前それ……」
偶然見たらしいよ、グレイ。そう楽しそうに告げたクリフの言葉に俺は頭を抱えた。
まさかあの場面を見られてたなんて……!しかもグレイに……。
ああ、俺の馬鹿野郎!何であの時クレアの肩を抱き寄せたんだ!
そう今更叱咤しても何も変わらない。
俺のせいで二人は仲違いしてしまったのだ。
「……カイ、今自分を責めてるでしょ?」
そう、急に真面目な顔をしてクリフは言う。
当たり前だろと返せば、そうだろうか?とクリフは否定をしてきた。
勿論、直ぐさま俺は顔を歪ませて、なんでだよと聞き返す。
すると、急に真面目な顔をしてクリフはじっと俺を見てきた。
「カイを責める必要は無いと思うよ。ああなったのは、自分の気持ちに素直になれない不器用なグレイに原因があるんだから」
「けどな、放っておくわけには、」
「好きなんでしょ?クレアさんのこと」
初めて他人に指摘され、酷く胸が締め付けられた。
女の子はみんな大好きだけど?といつものように茶化せばいいものを、こんな時に限って上手く声に出せない。
金魚みたいにパクパクと口を動かすだけの自分を想像して、堪らなく恥ずかしくなる。
必死に否定しようとするが、急な事で驚いているのか思うように動けない。
ただ、何時にもなく真面目な顔をしたクリフから視線を逸らし、小さく首を横に振るのが精一杯だった。
「無駄だよ。僕に隠し事できると思う?」
できねえ。
そう即答するかわりに出たのは大きな溜息だった。
ほんと、こいつには敵わない。改めて確信した。
半ば諦めた俺は、仕方なくクリフと向き合う事にする。ニコリとも、ニヤリともとれそうな笑みを浮かべたクリフを見たら、何故か敗北感が俺を襲い苦笑いしか出て来ない。
「……例えそうだとしても、やっぱ放っとけない」
苦笑を浮かべたまま、俺は静かにクリフに告げた。
すると呆れたのか、クリフは肩を窄めて息をついた。
「カイは本当お人良しだね」
自然と柔らかい笑みを零しながらクリフは言った。
初めて見たんじゃないだろうか。こいつのこんな顔。
思わず呆気にとられる程珍しい表情に、得したような、損したような訳の解らない感情が巡る。
「……お前もお人良しだけどな」
そう言えば今度はクリフが驚いた顔をした。
僕が?と鼻で笑って見せるクリフに俺は軽く頷いてみせる。
「あいつらの事も心配してるし、尚且つこのお人良しな俺も心配してくれてるしな」
「僕はただどう転んでも面白いと思っただけだよ」
ニコリといつものように笑顔を作るクリフを見て、俺も同じように笑ってみせる。
半分嘘、半分本音といったところだろうか。それ以上何を言う訳でもなく、ただクリフは笑っている。
「……まあ、そういう事でいいけど。取り敢えずあの二人を仲直りさせたいんだけど、俺が今考えてるのは、」
トントンとドアを叩く音で俺の話は遮られる。
「ご飯できたよ!」といつもの元気の良いランが、ドアから顔を覗かせた。
「ああ、ありがとう。すぐ行くよ」
そうランに告げ、クリフはドアが閉まるのを見届ける。
ランが階段を降りる音を確認して、俺達はベッドから立ち上がった。
「話はまた夜聞かせてもらうよ」
「ああ。それまでにもっと纏めとく」
さて……どう上手くやろうか。
大体の流れは何となく考えている。あとは細かい所をもっと良く考えて必ず成功するようにしなくちゃいけない。
そう考え込みながら前を歩くクリフに続いていたのだが、そのクリフが急に足を止めた事ですぐ後ろに付いていた俺はぶつかりそうになった。
あっぶねー!寸で止まれたから回避出来たものの、お陰で集中力が拡散してしまった。
「カイ」
こちらがどうしたと尋ねる前にクリフは振り返り俺を見据える。
しかも少し怖い顔をして、だ。
だから、なんだ?と返すことも出来ず、俺はただクリフを黙って見つめるだけ。
するとクリフは一瞬悲しげな表情を浮かべ、
「やっぱり僕は感情を押し殺すべきじゃないと思う。ちゃんと自分の気持ちとも向き合うべきだよ」
もう君へのお人良しは最後にするよ。最後にニコリと笑ってクリフは階段を降りた。
苦みだけが残った
(その言葉が胸に突き刺さる)