思わず一息ついて私は空を見上げた。うっすらとオレンジ掛かった空に、どこからか蜩の儚い声が聞こえてきて、随分と長い間カレンと話していたんだなあと思い知らされる。
夕飯何にしようかな。咄嗟に頭の中でメニューを考えながら、私は視線を腕の中へと向けていた。
そこには明らかに私の持てる限界ギリギリの紙袋。
しまった。完全に買い過ぎた。
またやってしまった、と後悔するもののもう遅い。パンパンに膨れたそれが減る事なんてないのだから。
仕方ないと潔く諦めて、重みでずり落ちて来る紙袋を持ち直し私は自宅へ戻ろうと歩き出す。
しかし困ったもので、思っていた以上に歩きにくい。流石に大きな紙袋2つは女の私にはきついみたい。
「……あ、」
そんな困った私の視線の先には、グレイとマリーの姿があった。
丁度良いところに、と唇は自然と孤を描く。 きっと宿屋に帰る所なんだろう。ならばこのチャンスを逃すものかと、私は紙袋を必死に抱えながら二人の元へと駆け寄った。
「あら、クレアさん。また随分と買い込んだのね」
「うん!家の食材が切れ掛かってたからつい……」
私に気付いたマリーは、驚いた顔をしてまじまじと紙袋を眺めていた。
やっぱり買い過ぎたか。何も言わなかったカレンはやはり出来た雑貨屋の娘だったらしい。
何も考えずどっさりと買い込んだ自分には苦笑しか零れなかった。
「ね、グレイ!荷物半分持ってよ!歩きにくくてさ、困っちゃって」
今日は何を言われても我慢しよう。下手に出ることを誓い、覚悟を決めてグレイを見つめる。
何を言われるのだろうか?また馬鹿だとか、お前はいつも!だとか説教を喰らうんだろうなあ。
「……グレイ?」
しかし、グレイは何も言わない。ただじっと無表情で私を見てるだけ。
様子がおかしいグレイに声を掛けるが、何も反応は無かった。いったいどうしたと言うんだろうか。
「……俺、もう帰るから」
「は?」
漸く口にした言葉はそれだった。
らしくない言動に、思わず拍子抜けしてしまったじゃない。
ポカンと口を開いた私から視線を外し、グレイは帽子を深く被りなおす。すっかり表情が見えなくなって、余計何を考えてるのかわからない。
「ね、お願い!荷物運ぶくらい……」
「だから、俺は嫌だって言ってるだろうが!!」
急に声を荒げたグレイに、私だけじゃなく、マリーまで目を見開いて固まった。
初めてじゃ、ないだろうか。グレイがこんなに苛立って声を荒げたのなんて。
しかし、今までこんな事でグレイが怒鳴るような事はまずなかった。だからこそ何が気に障ったのか私にはわからない。
困ったな。けど、謝らなきゃ、と口を開いた瞬間だった。
「……んなもん、カイに頼め」
小さな声で、吐き捨てるように言ったグレイの言葉に、思わず謝罪の言葉を飲み込んでしまった。
カイ?この場にいない人間の名前が出て来て、益々グレイの考えてることがわからない。
「なんで、カイが……」
「それともカイにはこんな雑用頼めないって言うのかよ?所詮俺はクレアにとって便利な奴だもんな!」
「あんた、何言ってるのよ」
訳の分からない言い掛かりを付けられ、プツンと何かが切れた。
我慢するだとか、下手に出るだとか、そんな決意もう私の頭の中には何処にも残ってはいない。
目が痛くなる程、グレイを睨みつけ、袋を抱える両手は怒りでわなわなと震えていた。
「大体、最近変よ。飲もうって誘っても不機嫌そうにずっと断るし、話掛けても上の空。おまけに変な言い掛かりつけて、カイがどうとか言い出すし、いい加減私だって限界だわ!」
「ああ、こっちだって限界だね!俺はクレアが思ってる程お人好しじゃねぇし、もううんざりなんだよ!!」
「……っ!!」
カッと頭に血が上って、目の前が真っ白になる。
キュッと胸が締め付けられるように痛くて、思わず下唇を噛み締めた。
「もう二人ともやめて!グレイ、どうしたの?言い過ぎよ!クレアさん、荷物私が片方持ってあげるから」
ねっ?と不安そうな顔をして声を掛けてきたマリーにふと我に返る。
すっかり周りが見えてなかったせいで、関係の無いマリーまで巻き込んでしまった事に酷くショックを受けた。
手を差し延べてきたマリーに、「ごめんね」と謝れば、彼女は優しい笑顔で小さく首を振った。その笑顔が痛いほど胸に染み渡り、少し涙ぐみそうになる。
しかしマリーの手が紙袋に触れる事は無かった。
突然その手を握ったグレイの手。そのままぐいっと彼女を引き寄せたグレイの姿に、また胸が苦しくなる。
「行くぞ!マリー」
「ちょっと、どこ行くの?グレイ!!」
唖然とした私の視線には、グイグイとマリーの手を引くグレイの後ろ姿。
段々小さくなっていく二人の姿を見つめながら、沸々と怒りが込み上げてくるのが分かる。
「……なに、よ」
なによ。なによ!結局有耶無耶なままで、ちっともスッキリしないじゃない!
言いたいことは山ほどあった。けど、上手く言葉にはならなくて、それはモヤモヤと心に影を作る。
やるせない気持ち、苛立ち、そして胸の苦しさ。そんな複雑な感情が混ざり合って、凄く、気持ちが悪い。
歩く気力さえ無くして、ただその場に立ち尽くす。
そんな私の耳に、蜩の鳴き声がしんみりと虚しく響き渡った。
勘違いのすれ違い
(何故だか凄く、切ない)