私には聞こえない、あなたの声。 聞きたくもない。
『はじめまして』
最初はこんな挨拶だけ交わしてあなたの横を通り過ぎていただけだったのに。 会う度に話す時間も増えて、気が合って話がどんどん盛り上がって。 そのうちにお店にも通うようになって。 春や秋は一緒に草競馬を見に行ったし、夏は海にも連れて行ってくれた。 毎日が本当に楽しかった。 それなのに、
一人で舞い上がってた私がバカみたいじゃない。
「どうして?」
そんな事を聞いても、私の望む言葉は出てこない。 いくら待っても、思い通りにはいかない。
「また明日も会える?」って私に言ってくれたじゃない。 あなたから言ったのに。
だから、いつか私があなたの元へ行ったら―
今度こそ、私を愛してくれる?
・ ・ ・
「何書いてんだ?」
耳元で囁くような声に、思わず体が跳ねる。 私の横から顔を覗かせているカイを見た途端、一瞬でドバッと冷や汗をかいた。
「ちょ、ちょっと、いるならいるって言ってよ!」
「さっきちゃんと声かけたじゃないか」
「そうだっけ…」
「それより、一人でちまちま何してんだよ」
「別にいいでしょ!あっち行っててよー!!」
…私の密かな趣味。 暇な時間が退屈に感じる時は、いつも机に向かってこんな文章を書いている。 昔から小説を書くのが好きで、小説家になりたいと思っていた時期もあった。 でも、やっぱり自分が書いたもの誰かに見せるのは恥ずかしい。 憧れはいつしか憧れでしかなくなり、今ではこうして趣味に留まっている。 もちろん、これを誰かに読んでもらおうとは少しも思っていなかった。 出掛ける時は必ず机の引き出しの奥にしまいこんでいた。 だが、とうとうばれてしまった。 咄嗟のことで言い逃れも出来ず、仕方無く経緯を話す。
「……だから、このことは他の人には内緒にして…」
「何でだよ。いいじゃん」
予想に反して、カイは真面目な顔で机に置かれたノートに目を通していた。
そもそも、彼がここにいるのは私が勇気を振り絞って呼んだからだ。 カイは町中の女の子にとても人気がある。 内心焦りながらも、そこに入り込む隙はないと諦めかけていた。 それでもなんとかビーチに通い詰め、やっとのことで家に呼ぶことができた。 それなのに、いつものように小説を書くのに没頭してしまい彼が来たのに気付かなかった。 心の中では申し訳無さと後悔が渦巻いていたが、どうしても彼の前では強がってしまう。
「恥ずかしいからあんまりちゃんと読まれると…」
「なあ、なんでここだけ空いてるんだ?」
そう言って指したのは、最後の方の文章。 私はこの間の部分がなかなか書けず、長いことこのノートとにらめっこしていた。
「そこはまだ考え中で…」
「なんでもっと明るい話書かないんだ?」
「えっ…」
この話を書き始めたのは、カイと初めて出会った頃だった。 最初は普通のラブストーリーだったが、自己嫌悪に陥る度にどんどん暗い展開になってしまっていた。 本能のままただペンを走らせていただけに、自分でも改めて「どうしてだろう」と思った。 確かに、物語が悲恋である必要はない。 しかし、逆に必ずしもハッピーエンドで終わる必要もないのだ。
「と、特に理由はないけど…」
「じゃあ、俺の事書いてくれよ」
「カイの?」
具体的にどんなものか、始めは想像がつかなかった。 カイの日常。果たしてそんなものをつらつらと書き綴ることはできるのか。
「それだと、ただの日記になっちゃうじゃない」
「それで良いじゃんか」
「どうして?」
「そういうのってさ、自分が一番書きたいって思うものを書くもんだろ?」
「そうだけど…」
「じゃあさ、」
そう言って私の頬に手を添えると、おでこに唇が触れた。
「―!?」
唇を離すと、少しはにかんだ笑顔で私の手を握ってくれた。
「お前、分かりやすいよな」
「な…」
「俺の事好きって、顔に書いてあるもんな」
嬉しさと恥ずかしさで全身がカーッと熱くなってくる。 あまりに突然の出来事で、わけが分からないままあたふたするしかなかった。
「俺も、お前の事好き」
強く抱き寄せた腕がとてもたくましくて、安心感があった。 一気に何度も衝撃を受け、目に涙が浮かぶ。
「お、おい…」
急に泣き始めた私に戸惑う彼を見て、自然と笑みがこぼれた。 “俺の事を書け“って、そういうことだったんだ。
「…そしたら、とびっきりのハッピーエンドにしなきゃね」
今、やっと書きたいものが見えてきた。 この話を書き終えたら、町中の人に読んでもらいたい。 初めてそう思った。
ありがとうございました!
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