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「あ、丁度いい所に来た!」

俺が回れ右をするよりも早く、言った彼女はがっしりと首根っこを掴んで来た。
取り敢えず女性と目が合ったら微笑むのは、本当に俺の悪い癖、だと思う。

クレアが珍しく飲み会をすると言い出したから、夕方からの仕事を全部引き受け、遅れながらも参上したっていうのに。

たった2時間余り遅れただけだというのに、その場は完全に次元が違う空間へと化していた。

逸早く危険を察知した俺は、冒頭の通り回れ右をしたのだ。これは懸命な判断だったと言えるだろう。
しかし、それより先に酒豪と名高いカレンに見つかってしまい、おまけに愛想良く微笑んだためこの様だ。獲物を見つけた女豹かの如く、目をキラキラと輝かせた彼女に乾杯を虐げられているのである。

「ほんっと丁度良かったわー!皆早々と潰れちゃうんだもの」

「あー……そう、なんだ……」

それでこの有様か、と妙に納得した俺はグラスに口付けながら、ざっとこの光景を見回して見る。

デュークさんですら潰れている。ああ、これが数十分後の俺の姿かと、なんだか他人事のようにそれを見つめる自分が少し恐ろしくもあった。

「ん?そういえば、クレアは?」

「ああ、クレアなら……」

どうせ潰れるなら早いに越した事は無いだろうと一気に喉に通した後、ふと先程から探してた我が相棒の事を尋ねてみた。
確か、彼女も相当な酒豪だったはず。2、3度飲み交わした程度だが、かなり飲んでた事しか記憶に無い。

だが、そんな筈の今回の主催者であるクレアの姿が見当たらない。あのとても目立つ金色が、どこにも無いのだ。

そんな俺の問いに、3分の1程度減ったグラスを掲げたまま、彼女はぼんやりとした表情で上を指指した。覚束ない人差し指ではあったが、それは確かに上を指指している。

「……は?」

思わず拍子抜けした声を出した俺に、カレンは「だから、」と再び上を指差したのだ。

その指先を辿れば、宿屋の2階へ自然と目が移る。つまり、彼女は2階に居るという事なのだ。

「クレアったら、珍しく今日は酔っちゃってさ。まあ、私の倍のペースで飲んでたから当然かもしれないけど、張り合いなくって」

不満そうに口を尖らせて零すカレンは、気を紛らわせるかの如くグラスを大きく傾けた。
いや、実にいい飲みっぷりで、ともてはやす余裕なんて消え失せて、おもむろに席を立った俺は階段を駆け上がる。

なんとなく、ほんとになんとなくだけど、嫌な予感がして。

「ク――」

「しー」

名前を呼び掛けたその時、いきなり部屋から現れたクリフが人差し指を口に当て、子供のように口を横に開いた。

あっけに取られた俺に、「やっぱりピートだった」と笑うクリフ。途端、ツーっと嫌な汗が背を伝うのを感じて、俺は拳を握り締める。

「安心して。今さっき運んだだけだから」

だからそんな怖い顔しないでとクリフは両手を肩の位置まで挙げ相変わらず笑っていた。

奴の言葉の意味が俺には分からない。怖い、顔……?なんで俺がそんなと口を開けば、クリフはグイッと俺の眉間を押さえた。

「クレアさんは中で寝てるから、静かに連れて帰ってあげてね」

そう言って去っていく奴の背中を見ながら妙な苛立ちを確信する。早くクレアを連れて帰らなくてはと思う反面、何故か今クレアを直視する事を躊躇う自分がそこにはいた。
ドアノブに伸ばした手は、柄にも無く震えていた。意を決してドアを開ければ、ガサリ、と物音が耳に入りビクリと肩を震わせる。恐る恐るベッドに視線を向ければもぞもぞと動く丸くなったクレアが見えた。
――ったく、おどかすなよな!
どうやら寝返りを打っただけらしい彼女に心の中でぼやいてみる。

「おい、クレア…帰るぞ」

ベッドに眠る頬のすっかり赤くなった彼女を見て、心臓が高鳴った。脳が危険だと信号を送り出す。必死に平然を装えと指令が下る。それに従うがまま眠るクレアを呼んでみるが、彼女は一向に目を覚ます気配がない。

――どうする?抱えて連れて帰るか?
そんな事が一瞬脳を掠めるが、すぐさまそれは打ち消された。わかってる。そんな事をすれば今まで築いて来た物が潰れるって事くらい分かってる。

――けれど、どうだ。アイツはクレアを抱えてきたんだぞ?
まるで悪魔のような囁きが響き渡る。途端込み上げる感情に顔を歪めずには居られなかった。
アイツには出来て、俺には出来ない。俺はクレアに、触れる事すら出来ない――

「……っ!」

伸ばした手はクレアに触れる事無く、寸前で止まる。あと数センチ伸ばせば、きっと彼女の体温が伝わってくるんだろう。
グッと握り締めた手は引く事も無く、進む事も無くただ震えるだけ。

「う…ん」

「は……?」

グラリ。揺れた視界に戸惑いを隠せない。
今何が起こった?そう思わざる終えない程、明らかに俺の脳は混乱していた。

「――お、おいっ!!」

ヤバイ!と思ったときにはもう遅かった。慌てて体を起こすが、すぐ近くにクレアの顔が見えて、結局すぐにシーツに顔を埋める。
と言うかこいつ力強すぎだろう!伊達に牧場やってるわけじゃないんだなと関心するよりも、焦り過ぎて俺の腕を掴んだクレアを振りほどけない自分が情けなく思えてくる。

――あの時、手なんか伸ばすから……
そう後悔しても、もうそれは後の祭り。
クレアの香りに、体温に、密着した体に、溜まらなく息苦しさを覚えた。

「ク、クレア!頼むから…!」

離してくれ!そう悲痛な叫びを訴える事しか出来ないなんて、本当なんて情けないんだろう。

そんな俺の訴えが届いたのか、スッ…と俺の腕から彼女の手が滑り落ちる。彼女の体温が無くなったソレは、妙に冷たく感じた。

先程とは相反して、ゆっくりとした動作で俺は体を起こす。再び見えた彼女の表情は、実に幸せそうで思わず見惚れてしまう。
もう、一生こんな近くでクレアの顔を見れることなんて無いかもしれないな。そう思えば、急に切なくなった気がした。

その時だった。薄っすらと開いた彼女の瞳に、ドキリと心臓が跳ね上がり冷やりとする。
どうしたらいい。俺は目覚めた彼女にこの状況をなんて言えばいいんだろうか。咄嗟に色んな事が頭の中を駆け巡った。

「――ぐふっ!」

しかし、思考はそこでストップをかけざるを得なくなる。再び埋められた顔。しかし、先程とは違って温かく、柔らかい。
背中と、後頭部にを押さえつけるのは一度は解かれたはずのクレアの手。で、今俺が埋まっていた場所は、

「っ、嘘だろ!」

慌ててベッドの上で転がるように身を翻せば、唸りながら再び薄っすらと目を開けたクレアと目が合う。
ベッドに寝転がって向き合ったこの状況、どう説明すれば上手くいくのだろうか。考えてみるがどうしようもなくて、動揺を隠せないまま頭を抱えた。

すると、まるで小動物のように寒そうに身を縮込ませながら俺の胸元に擦り寄ってきたクレアに、ビクリと大きく震える体。頭を抱える手にグッと力が篭る。

「おやすみ、ピート」

そう微笑んで言うだけ言って、再び寝息を立てるクレア。
幸せそうに俺に縋り付いて眠る彼女を見て、込み上げるこの感情に、何かが音を立てて崩れていく。

「くそっ、生殺しじゃねぇか」

もう、これまで築いてきた関係だとか、信頼だとか、この時の俺の頭の中ではどうでもよくなっていた。
ただ後戻りできない苦しさに顔を歪めて、腕をクレアの背にまわし抱き寄せる。

このまま時が止まればいい、そう強く願って――


抑えられぬ感情
(君が堪らなく愛しい)



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