「なあ、ランを下さい、って言ったらどうする?」
まるで塞きを切ったかのように、大量の冷や汗が流れでた。
新たな教訓ができた。グレイが道具を持ってる時に、真面目な話をするもんじゃない。喉元に伸びたフォークを見つめ、俺は固く肝に銘じた。
緊張感が漂う中ゴクリと唾を飲む。光るフォークがこんなにも怖いものだとは思わなかった。
しかし、それよりもっと怖いのは、俺を血走った目で睨むこの男である。鋭い目つきな上、帽子で目元に影が出来てるため、一層恐怖は増していた。
「あっ、あ、あの!グ、グレイ……さん」
必死で絞り出した声は情けなくも裏返っていた。自然と上がっていた両腕がプルプルと震え出す。それが恐怖からなのか、あげっぱなしの疲れからなのかはもう分からない。
「……」
相変わらず無言を貫き通したまま、漸くグレイは腕を下ろした。
命がある事がこんなにも幸せな事だとは思わなかった。それぐらい、空気が美味しく、地に足がついてることが嬉しく感じる。
ドスッ、と干し草の固まりにフォークを突き刺したグレイは、腕を組み相変わらず血走った目で俺を睨んでいた。
取り敢えず話だけは聞こうと言う訳か。思えば随分グレイも丸くなったものだ。
「実は……ですね。妹さんからまだかと言われまして……。その、僕は最初チューしろって事かと思って、」
「……!」
「あ、いえ!!し、してないですよ!チューなんて!!結局、違うって殴られたんでまだしてないです!」
ああ、俺なんて馬鹿正直に話してるんだ。着々と寿命が減っていくのをひしひしと感じる。もうグレイの目を見るのさえ辛い。
「それで、男ならガツンと決めたいので、グレイさんに妹さんの喜びそうな事聞こうと思って参上した次第でして……」
「やらん」
「は?」
「帰れ」
ガツンと先に決められたのはどうやら俺の方らしい。キッパリと言い切ったグレイは、再び俺に背を向けて作業を開始したのだった。これ以上俺と話すことは無いのか、グレイはもう何も言わない。俺の耳に飛び込むのは牛の鳴き声のみだった。
どうしたもんかと帽子を取って頭を掻いてみる。
正直言うと、親友として相談に乗って貰いたかったんだがなあ。まあその相手が妹って時点で兄としてしか話聞いてくれないんだろうけど。こうなってはグレイの心を動かすのは難しい。
「なあ、グレイ」
「……」
ダンマリを決め込んだグレイは返事どころか振り返ってさえくれなかった。
だが所詮想定内の行動。傷つく訳でもなく、話しかけるなと訴えてくる背中に懲りず俺は声を掛ける。
「俺の家族になってくれないだろうか」
兄としてでしか話を聞いてくれないなら、それでいい。
そう思い出た言葉がコレだった。直接ランとの結婚を許してもらうんじゃなく、グレイ本人との関係を許してもらい、間接的にランとの婚姻を承諾させるという我ながら冴えたアイディアだと思う。
案の定グレイはピタリと動きを止め、しばらく固まっていた。
「俺、お前の事好きだよ」
「……貴様――」
再びフォークを構えるグレイに慌てて弁解をする俺。今日一番目が血走ってるぞコイツ!!それだけ不快感を露にしていた。
「か、勘違いすんな!勿論、ランが一番だし、グレイはラブと言う意味での好きではないから!」
「当たり前だ!気持ち悪い!!」
珍しく声を荒げるグレイに圧倒されつつも、ここで引くわけにはいかない俺。あともう一押しか。端から見れば、どこが!と言われそうなこの状況だが、俺には何となく分かる。
「ランを愛してる。だから結婚したいってのもあるけど、俺はグレイも、ダッドさんも好きなんだ。だから、ランと結婚するだけじゃなく、二人とも家族になりたい」
「……」
「なぁ、グレイ」
緊張感に満ちた張りつめた空気が漂う。
じっと俺を見つめる血走ったあいつの目。初めて顔を合わせた時よりも、ランと付き合いだした時よりもずっと、ずっと鋭いあの目付きに、俺は反らしたくなるのを堪えただ見つめ返すだけ。
「――ランは……」
それだけ言って、グレイは俺に背を向け近付いてきた馬の体を撫でる。
その後ろ姿は何処か儚くて、けれど何だか逞しい。
「あんなだが女だ。昔からおとぎ話の中の姫だとか、そんな女らしいものに憧れていた」
「え……」
「お前なりにそういう良い雰囲気のシチュエーションや言葉を選んで伝えてやれ」
そう、一度もこちらを見ずにグレイは言った。
――ああ、ヤバイ。
にやけだす顔を止められなくて、あいつが背を向けてて良かったと改めて安心した。
俺、頑張るよグレイ。
「ありがとう、お兄ちゃん」
俺は律儀に礼を言い、全力で奴から背を向ける。
「おい、待て貴様っ!やはりお前にランはやらんっ!!」
背後から聞こえる怒涛の声に俺はニヤニヤしながら全力疾走を開始する。
――さあ、命懸けの鬼ごっこの幕開けだ。
そんなナレーションを脳内で響かせながら俺はグリーン牧場を後にした。
天国のじいちゃん。俺にも素敵な家族が出来そうです。
2のグレイが一番すき
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