ハーベスト | ナノ



私は怒っていた。
過去形じゃない、現在進行形で、だ。

理由はただ一つ。先日の一件の事。

今日もまた、楽しそうな声が診察室に響いている。主に聞こえるのはハルくんの声。それにたまに混じるクレアさんの声と、稀にドクターの声も。
その声を聞きながら、ほっこりとした癒しを感じるのは一瞬で、すぐさま私は溜息をつきたくなる。

「エリィおねえちゃん!またね」

「エリィ……また」

「ええ、またあとでね」

にこやかに手を振るハルくんとは対照的に、クレアさんは困ったような愛想笑いを浮かべて私に頭を下げた。大丈夫、私はちゃんと笑顔を作れているはず。笑うことはもうすっかり慣れっこだもの。

クレアさんは正直な人だ。私が気付いてないと思ったら大間違いなんだから。そう、笑顔の裏で呟いてみる。

――私の心をかき乱す原因はクレアさんだった。

あの一件以来ちゃんと診察も来るようになったし、健康を保ててる事は喜ばしい事だけど、私が彼女に抱く感情は不快感。
クレアさんが私に抱いている秘めた思いに気付いたあの日から、このモヤモヤが晴れる事はなかった。

どれだけ長い付き合いだと思ってるのかしら?過ごした年月は、この少しにこやかに微笑んだ男性より長いと言うのに。

私は随分クレアさんのこと分かるようになったのに、彼女はちっとも私の事なんか分かっていないみたい。おまけに余計な気を遣ってくれてるものだから、いい加減決着をつけなくてはと今日は彼女と宿屋で会う約束を何とかこじ付けた。

「エリィ、あとでって?」

「ふふ、今日はクレアさんとデートなんです」

本当は決闘といった方が相応しいけれど、あえてその単語を選んだのはドクターへのやつあたりみたいなものだった。
相手が私だというのに、ドクターはほんの少しだけ表情を崩した。ふふ、本当に彼等は分かりやすいんだから。

「ドクターはこのままでいいと思ってるでしょう?」

「……何のことだい?」

そう言って首をかしげるドクターに、また笑いそうになるのを堪える。
本当は私の言いたいこと分かってるくせに。
けれども、彼は知らない振りを貫き通そうとしていた。

あの一件以来、クレアさんとは違って、ドクターはどこか落ち着いた様子だった。
きっと、友人のような関係に戻れた事が彼なりの前進だったと思う。それで満足してしまったんだわ、きっと。

誰が見たって想い合ってるというのに、彼等は寄り添おうとはしない。
一度離れてしまった手前、戻りにくいというのも分かるけど、クレアさんはそれだけが理由じゃない。ずっと静観してるつもりだったけど、彼女の気持ちに気付いたから、私も黙ってはいられない。



* * *



「お待たせ、クレアさん」

「お疲れ様、エリィ」

約束の時刻に宿屋へ入ると、先にクレアさんが座っていた。
手を振りこっちだと招く彼女を見ながら、ふとハルくんの姿を探す。
私の視線に気付いたクレアさんは「ハルはカーターさんに見てもらってるの」と自ら説明してくれた。なるほど、彼女も今日呼びだされた理由は分かっているみたい。それならば話は早いわ。私もクレアさんの向かいの席へ腰を下ろした。

「ワイン頂けるかしら?」

「珍しい、エリィ飲むの?」

何も知らないランちゃんにワインを頼むと、彼女は目を丸くし驚いていた。

「明日は病院も休みだし平気よ。クレアさんも同じでいいかしら?」

「え!?う、うん!同じでいいわ!」

お酒が極端に弱いわけではない。ただ、それより紅茶やジュースのほうが好きだから飲まないだけで、私だってお酒に力を借りたい時もある。まさに今日がその時だ。
覚悟は決めてきたものの、やはりどこか後押しをして欲しかったみたい。その後押しをワインに委ねることにしたの。

ワインが手元に運ばれてくるまで一分もしなかったけれど、私達の重たい沈黙はそれ以上に長く感じた。
きっと彼女もそう。少しうつむいた表情からは、いつもの明るいクレアさんは消えていた。

2つ置かれたグラスを手に取り、1つをクレアさんに手渡す。相変わらず黙って受け取ったクレアさんに、私も黙ってワインを注ぐ。
そのまま自分のグラスに注げば、クレアさんも視線を上げざるを得なかったらしい。
私は漸く絡んだ視線にニコリと笑みを作り、「乾杯」と試合開始の合図を口にした。

ワインを一口喉に流し込めば、私の頭はやけにクリアになった。
色々世間話から始めようかと考えていた内容は全て吹き飛んでしまったみたい。
けど、これでよかったのかもしれないわ。回りくどく話すより、一気に本題から畳み込んだほうがお互いすっきりするはずだもの。早速望んでいた『後押し』の効果が得られ、私はふふっと笑みを零す。

「クレアさん」

私に呼ばれ、彼女はピクリと肩を震わせた。
伝わる緊張感とは対照的に、私はすっかり肩の力が抜け落ちたみたい。自然と笑顔が生み出され、クレアさんを落ち着かせようとする余裕さえも出てきたもの。

彼女の返事を待たずして、私は一気にワインを喉に流し込む。やっぱり、久々に飲んだお酒は不思議だわ。こんなに美味しいものだったかしら?

「私ね、先生が好きよ」

口から流れるように出た言葉。何処かにつっかえていたものが漸く取れたみたいな、なんだか清々しい気持ちになれた。

いきなりの私のセリフにクレアさんは戸惑いの表情を残したまま固まった。
この反応は想定の範囲内。けれど、「そっか」と無理して笑われるよりずっとマシな反応で私は胸をなでおろしていた。
だけどこのまま私まで黙ってたら、きっとクレアさんはそう言ってしまう。自分の気持ちに嘘つき続けるから、私はそれを阻止するため言葉を続けることにする。

「でもね、それは医師として、人として好きってことで、それ以上でも以下でもないわ」

「……そんな、」

「確かにね、昔はそうだった。あなたと同じ。でもね、2人の幸せそうな姿を見て悟ったの。私の入る隙間なんかどこにもないってことに」

ドクターの事が好きで、ずっと想っていた。一緒に働けるだけでドキドキしたり、幸せを感じていたあの頃。
けれど、クレアさんと出会ってから初めてドクターのあんな笑顔を見てしまって、私は完全に負けを認めざるを得なかったの。
あの時もどこか清々しかった。悲しくて泣いた時もあったけど、しっかり失恋を受け止めている私が居た。

「それにね、私ドクターよりあなたの事が好きなのよ」

そう言って微笑めば、クレアさんはポカンと口を開け、目を見開いた。

ふふ、やっぱり気付いてなかったのね。

私も最初はびっくりした。
失恋した時よりも、クレアさんがドクターと別れた時の方が悲しくて悔しくて、気づいたら2人で泣いてたの。
私からしたら彼女はライバルだったはずなのに。けれど、彼女の明るく温かな人柄にいつの間にか惹かれていたみたい。

「ハル君のことを知って、それからかな?クレアさんを何があっても支えていこうって決めたのは」

「エリィ……」

「だから、あなたの勘違いを解きたくて。そして、伝えたかったの。私はクレアさんの味方だって」

漸く伝えれた私の気持ち。
今までこんなに面と向かって想いを伝えれなかったのは、分かってるものだと自負していた私の思い込みと、お互い必死に生きてきたから。
それが今伝えれるようになったのは、ドクターが帰ってきた事で、きっと肩の荷が下りたんだと思う。

「エリィ……ッ」

「えっ……クレアさん!?」

安堵していた気持ちは、目の前のクレアさんによって掻き乱される。
ポロポロと大粒の涙を零すクレアさん。
大丈夫、大丈夫と手を握って落ち着かせようとしたけれど、どうやら逆効果だったみたい。より加速する涙に、困ったように笑うのが精一杯だった。

「もう、泣かないで?」

「ごめんなさい、私、嬉しくて」

分かってるわ。そう言って微笑めば、クレアさんは握った私の手に、自分の手を重ねぎゅっと力を込める。

「もう、素直になっていいのよ?」

私はあなたの味方だから、何処にもいかないから。
諭すようにゆっくり話せば、クレアさんはぎゅっと唇を噛み締めた。

やっぱり。漸く確信できた。

クレアさんは私のドクターへの想いを勘違いしただけじゃない。私の事を大事に思っててくれたんだわ。
伝わる彼女の想いに、熱いものが込み上げる。
――ダメね。これじゃあの時の二の舞じゃない。
2人で泣いたあの日と重なる。

「しっかり決別できたって思ってたの。でも、ハルの嬉しそうな顔や、あの人の顔を毎週見ることになって……自分の決意が崩れそうで怖かった」

自分の想いをぽつり、ぽつりと話し出したクレアさんに、私は「うん」とゆっくり頷く。

漸く話してくれた本当の気持ち。
誰にも言えなくて、じぶんでも認めたくなくて、きっと苦しかったんだろうな。
時々言葉に詰まるクレアさんを見て、そう思った。

「でもね、まだ……ダメみたい。私……」

それ以上クレアさんが言葉を紡ぐことは無かった。
私もまた何も言葉が出てこない。
代わりに彼女の隣に寄り添って優しく抱きしめる。

ねぇ、ドクター。次からはこの役割は貴方がしなくちゃダメなのよ?
彼女にずっと居座り続けている男に向かって心の中で叱咤する。

どうやら私に出来ることはもうここまでみたい。

どこか胸の奥に穴が開いたような虚しさが襲うが、これでよかったのだ。
彼らの明るい未来を祈り見守る事が、これからの私の役割なのだから。


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