影で支えるとは言ったものの、どうやっていいか僕にはわからなかった。
ただあれから毎週水曜日は彼と過ごしているくらい。もはや恒例行事のように図書館で本を読み聞かせ、文字も彼に教える。
子供の飲み込みは実に早い。それとも彼が賢いからなのか、あっという間にひらがなが読めるようになっていった。
クレアとも必然的に毎週顔を合わせるが、彼女は何も言わず笑顔で迎え笑顔で僕に礼を言い、そして僕は休日を終える。
最近は彼女が安心して仕事して、彼もまた暇を潰せるならそれでいいかとも思い出してきた頃だった。
「先生」
エリィの呼ぶ声に僕は我に帰る。
何をしてるのだ。今は勤務中だというのに。
彼女に返事を返して自分を叱咤した。
エリィは不安げな表情で僕を見ていた。何か酷い顔でもしていただろうか?不思議に思った僕はもう一度彼女に声をかける。すると、戸惑ったようにエリィは口を開いた。
「余計な事だとは思うんですけど……その……」
「どうしたんだい?」
口ごもり妙に言いにくそうに切り出したエリィ。
一体どうしたというのか。僕には皆目見当がつかない。
「昨日クレアさんと会ったんですけど……どこか調子悪そうで……」
「クレアが……?」
「きっとその……体壊してもクレアさんここには来ないだろうから私心配で……」
ああ、言い難いのはそれだったのか。
確かにエリィの言う通り、クレアはどんなに体調が悪くてもここには……僕の元には来ないだろう。
「そうか……それなら悪いがエリィ、君が……」
「おじちゃん!!!」
エリィに様子を見てきてもらおうとした時だった。
この街で僕を『おじちゃん』と呼ぶのは一人しかいない。しかも声の様子から慌てているのが読み取れる。
何事かと僕らは飛び込んできた少年に視線を移す。
いや、何事も何も嫌な予感しかしなかった。エリィの読みが当たったのだ。
「ママが……朝から苦しそうで……それでさっき……」
「ハル君、大丈夫よ、落ち着いて……」
今にも泣き出しそうな彼にエリィは諭すように優しく頭を撫でた。
その行動に安心したのだろうか。ハル君は我慢していた涙を零し、遂に泣き出してしまう。
それでも彼はしゃくりあげながらも必死に僕らに何かを伝えようとしていた。
「ママ、外でたおれて……っ呼んでも……」
その一言で僕は病院を飛び出していた。
無我夢中でひたすら町を走って、牧場を目指して。
僕のせいだ。僕のせいで彼女は無理して働き続けていたのだ。
病院に来て少しでも早く処置できていれば……!
後悔ばかりが頭を駆け巡る。
自分に対しての怒りで、クレアの心配で頭がおかしくなりそうだ。
「クレア!!」
牧場についた僕は、大声で彼女を呼ぶ。けれど返事はない。慌てて僕は周りを見渡した。
――いた!
金色の髪を見つけ僕は一目散に駆け寄る。周りに転がっている作物を見て、彼女が倒れたということは一目瞭然だった。
「クレア、クレア!」
もう一度声をかけるが意識はない。呼吸を確認し、息をしていることにひどく安堵した。
彼女の額に手を乗せれば、凄まじい体温が伝わってきた。この熱で彼女は働いていたというのか……!
「クレアっ……!」
優しくクレアを抱きかかえ、そっと彼女を抱き締める。
気付いてあげれなかった事が悔しくて仕方なかった。
病院より彼女の家で安静にさせた方が良さそうだ。
そう判断した僕は急いで彼女を抱き自宅へと運んだ。
* * *
「先生!!」
「ママ!!」
遅れて駆けつけたエリィとハル君。
ハル君は少し落ち着いたのだろうが、まだ涙を零しながらクレアの元へ駆け寄った。
「大丈夫だ。疲労で免疫が落ちてるところに菌が入って、熱を出しただけだから。お母さんは、大丈夫だよ」
そういって彼を撫でてあげれば、良かったとハル君は僕にしがみついてきた。
怖かっただろう。いつも元気な母親が目の前で動かなくなったのだ。よく頑張って僕らの元に来てくれた。
優しく彼を抱き寄せて、僕は彼を褒める事しか出来なかった。
「エリィ、すまないが注射器と……」
「持ってきました!」
そう言ってエリィは往診用のセットを僕に見せた。
流石エリィだ。薬剤も適当に選んで持参してくれるなんて……!
僕なんか無我夢中で走り出したというのに。
少し医者として恥ずかしく思う。
「ハル君、今から先生がママ治してくれるからコッチにおいで」
エリィに呼ばれても彼は僕にしがみついたまま離れなかった。
その様子を見て少し嬉しくも思うが、僕はハル君を抱き上げてエリィの元へ移動する。
「ハル君、本当に頑張ったね。お母さん、すぐ元気になるから、エリィと待っててくれ」
コクンと僕の胸で小さく頷くハル君に、なんとも言えない暖かい感情が押し寄せる。
何だろうこの気持ちは……
エリィに彼を託しながら、僕はこの不可解な感情に戸惑いを感じていた。
* * *
「クレア……?」
彼女の様子を伺い日も暮れた頃、漸く薄っすらクレアは目を開けた。
「ドクター……?」
まだぼんやりとした様子で僕を眺める彼女を見て、一気に色んな思いがこみ上げる。
「良かった……!」
「ドクッ……!」
堪らず彼女を抱き締めていた。
まだ安静にさせなきゃいけないだとか、僕らの関係とかこの時は何もかも忘れて。
ただ、クレアが目覚めた事への喜びしかなかった。
「ママ!!」
「クレアさん!」
「ハル、エリィ……」
背後では喜びに満ちた二人の声が聞こえる。
けれど今の僕には二人の声が頭には入ってこなくて、そのまま彼女を抱き締めていた。
「君は!こんなに悪くなるまで!!」
漸くクレアを解放した僕は、咄嗟に声を荒げてしまう。
しかし、僕に怒る権利などない。何故なら原因は僕にあるからだ。
いや、だけど……!
「頼むから、無理はしないでくれ……頼むから……」
もっと僕を頼ってくれとは言えなかった。ただ頼むとしか言えない自分が情けない。
「ドクター……ごめんなさい。本当に……ごめんなさい!」
気付いたら、今度は僕が彼女に抱き締められていた。僕の胸で震える彼女が愛しくて堪らない。
ああ、やっぱり僕は未練たらしい男だ。
忘れようと思っても、彼女をこんなにも愛しているのだ。
「ママ!げんきになって……よかった……!」
ふとハル君の涙声が耳に飛び込んで僕は我にかえる。
振り向けば安堵からまた泣き出したハル君と、妙に笑顔のエリィがそこにはいて。
――何て事だ!完全に自分たちの世界に入っていた……。
カッと顔が熱くなるがもう遅い。
やってしまった……!!
「ハル……心配かけて……ごめんね」
「っ……ママ!」
僕から離れたクレアに、今度はハル君がベッドによじ登り彼女に抱き締められる番だった。何故だろう、敗北感が僕を襲う。
「ふふ。もう遅くなったしご飯食べましょう!クレアさんキッチン借りるわね」
「あっ、いや!僕が作るから!」
慌ててエリィを制して逃げるように僕はキッチンへと向かう。
ああ……完全に自覚したこの感情と、改めて彼女が母親だと思い知らされたのと……
クレアが目覚めてひと段落ついたというのに、僕は新たな問題にぶち当たっていた。
エリィのご飯は阻止!
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