▼07
『難しいなあ…』
「何が?」
『んー、いや。いろいろ…と?』
私は一体誰と話しているんだろう。見上げれば、そこにはいつもと変わらない咲月が居た。
「おはよ、名前」
『え。あ、ああ。うん、おはよ』
にっこり笑う咲月。ああ、でも…。
「あ、あれって一ノ瀬さん?」
『え!ミワちゃんどこ!?一ノ瀬さんどこっ』
「窓のあれ。早乙女学園の方」
『わ!本当だ!体育なのかな?一ノ瀬さんのジャージ姿っ』
「俺のがかっこいいって!」
『いやいや一ノ瀬さんに勝るものは無いから』
あ…。今、普通に…。咲月を見れば、いつもの口を尖らせた拗ねた顔。私がそれを見ていれば、咲月が不思議そうな顔をする。そっか…咲月の、優しさだね。そんなことを思いながら、私はまた一ノ瀬さんに目を移す。遠いなあ…なんて。
放課後。私は少し遅くなったうっちーの用事で、帰るのが7時になった。まあ、うっちーも大変だから許してあげるよ。校門を出ようとしたら、そこに人影が見えた。え?不審者?いや、あれは…。
『一ノ瀬さん!』
「ああ、ようやく来ましたか」
『え?もしかしてずっと…』
「いえ、先程です。廊下を歩くあなたが見えたものですから」
『ああ、なるほど』
「そういえば、体育の時間にこちらを見ていませんでしたか?」
『うわ!見えてましたか?一ノ瀬さんが見えたので、つい…』
「!…っごほん。あー、今日はお願いがあって来たんです」
『お願い、ですか?』
「ええ」
そう言って、がさごそと鞄を探り、綺麗な紫のファイルを取り出した。ファイルの中には沢山の楽譜。うわあ、いろんなことが書かれてる…。すごいなあ。なんて思っていると、目の前に一つの楽譜を差し出された。
「明日の放課後、あなたの演奏で歌を録音しようと思います」
『わあ!一ノ瀬さんの歌!…ん?待ってください。私の、演奏…?』
「はい。あなたのフルートで、私が歌う曲を吹いてほしいんです」
『ええええ!?私なんかでいいんですか!?もっと本格的な人の方が…』
「それでしたら、あなたに頼んでなんかいませんよ。私はあなたが吹く音色が良いんです。駄目、ですか?」
『いえ!ぜんっぜん!むしろありがとうございます!』
「それは良かった。ではこれを、」
そう言って、楽譜を渡す一ノ瀬さんの手。うわ、すごく綺麗。男の人の、ごつごつした手。この手に、触れることができたら…。
「名前?」
『うえあ、はい!』
「大丈夫ですか?明日までによろしくお願いしますね」
『は、はい!頑張ります!(わ、笑われてしまった…)』
「短いので、そんなに難しくないとは思いますが…」
『もう難しくてもなんでも!一ノ瀬さんの為に頑張りますよ!』
「あなたって人は…」
一ノ瀬さんの顔が近づいてくる。私は恥ずかしくて目を閉じた。前髪をふわっと上げられて、今度は額にキス。
『う、あ……』
「…おやすみなさい」
うう…。また笑われてしまった。
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