春怪異譚
宵闇に祭囃子が鳴り響く



暗い、暗い山の中を、刹那君と二人、懐中電灯だけを頼りに、和泉先輩を捜し歩く。九条さんと琥珀君と別れてから、もう何分経っただろうか。圧迫するような暗闇は、時間が過ぎるほどに重くなり、私の呼吸を抑え込んでいく。極度の緊張状態のせいか、呼吸は浅くて、そうして不規則だった。時折、刹那君が、大丈夫かと声をかけてくれるも、それには全て、大丈夫とだけ返し、辺りの捜索を続ける。先輩を、探さなければいけない。そんな使命感が、ただただ、今の私を突き動かしていた。私が誘ったのだから、もし本当に、先輩に何かが起こっていたのだとしたら、私のせいだ。だから、早く、見つけなければ。ひたすらに暗い道を、何度も何度も行き来する。そんな私の様子を見かねたのか、もう一度本堂に戻ろうとしたところで、刹那君の腕に、肩を掴まれた。


「柚月嬢、落ち着け…一度、深呼吸しろ」
「刹那、君…」
「心配なのは解る、焦る気持ちもな。だけど、落ち着かなきゃ駄目だ…そんなんじゃ、出来ることも出来ない」


叫び出しそうな心が、刹那君の言葉で、また大きく脈動する。どうしてそんなに落ち着いてるのと叫びたくて、でも叫ぶ前に、すっと頭が冷えた。嗚呼、そうだ、冷静なわけがないじゃないか。いつもよりゆっくりな口調は、自分を抑えて、考えている証拠。時折浮かべる笑みは、それはつまり、いつものように、ずっと笑っているわけじゃないということ。冷静である、筈がない。ごめんなさいと小さく呟けば、刹那君はまた、困ったように小さく笑った。


「ごめんなさい、私、パニックになって…」
「解ってる…先輩が消えたんだ、誰だって動揺するさ。だから、大丈夫、二人が警察を呼んでくれる…大丈夫だ」
「……うん」


何度も繰り返す、大丈夫という言葉。彼が意図的に、その言葉を選んでいると、解っていた。その場凌ぎの、気休めの言葉だと解っていながら、それでもそれに縋りたかった、信じていたかった。先輩はすぐに見つかる、大丈夫。自分に言い聞かせるように、何度も何度も繰り返す。大丈夫。何度目かのその言葉を吐き出したところで、その音は聞こえてきた。鈴の音のような、掠れた音色。それから、祭りなどでよく聞くような、横笛と太鼓の音。それに重なるように、こちらへと近づいてくる、いくつかの足音。それを認識した途端、一気に身体が、冷え切ったような気がした。冷や汗が吹き出し、思考回路が真っ白になる。


「っ……!?」
「…何だこれ、やばい、何か解んねえけど、やばい…逃げるぞ、いや、隠れるぞ柚月嬢!!」


ぐいっと、思いきり腕を引かれる。力強い刹那君の腕が、私の身体を引っ張った。足音は、この道を辿ってこちらへと向かっている。焦ったような足音を響かせ、刹那君は道を逸れて、周囲を取り囲む木々の中へとその身を投じた。大き目の木が群生する箇所を選び、その裏へと身を隠す。きっと、私の顔は、今蒼白なのだろう。抱き寄せるように私を庇う刹那君が、指先を唇に当てて、しぃっと小さく吐息を落とす。痛いほどの沈黙、身を裂くような静寂の中、先ほど耳にした音が、徐々に大きくなる。思わず息を止めて、それでも視線は、私達のいた参道から離せない。足音が近づく、鈴の音が絡まり、横笛が場違いなまでに美しく響く。これは、嗚呼、祭囃子、だろうか。何かも解らぬ恐怖の中、じっと見つめていれば、不意。祭囃子が、止んだ。


「……?」
「……何だ…音が、止んだ…?」


訝しげに首を傾げて、小さく、まるで吐息を落とすように、刹那君が言葉を落とす。険しい視線は真っ直ぐに参道を睨んでいて、青と紫の色違いの瞳が、冷たく細められた。祭囃子は止んだが、迫る足音は、消えるどころかさらに大きくなっていて、そろそろここまでくるだろう。無意識に手のひらが口元を抑え、呼吸を止める。自分が息を飲む音が、やけに大きく聞こえた。壊れそうに心臓が暴れて、思わず目を瞑った。視界が暗闇に包まれれば、途端に他の感覚が敏感になって、大きくなった足音も、自分の荒い呼吸も、何もかもが鼓膜を乱暴に叩いて、苦しくなる。どんどん荒くなる自分の呼吸の中、息を飲んだ刹那君の吐息が、やけに大きく聞こえた。


「……あみ…琥珀…?」
「え…?」


閉じた瞼を持ち上げた先、真っ暗な参道に、人工的な光が見える。よくよく目を凝らして見れば、それは携帯のライトだった。駆け抜ける茶髪の二人には、よく見覚えがある。そうだ、あれは、さっき別れた、九条さんと琥珀君だ。一瞬だったけれど、見間違える筈がない。焦って刹那君を見上げれば、視線に気づき、こくりと頷く。懐中電灯を付け、慌てて二人を追いかける。何故、交番に行った筈の二人がいるのか、さっきの祭囃子は何なのか、考えれば考えるほど、思考は悪い方向へと傾いていく。走った拍子に、手に持っていた塩を取り落したけれども、優先事項は走っていってしまった二人だと、そのままにして追いかける。全速力で走る刹那君が、懐中電灯で二人の背中を捉え、思いきり叫んだ。


「あみ!!琥珀!!」


勢いよく振り向いた二人の表情は、深い恐怖に塗れていた。吹き抜ける風が、髪を攫って弄ぶ。深くなった暗闇が追いかけてくるような空想に囚われて、知らずに呼吸が浅くなった。何だろう、これは、この、言いようのない恐怖感は。刹那君の声を聞き、振り向いた九条さんの大きな瞳は、潤んだ涙で満たされていた。ぼろぼろと涙を零しながら、走る勢いを殺さぬままに、必死に声を紡ぎ出す。


「刹那…刹那!駄目よ、帰れない…橋に辿り着かない!!」


それは、暗い闇の中で、あまりに鮮烈に響いた声だった。嘘だろ、と、乾いた刹那君の声が、虚しく空へと吸い込まれる。そう、いえば。さっきから、かなり走っているというのに、私達は本堂に辿り着かない。ずっと、周囲に木々が立ち並ぶ、参道の中だ。橋にも、本堂にも、そして階段にも辿り着けぬ儘に、ずっと同じ場所を、ぐるぐると回り続けている。嘘、と、零れかけた言葉は、先程取り落してしまった塩を前方に見つけたことで、悲鳴となって喉へと帰ってくる。ループしている。異様な存在感を放つ、前方の塩の存在で、その仮説は証明されてしまった。全員が全員、茫然と立ち尽くし、私はその場で力を抜いて崩れ落ちる。違う、と、顔を青くした刹那君が、震えた声で呟いた。


「……違う。いなくなったのは、消えたのは、和泉ん先輩じゃなくて……俺達だ」


さざめく木々が、うつろに影を落とす。風に吹かれてうねる影が、不気味に歪んで、そうして、まるで人型のように、嗤った。永遠に続く参道の中、りぃん、と、再び祭囃子の音が、聞こえた。




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