春怪異譚
夜明けを背後にひた走る



陰鬱に漂う空気は変わらずに重く、僕の平常心をじわじわと嬲り殺しにする。遠野があれを引き付けてくれたおかげで、僕らはこうして出口を探す事に専念出来るが、どうしても遠野が気にかかり、焦りを捨て去ることが出来ないでいた。早く、早く、一秒でも早く、出口を見つけなければ、遠野が危ない。どうすればいい、早く、早く、気が急くたびに呼吸が薄くなって、息苦しさに喉が詰まりそうだ。情けない、最善策とはいえ、後輩に一番危険な役目を背負わせて、この様か。早く見つけなければ、五人纏めてお陀仏だというのに。焦りのままに探索を続けていれば、ふと、腕の中の南雲が小さく身じろぐ。


「っ…、う…」
「っ、南雲」
「え、あれ…和泉先輩…?私、どうして…」
「南雲さん…!よかった、気が付いて!ごめん、俺達、助けられなくて…えっと、説明すると長くなるんだけど、今、刹那があの女の人を引き付けてくれてる。…その間に、十分以内に、出口を見つけなくちゃいけないんだ…!」


そう、十分以内、それがタイムリミット。南雲が目覚めたことはありがたいが、もう時間がない。隠せない焦燥が滲み、自然と動作も荒くなる。がさりと乱暴な音を立て、木々の合間を掻き分ける。早く、早く、早く!意識が戻ったばかりでも、早く探してと感情を乗せた声で言えば、相当にまずい事情であるということを察知したのか、南雲は顔を青くして、慌てたように起き上がり、同じように探し始める。草木の生い茂る、暗い方へと南雲が向かった、その時だった。


「…先輩?あの、あれは何ですか?」
「あれ?」
「ほら、あの、ぐにゃんてしてるとこです」
「ぐにゃん?……っそれだ!」
「え!?」


嗚呼、あった、見つけた!
目を凝らさなければ見えないだろう、小さな空間の歪み。これだ、僅かに向こう側から、土のような、こことは違う匂いがする。ちょうど一番近くにいた皇にここに手を入れて待つように半ば命令染みた指示を出し、九条とも手を繋がせる。そして順に、皇、九条、南雲、僕へと繋がった。これでいい、後は遠野が来るのを待つだけだ。下手にばらけて通るより、全員で纏まった方がいい。あと、一分。かちこちと時を刻む音がするも、三時から全く動く気配のない時計に忌々しげに舌打ちし、参道の奥を覗き込む。その、奥、暗闇の中に、きらと光る銀色を、確かに見つけた。



「遠野、こっちだ……!!」
「先輩…っ!!」


息を切らし、肩を大きく揺らして走る遠野の姿を目に止め、叫んで手を伸ばす。十分間、ひたすらに走り詰めだっただろう遠野はすでに限界に近く、ふらふらと不安定に身体が揺れている。それでも、僕らの姿を見つければ、最後の力を振り絞って、こちらへと駆けてくる。全員、一緒でなければ、ここからは帰れない。皇が、出口となる木々の隙間へと手を差し入れ、片手で九条の手を握り、そうしてまた、九条の反対の手は、南雲へと繋がれている。左手に握った南雲のもう片方を、ぎゅっときつく握り締め、限界まで遠野の方へと腕を伸ばす。早く、早く、もう少し。指先でもいい、触れさえすれば、それで繋がる。伸ばされた遠野の、真白い指先が、手のひらが。僕の右手に、触れた。


「飛び込め…っ!!」


言うと同時、遠野の手を思いきり引っ張って、反動を利用し出口へと放り込む。全員が一斉に地を蹴り、同時に身体を投げ出す。嗚呼。けれど、ちょっと待て、駄目だ。予想外に近い女の、落ち窪んだ顔。このままでは、あちら側へと帰る前に、こいつに捕まってしまう。迷うな、考えるな、思考を止めろ。ここでの『迷い』は命取り、一生『迷って』、帰れなくなる。僕にはまだ、やることがある―――――!!!










『惑え』


二重に霞んだ、僕のものではないような、僕の声。ある意味の、僕の切り札。溶け落ちた目を見開く女に、弧を描く唇が鬱蒼と笑って、囁くような声音を落とす。これは、領域から外れているが故に出来る、成功率の低い最後の手段。

―――――神隠し『返し』

夜を切り裂くような甲高い悲鳴が上がり、憎悪に塗れた視線が僕を射抜く。連れ去ろうと伸ばされる女の腕を避けて、右手を伸ばし、指先で女の身体を、弾いた。空間が歪んで、元の空間と、女の領域と、僕が女を迷わせた空間が三つ巴となる。霞んで歪んで、視界が眩んで、そして。弾けた。




りぃん。
祭囃子の音が響く。


うふふ。
またね、『神隠し』。







「……。」


気がつくと、目の前には鳥居があった。赤い、朱塗りの鳥居が、暗闇の中に佇むも、そこには先ほどのような禍々しさは微塵も感じられない。恐らく、これで、終わったのだろう。呆然とする四人が、辺りを見回し、重たい気配のないことから、ようやく現状を理解したのか、力を抜いて地面に座り込んでいた。僕は掴んでいた南雲の手を離し、女を『神隠し』た、右手を見つめる。あの女は、確かに僕が惑わせた、そう断言出来る。ならば、最後に聞こえた、あの祭囃子は何なのか。もしかすると、もしかして。女は、一人では、なかったんじゃないのか。姿を表した女と、祭囃子を鳴らすあれは、別物なんじゃないのか。だとすれば、僕が惑わせたのは、姿の見えた片方だけで、まさかもう一つは、まだ。ここに、いるんじゃ、ないのか、なんて。にんまり、草木の影で、誰かが笑った。


「……あ、朝日…」


…いや、考えても、仕方が無い、か。呟いて身を起こした九条につられ、視線を空へと滑らせれば、山の合間から、眩い光が溢れ出す。嗚呼、夜明けだ、帰ってこられたのか。今更ながらに溢れ出す実感に、溜まっていた様々な感情を吐き出すように、長い溜息をつく。徐々に明るみ始める世界を横目に、朝日に照らされる鳥居を見て、ぼんやりと視線を巡らせた。何の変哲もない、ただの、神社だ。「なんでこっちから帰ってきてんだろとか、もう俺は突っ込まない」南無三、と、手を合わせて、遠野が現実逃避に走る。嗚呼、僕も同じ気分だよ。小さい方の神社、天神様の社を見て、頭によぎるとおりゃんせの歌に、考えないようにと思考を振り払う。また、連れていかれては堪らない。地面に座り込み、後ろへと手をついて、身体の力を抜いた。


太陽が姿を現して、僕らは眩しくて、揃って目を細めた。
しゃらん。鈴の音が細く響く。







怪異はまだ、始まったばかり。




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